青山森人の東チモールだより…ポルトガル語と雇用問題

ポルトガル語は就職には力不足

前号の東チモールだよりでは母語教育政策をめぐる論争の中身をまとめ、昨年2024年11月の国会での審議の内容までを書きました。それから1ヵ月後の年末、「平和大学」という私立大学の学長が、東チモールにおいてポルトガル語は雇用創出にも就職にも力不足であるという趣旨の発言し、その反響が新聞紙上やインターネット上でいまでもひきおこされています。もしかすると言語をめぐる過去の論争の中でこの話題が一番の盛り上がりをみせているといってよいかもしれません。さすがにこれはちょっと言いすぎかもしれないとしても、少なくとも多言語教育(母語教育)をめぐる議論と比べてはるかに高い関心が寄せられていることはたしかです。

2024年12月末日、「平和大学」のアドルマンド=ソアレス=アマラル学長が卒業式でこう述べました。「われわれはポルトガル語を話す。その環境が用意されないならば、われわれは何者になるというのか。しかも、ポルトガル語を学ばなければならないと高等教育科学文化省の大臣はいうが、ポルトガル語を学んだあと、どこで働くというのか。政府は年間500の雇用さえ創出せず、ポルトガルの企業もない」。そして同学長は、労働市場はポルトガル語を必要としていないし、雇用は中国人の商店にあり、英語・インドネシア語・韓国語が話される国にある、と述べたのです(インターネットのポルトガル語によるニュースサイト、『ディリジェンテ』(DILIGENTE)、2024年12月29日)。

「雇用は中国人の商店にあり」というのは、もちろん東チモール国内のことです。さて、わたしなりに同学長の発言を解釈すると、政府の掛け声とは裏腹に一般の若者にとってポルトガル語の環境が整備されているとは言い難く、たとえ政府の掛け声通りに学生がポルトガル語を習得したとしても、その後はどうなるのか、例えば、二国間協定で多数の東チモール人労働者を受け入れているオーストラリアと韓国に働きに出るため、英語と韓国語を競って勉強しているのが現実であり、政府は責任をもって若者たちのために雇用を創出していないではないか……「平和大学」の学長はこのような雇用環境の現実を指摘し、政府に改善を訴えたのだとおもいます。

= = = =

2025年2月3日、ベコラの大通りにて、その1。

ⒸAoyama Morito.

クルフンからベコラへつづく道路沿いに中国人の商店が多数たち並んでいて、そこでは多くの東チモール人が働いている。現在、道路拡張が計画されているため、歩道に接近している道路沿いの建物は歩道から離れるようにSEATOU(地名都市計画庁)から通達を受けている。そのため中国人の商店を含め対象となる建物の主は〝自発的〟に建物を歩道から離す工事をしている。

= = = =

2025年2月5日、ベコラの大通りにて、その2。

ⒸAoyama Morito.

建物を歩道から離す工事をしている中国人の商店。歩道沿いに構える中規模商店は、道路から店の入り口のあいだの歩道を、写真のように、我が物のように斜めにしてしまう傾向にある。歩行者にとってこの斜めの歩道は迷惑千万! SEATOUは公の歩道を正常な状態に戻してほしいものだ。

= = = =

東チモールにおける外国の政府機関や企業がどのような言語能力を東チモール人に求めるのか、それぞれの件で事情は異なりますが、雇用する側は一般的に東チモールの最大の共通語であるテトゥン語を外国人に分かるように外国語に翻訳できる能力をかうことになります。ちなみに、『チモールポスト』(2025年2月3日)に掲載された日本のJICA(国際協力機構)が出した東チモール人を対象にした求人募集をみると、求められる「資格と経験」のなかの言語にかんする項目に、「英語とテトゥン語を流暢に話せること。ポルトガル語とインドネシア語の知識があれば好ましい」とあり、同じ公用語でもポルトガル語はテトゥン語のように必須事項ではなく「知識があれば好ましい」副次的な地位に置かれています。ポルトガルからきた政府機関や民間組織の場合はポルトガル語を必須項目にするかもしれませんが、その他の外国からきた政府機関や民間組織が東チモール人対象の求人募集をするとき、一般的には上記JICAのような条件を求めるのではないでしょうか。

