青山森人の東チモールだより…シャナナ首相は何を急いでどこへ行く

立ち退きの次は道路拡張

今年の年明け早々、コモロの川べりの住民を情け容赦のない強制立ち退き作業を開始したSEATOU(地名都市計画庁)は(東チモールだより 第526号)、間髪を入れず1月の下旬から、首都の多数の地区で道路拡張の事業に着手しました。

例えば『タトリ』(2025年2月4日)にはSEATOUのゲルマノ=ブリテス長官が、ファトゥハダという地区の道路拡張工事の説明のために現地を訪れ住民との対話集会を開いたと報じています。

「去年1月に改訂された法律に則ってわれわれは道路拡張をおこなう」と同長官はいいます。これでは「対話」ではありません。一方的な通達です。

このようなSEATOUによる通達が首都圏内各地で同時期におこなわれ、わたしの滞在するベコラの大通りでも2月の初旬から道路沿いの建物の主である商人・住民は〝自主的〟に道路から建物を離す改修工事を始めたのです。道路から離すといってもそれはつまり、道路・歩道に面していた建物の外壁を壊し、数メートル奥の新たな側面を外壁にするという改修作業です。奥ゆきが2~3メートルしかない小さな店は全部を取り壊すことになります。

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2025年2月17日、

ベコラにあるSEFOPE(職業訓練雇用庁)前にて。

道路沿いの建物が〝自主的〟に壊されている。

ⒸAoyama Morito.

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2025年2月23日、

クルフン地区の路肩が広がってきた。

ⒸAoyama Morito.

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わたしが首都の中心部に行くために歩くベコラの大通りは少し下り坂となっており(したがって帰りは少し上り坂となり疲れた身体にはこの少しの傾斜がきつい)まっすぐ歩くとクルフンという地区の大通りとなります。

このベコラ~クルフンをつなぐ直線の大通りはいま景観が大変化しようとしています。わたしはこの道を1993年から歩いています。インドネシア軍による占領時にこの通りを歩くとき、日中でも自動車も人影さえもごくわずか、弾圧と監視の視線を感じないわけにはいかないものでした。「独立回復」後、一度この道路が道幅を含めて大修繕されたことがあります。その時点でベコラ~クルフンをつなぐこの大通りの景観はインドネシア軍占領時代のそれとはまったく違うものになったといえます。ベコラ~クルフンさらにメルカードラマという環状交差点にいたる大通りは、インドネシア軍撤退後、「報道の自由通り」という名前が付けられました。その後、2010年年代だったでしょうか、この大通りは「ベコラ大通り」と改名されました。せっかく「報道の自由通り」といういい名前がついていたのにと残念に想っていましたが、ごく最近、この通りに新しく建った役所の住所に「報道の自由通り」という名前が使われているではありませんか。「報道の自由通り」という粋な名前は生きていたようです。

さてちょっと話が脇道にそれてしまいましたので、本筋に戻します。先月の2月、まずクルフンの大通りの左右の建物の〝移動〟改修工事が大々的におこなわれました。この時点でベコラ地区ではせかされていないのか、着手されている建物はそれほどありませんでした。3月下旬のいま、ベコラの大通り側も建物の〝移動〟とり壊しがおこなわれているところであり、クルフンでは道路脇の大半の建物は歩道から離れ、拡張工事はかなり進捗しています。

ところでいち早く本当に自主的に政府に協力した住民はいま、政府には都市開発の計画なんてない、と大きな不満を噴出させてしています。政府ははじめ歩道から3メートル離すようにといったのに、その後に、6メートル、といい直したからです。建物を〝移動〟する改修工事を早々に終えた住民にとってこれは大災難です。

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2025年3月25日、

クルフンの銀行前がごっそりと整備された。

ⒸAoyama Morito.

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2025年3月25日、クルフンにて。

重機による爪痕を残す。

ⒸAoyama Morito.

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一気にケリをつけようとしている

現在、ベコラ~クルフンの大通りは道路拡張工事の影響をうけて道路が狭窄するという倒錯した状態にあり、道路の大渋滞が常態化しています。ここだけではなく、首都のいたるところで道路拡張工事が実施され、多くの道路が渋滞化しています。

このような首都の街の様子を見ると、シャナナ=グズマン首相は何をそんなに急いでいるの?狭い東チモール、そんなに急いで何処へ行くの?と問わざるをえません。住民との話し合いに重きをおき、裁判所の判断を仰ぐという民主主義の手法を、2023年に首相の座に返り咲いたシャナナ=グズマンはすっ飛ばしています。民主主義の手法は面倒で時間がかかるものです。シャナナ首相はそんな時間はないのだといわんばかりに、住民との対話を軽視して、各地点で交通渋滞が起き市民生活に支障をきたそうともおかまいなし、一気にやってしまおうとしているように見えます。

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2025年3月25日、ベコラ教会。

教会の建物自体は影響を受けないが、柵塀は移動の対象とる。

ⒸAoyama Morito.

