青山森人の東チモールだより…プラボウォ=スビアントがインドネシアの大統領に就任

〝聖なる〟四連休

東チモールでも日本の〝お盆〟のように人びとがそれぞれの故郷にある先祖の墓地を訪れて花をたむけて魂を慰める風習があります。「聖なる日」と呼ばれています。今年は11月1日(金)と2日(土)がその日にあたり、帰省のための時間的余裕をもってもらうため政府はついでに10月31日も休みと定めました。つまり10月31日(木)から11月3日(日)まで四連休となりました。その四日間、首都の人口は減り、町は喧騒から解放されました。

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2024年11月3日、

閑散とした首都の町角。

ローマ教皇を迎える看板やポスターは

まだいたるところに見られる。

ⒸAoyama Morito.

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サンダー=ロバート=ソーンズさんの石碑

(東チモールだより 第472号参照)

にも花がたむけられていた。

ベコラにて、2024年11月3日、

ⒸAoyama Morito.

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国を追われた人物が大統領に昇り詰める

今年の2月に行われたインドネシアの大統領選挙で勝利したプラボウォ=スビアントが、10月20日、正式にインドネシアの大統領に就任しました。

スハルト大統領の娘婿であったプラボウォ=スビアントはスハルト大統領が退陣したさいに軍籍を剥奪され、国を追われるように一時ヨルダンに滞在していましたが、その後ビジネス界からインドネシア政界に進出し、二期10年間大統領を務めたジョコ=ウィドド大統領とは決選投票で二度敗れました。しかしプラボウォ=スビアントは今年の大統領選ではそのジョコ=ウィドドの長男を副大統領候補に添えるなどしてジョコ=ウィドドと手を組み、ついに大統領まで昇り詰めました。

プラボウォ=スビアントという人物が大統領に就任したインドネシアのことを考えるとき、わたしの頭に浮かぶのは以下のような観点です。

インドネシアと日本

インドネシアのGDPは2050年ごろには(もっと早いかもしれないが)、インドネシアは人口で日本の三倍、一人頭の経済力で三分の一となり、国としての経済力は日本と並ぶといわれています。インドネシアは上昇していく国、日本は落ち目の国です。この対比はジャカルタを訪れると否が応でも実感してしまいます。日本がインドネシアを支援する視線で見る時代はもうすぐ終わり、対等平等の視線で日本がインドネシアに何をしてきたか過去・歴史を見直さなければならなくなる日がすぐに来るのです。

インドネシアとアメリカ

インドネシアは独立以降、非同盟の立場をとってきましたが、1998年まで約30年間続いたスハルト大統領による軍事独裁体制はアメリカ(と西側諸国)に支えられたアメリカの都合の良い存在でした。ところがいまやインドネシアはいわゆるグローバルサウスと呼ばれる新興諸国の一国です。国際社会のなかで発言力が増し事情が違ってきました。中国やロシアにも目を向けています。プラボウォ=スビアントは大統領就任式でインドネシアは非同盟の立場を貫くと演説し、すると11月4日からスラバヤ沖のジャワ海でインドネシアとロシアの海軍が5日間の合同演習を開始したと報道されました。インドネシアとロシアの軍事演習は初のことです。

1975年12月、アメリカのフォード大統領とキンシンジャー国務長官(東チモールだより 第506号)の「ゴーサイン」をもらって東チモール侵略を開始したスハルト大統領の侵略軍は、最初は東チモール側の善戦によっててこずりましたが、カーター大統領のアメリカはナパーム弾や高性能武器をインドネシア軍に支給し、侵略軍の圧倒的な軍事力で東チモール人は蹂躙され一時的な敗退に追いこまれました(その後、東チモールは民衆に支えられたゲリラ戦で抵抗していく)。アメリカによるインドネシアへの軍事支援により1970年代末ごろまでに東チモールの人口の三分の一(約20万人)が犠牲になりました。このようにアメリカの軍事支援で成り立っているのがインドネシア軍である!というイメージしかないわたしのような古い人間にとってインドネシアがロシアと合同演習するとは衝撃的といってもよいニュースです。

そしてプラボウォ=スビアント新大統領は11月8日、就任後初の海外歴訪の旅に出発し、まずは中国で習近平国家主席との会談が予定されていると報じられました。アメリカではバイデン大統領と会談する予定とのことですが、次期大統領に選ばれたばかりのトランプと会談できるでしょうか。いずれにしても習近平国家主席との会談が最初にきていることをロシア海軍との合同演習とともに考え合わせれば、プラボウォ新大統領はグローバルサウスの一翼を担う立場を今後とも固めていきアメリカとは一定の距離をおきつづけることでしょう。

パレスチナを支援するインドネシア

国際社会の大きな関心事としていま二つの戦争があります。2022年2月、ロシアによるウクライナ侵略によって始まった戦争。そして2023年10月、ハマスがイスラエル領内への奇襲攻撃をしたことにたいするイスラエル軍によるパレスチナ人への報復というにはあまりにも過剰で惨劇的な戦争。

イスラエルを非難するアントニオ=グテレス国連事務総長を「好ましからぬ人物」と特定するなど、イスラエルはアメリカの支援があれば国際社会が何といおうとも痛くも痒くもないし我が道をいけます。これはかつてインドネシア軍による東チモール軍事占領にたいして国際社会が何をいおうとも、国連で非難されようとも、アメリカが軍事支援し日本が経済支援をしてくれているかぎり、スハルト独裁体制にとって痛くも痒くもないという状況と重なります。