「平和大学」のアマラル学長は政府の単純な提灯持ちとはならずに、厳しい雇用環境に置かれている若者たちの立場にたった発言をしました。その姿勢にわたしは共感を覚えます。

学長への反論

アマラル学長の発言は、厳しい経済状況に絡んで公用語の一つであるポルトガル語の消極的な側面を論じたことで、ポルトガル語を擁護する人を刺激したようです。

東チモール国立大学の言語学研究所長のロザ=ティルマン教授は、ポルトガル語では得られる雇用機会が少ないというアマラル学長の発言は根拠がなく間違っていると反論します。その理由としてティルマン教授は、東チモール国立大学のポルトガル語学科の学生にたいして高い就職率の雇用の扉を開いていることをあげます(『ディリジェンテ』、2024年12月29日)。しかしながら、ティルマン教授の示す雇用例は若者全体が必要とする雇用のいったい何%を占めるのでしょうか。ごく僅かな雇用例を示してもアマラル学長への反論になりません。反論するなら他の外国語と比較してポルトガル語の習得が雇用全般のなかで有利に作用することを(できれば数値化して)示してほしいものです。

また同『ディリジェンテ』では、ポルトガル語を習得したがゆえに道が拓け、有難いご利益を得られたという成功体験を幾つかを示しました。たしかにそういう事例はあることはあるでしょうが、これらは一般の若者たちにとっては例外的な縁遠い世界の出来事で、やはりアマラル学長への反論にはなりません。

公用語であるポルトガル語にたいする従来の擁護論(ポルトガル語は東チモールの文化・歴史において重要だとか、抵抗の言語であったとか、世界的にも重要な言語であるとか、等々)を展開する〝反論〟もあります。しかしアマラル学長はポルトガル語の公用語という地位に異を立てているのではなく、雇用・就職の分野でポルトガル語はあまり貢献してくれないという現実を指摘したにすぎません。同学長は同『ディリジェンテ』に――この国の失業率の高さを念頭に置いて卒業生にたいし速やかに就職できるような言語の習得を呼びかけたのであり、ポルトガル語の学習に反対する意図はない。しかし、労働市場への早道とは英語が主に話される企業で働くことであり、あるいは外国へ移り住むことであるというのが現実だ。学生の親は多大な経済的犠牲を払っており、いまがそれに報いるときだ――と語っています。

「経済と雇用の問題に集中しよう」

東チモール国連大使であるデオニジオ=バボによる『チモールポスト』(2025年1月6日)への投稿がアマラル学長の主張をうまく解説しています。東チモールの言語政策・言語論争の問題点もさりげなく指摘しているので、その部分を以下、紹介します。

「学長はこう主張した、ポルトガル語の能力が求められる仕事が不足しているので、ポルトガル語は雇用の目的にあまり役に立たない、と。同時に学長は、職を得るために英語・中国語・インドネシア語を教え習ぶことを擁護した。この意見は賛否両論を呼び起こした。経済的観点からすれば学長の懸念はもっともである。東チモール経済は発展途上にあり、経済の上昇は僅かで、雇用機会は限定的であり、多くの若者たちは英語を話す国に働きに出ている。学長によれば、英語・中国語・インドネシア語を習得することは、とりわけ観光と貿易の産業において雇用の見込みを広めることになるという。

実際、『平和大学』を含め東チモールの多くの大学が、テトゥン語・ポルトガル語・マレー語・英語を交えて教えているが、このことは事態を複雑にする。教育の正式な手段としての言語使用を律する政策がないため、歴代政府は〝教育手段〟にかんする〝制御喪失〟を引き起こしているのだ。