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2025年3月25日。

ベコラ教会に隣接するサンダー=ロバート=ソーンズ(1999年9月、インドネシア軍に殺されたオランダ人ジャーナリスト)の慰霊碑(写真中央、木に隠れている)も無慈悲にも道路拡張のために壊されてしまった。

ⒸAoyama Morito.

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2028年から逆算してみると

シャナナ首相自身の年齢がもうすぐ80歳に達することも心理的に関係しているかもしれませんが、時間を逆算してみれば、シャナナ首相はなぜそんなに開発を急いでいるのか、推察できます。国会議員を選ぶ次の総選挙は2028年であり、その前の2027年に大統領選挙があります。いま2025年です。議会選挙の重要な前哨戦となる大統領選挙まであと2年しかありません。シャナナ首相は自分の思い描く政策実行のため次の選挙でも勝とうとすることでしょう(自分が首相の座に就くかどうかは別として)。選挙に勝つために来年の2026年後半あたりから有権者・住民には柔和な生活支援政策を施し、票を確保しようとすることでしょう。その前に開発・発展の象徴である箱モノを建ててしまい、経済発展の成果として示したいのです。そのために今(2025~2026年前半ごろ)のうちに公共の場に不法に居住してきた住民を追い出し、道路拡張を含めた都市整備を強引に推し進める必要があるというわけです。

都市整備は誰のため?

都市整備を実行するSEATOUが本来すべきことは、道路拡張工事の青写真を住民に示しながら各商店・各建物の固有事情によって異なる指導をすることであるはずですが、いまのシャナナ政権ではそんな細かい芸当は無用です。歩道と〝移動〟した建物のあいだの土地を強引に重機で整地化すればよいのです。建物の一部が邪魔だったら強引にとり壊せばいいだけです。蹂躙……という表現を使いたくなります。

SEATOUがこの作業をするとき、お馴染みの大きめの麦わら帽子をかぶったゲルマノ=ブリテス長官は戦(いくさ)を陣頭指揮する日本の武将のように両足を広げて折り畳み式の椅子にどっかと座り、かれの周辺を武装した警察部隊が取り込むのです。武装した警察部隊は何から何を守っているのでしょうか。この開発風景は、この開発とは住民のためではなく一部集団の利益のためのものであることを臭わせるに充分です。

この都市整備の目的は海外からの投資を呼び寄せるためかもしれません。海外とは主としてどこか?「グレーターサンライズ」ガス田の開発がいよいよ動き出すそうかとしているいま、この3月の上旬、南部沿岸開発事業である「タシマネ計画」に4000万ドルが計上されることが決まり、3月24日、石油鉱物資源省のフランシスコ=モンテイロ大臣は「タシマネ計画」に関連する道路工事の国際入札をまもなく実施すると発表しました。海外からの投資先としてシャナナ首相があてにしているのは当然、中国です。2023年9月23日、シャナナ首相が習近平国家主席と会ったときの様子を思い出せば一目瞭然です(東チモールだより 第498号)。

思い出すべきは20年前

いまから約20年前、2004年のこと、当時のマリ=アルカテリ首相率いるフレテリン(東チモール独立革命戦線)政権は公立学校における宗教の授業を必須から選択科目にする計画を立てたことにたいしカトリック教会は見直しを求めましたが、マリ=アルカテリ首相は頑なにこの求めを拒否したため、2005年、教会は政府庁舎前に陣をとって大規模デモ活動を長期間つづけました。なぜかアメリカ大使館がこのデモを後方支援するなど、妙な動きがこのデモの周辺で起こり、そして2006年、F-FDTL(国防軍)内部に差別があると抗議をする兵士たちのデモ活動が暴動に発展し、社会の秩序崩壊を招いたいわゆる「東チモール危機」が勃発したのです(拙著『東チモール 未完の肖像』、2010年、社会評論社)。

この「危機」が収束したとき、対立しあった指導者たち(「危機」当時の首相であったマリ=アリカテリと大統領であったシャナナ=グズマンを中心とする)は政府庁舎前で花束を手にしながら厳かに仲直りの儀式をしました。「危機」によって首相辞任に追い込まれたマリ=アルカテリは涙を流しました。この儀式でシャナナ=グズマンは「われわれは間違いを犯した。国民の声に耳を傾けることを怠った」といったのです。現在のシャナナ首相には20年前に自ら発した自省の弁をぜひとも思い出していただきたいと思います。

東チモールの指導者が忘れてはならないこと

さらに、シャナナ=グズマンには解放闘争時代を思い出していただきたい。圧倒的な武力を有する侵略軍と戦うためにFALINTIL(東チモール民族解放軍)の指揮官たちが〝武器〟としたのは何であったかを。民衆に身を委ねる寛大さと誠実さでした。この〝武器〟によって指導者たちは民衆と一体となって民族解放運動として侵略軍に抵抗することができたのです。解放闘争の最高指導者だったシャナナ=グズマンは現在、もっとも忘れてはいけないものを忘れてしまっているのではないでしょうか。

青山森人の東チモールだより  easttimordayori.seesaa.net 第531号(2025年3月28日)より

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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