そのインドネシアはイスラム教徒が世界一多い国として、イスラエルを支援するアメリカには追従しないでパレスチナを支援しています。今年シンガポールで開催された「シャングリラ会合」[アジア安全保障会議、2024年5月31~6月2日])では防衛大臣の立場でプラボウォは出席し、イスラエルとパレスチナの即時停戦を強く訴えるにとどまらず、停戦となったらインンドネシアはパレスチナ人へのできる限り医療支援を含めた人道支援をする用意があるといい、さらにもし国連による停戦監視組織が創設されるとなったら、インドネシアは平和維持軍を派兵すると踏み込んだ発言をしました。

パレスチナを占領して攻撃するイスラエル軍のようにかつてのインドネシア軍は東チモールを侵略・占領していました。共通するのはアメリカによる軍事支援ですが、そのインドネシアがアメリカと反するパレスチナ支援国であるというのは興味深いことです。

インドネシアと東チモール

インドネシアの新大統領となったプラボウォ=スビアントは東チモール侵略の実行部隊である特殊部隊の司令官として地位を固め、独裁者スハルト大統領の娘と結婚してさらに出世した男です。プラボウォ=スビアント率いる特殊部隊により、英雄・ニコラウ=ロバト(フレテリン[東チモール独立革命戦線]議長)を含め大勢の東チモール人が犠牲になりました。

そのプラボウォ=スビアントは先述の「シャングリラ会合」で「東チモールでは何年間もわたしはこの紛争に巻き込まれた」とう言い方で当時を振り返り、「いまでは、想像できますか、わたしはラモス=オルタ大統領と同じ机に座わり、ビデオか写真に撮られたと思いますが、想像できますか、わたしたちは抱擁しあい手をつないで歩き、かれ(ラモス=オルタ大統領)はわたしを東チモールに招待したのです。招待について考えたいと思います」と紛争を乗り越えて得た平和の素晴らしさを誇りました。しかしながら、「そうだ、そうだ、プラボウォもなかなかいいこというねェ」と素直に思える人ははたしてどれだけいるでしょうか。

平和だの民主主義だのとアメリカがいっても、アメリカによって散々な目に遭ってきた国ぐにの人びとが「どの口でそんなことをいえるのか」と腹の底で思うように、プラボウォ=スビアントが平和を訴えても、プラボウォによって弾圧された人びとは(東チモール人そしてインドネシア人も)「どの口でそんなことをいえるのか」と虫の居所が悪くなるのではないでしょうか。現実にインドネシアは西パプア問題を抱えています。プラボウォ大統領がもしもこの西パプア問題を平和裡に解決すれば少しは虫の居所も良くなるでしょうが……。

さて東チモール解放闘争の最高指導者で現在首相を務めるシャナナ=グズマンは、プラボウォ新大統領を歓迎するには最も適した東チモール人指導者といえます。プラボウォとシャナナと20年ほど前にすでに抱き合って挨拶する仲になっています(東チモールだより 第141号)。インドネシアの指導者と極めて良好な関係を保つシャナナ首相はインドネシアとの未画定境界をプラボウォ大統領と交渉して決着をつけなければなりません。そして東チモールはASEAN(東南アジア諸国連合)に正式加盟するためにインドネシアの協力を失わないように気を遣う必要があります。

そのときに引っかかってくるのが西パプア問題です。アントニオ=グテレス国連事務総長とローマ教皇による東チモール訪問のさいに、東チモールではこの機会を利用して西パプア問題解決を訴えようとする動きがありましたが、東チモール治安当局は事前にこの動きを抑えにかかりました。これはあきらかにインドネシアに気を遣ってのことです。しかしかつて東チモールの窮状を訴えるために海外で東チモール問題解決を訴えてくれた人たちがいました。いま独立を得て平和になった東チモールが西パプアなどの海外で起こっている紛争の解決のために声をあげる番ではないか、と西パプアの紛争解決を訴える動きを取り締まる東チモール当局を東チモールの市民団体は批判しました。東チモールはインドネシアに忖度するとこうした矛盾に直面することになります。かつての東チモールのような窮状に陥っている人たちにたいし自分たち東チモール人は政治的な理由で目を閉じていいのか、惨状に見舞われていた東チモールに目を閉じた人たちのようにいま自分たち東チモール人が西パプアの窮状に目を閉じていいのか、という矛盾に。

おそらく東チモールの指導者たちそして知識人の大半はインドネシアとの良好な関係を保てるならばプラボウォ=スビアント大統領の存在に異を唱えることはしないでしょう。しかしもしプラボウォ大統領が東チモールを訪問したときに(「独立宣言の日」[11月28日]に招待されたプラボウォ大統領はまだ正式に返事をしていない)特殊部隊司令官としての過去の行為に正義を下せ!西パプアに平和を!などと訴えるプラカードをかざす人が街頭に現れたとき、あるいは現れようとしたとき、東チモールの治安当局がこの動きに弾圧を加えれば、それにたいする反発がプラボウォ大統領への責任追及となり、シャナナ=グズマンが築いてきた東チモールとインドネシアとの良好な関係が揺らぐことになるかもしれません。

 

青山森人の東チモールだより  521号(20241111日)より

e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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