さらに、選挙時になると政治は言語政策ついて発言するのを避けてきた。憲法で定められていることから公用語について論ずる機会がないのである。

学長は、歴代政府の経済政策において公用語のポルトガル語(とテトゥン語)を強調することと労働市場が現実に必要とすることが分離しているか、あるいは明白さを欠いてきたことを主張している。学長は、経済と雇用にかんして政府は公用語・ポルトガル語(とテトゥン語)の使用について何をしてきたのか?と訴えたのである」。

そしてバボ国連大使は、「学長は東チモールにおける経済の現実と労働市場における実践的な解決を認識することを主張したのである」と述べ、「経済と雇用の問題に集中しようではないか」とアマラル学長を代弁します。

= = = =

2025年1月22日、首都の埠頭に停泊する旅客船、その1。

ⒸAoyama Morito.

Le Laperouse号が停泊するあいだ、観光客143人が東チモール観光をする。観光客はインドネシア・オーストラリアなどアジア・太平洋諸国から来たという。

= = = =

2025年2月3日、首都の埠頭に停泊する旅客船、その2。

ⒸAoyama Morito.

Paul Gauguin号が錨をおろすあいだ、オーストラリオ・中国・アメリカ・スペイン・フランス・イタリア・シンガポールなどから来た350人の乗客が東チモールを観光する。多国籍の団体客をもてなす言語としてポルトガル語は先頭には立てそうもない。

= = = =

経済を切り口にした言語論争もあってもいい

政府による長年の奮闘むなしく政治指導者が望むようにポルトガル語は公用語としてこの国になかなか定着してくれません。ポルトガル語普及のために多大の努力が払われる一方で、地球の宝ともいえる地方語の保持・発展にはほとんど努力が向けられず、なかには消滅の危機に身をまかせるだけの言語もあります。30ほどある東チモールの地方語の半分が消滅の危機にあるという指摘があり、現在世界中で話される約6000語のうち43%が消滅の危機にあるとユネスコが指摘しています(『タトリ』、2024年2月24日)。東チモール東端部に位置するラウテン地方自治体のそのまた東部のトゥトゥアラという村で話されていたマクア語という言語は、「独立回復」をしたのちにその話者がいなくなり消滅してしまいました。これが東チモールの言語問題の根幹です。東チモールが侵略軍から解放されてすぐに多言語社会として言語政策が大きな話題となるであろう、言語政策が活発に議論されるに違いない、とわたしは期待しましたが現在に至るまでそうはなっていません。

思い起こせば、国連統治下にあった独立回復まえの2000年、シャナナ=グズマンが「ポルトガル語を東チモールの公用語として採用することにしたのはCNRTの政治決断である」(*)と身も蓋もなく云ったその瞬間に、真の言語論争が封印されてしまったのかもしれません。上記にバボ国連大使が、「教育の正式な手段としての言語使用を律する政策がないため、歴代政府は〝教育手段〟にかんする〝制御喪失〟を引き起こしているのだ。さらに、選挙時になると政治は言語政策ついて発言するのを避けてきた。憲法で定められていることから公用語について論ずる機会がない」というように、東チモールは言語問題について思考不全状態に陥っているとわたしにはおもわれます。この不全状態から抜け出るために、憲法で定められていても、公用語とは何か?その定義は何か? なぜ二語が公用語となったのか、そしてその意味は何か? 2000年シャナナの云った「政治決断」とは何か?……等々、言語にまつわる議論を自由闊達にしてほしいものです、とくに戦争を知らない子どもたちには。それによって若者たちが自らの歴史・文化・アイデンティティーをより強く自覚し、ポルトガル語への深い認識を獲得することになるかもしれません。

「仕事を得ようとする人にとって言語は大切ですが、東チモールにおけるポルトガル語の存在は雇用(問題)とは無関係」と在東チモールのマヌエラ=バイロス・ポルトガル大使は述べます(『ディアリオ』、2025年1月30日)。しかしわたしは、ポルトガル語と雇用を関連付けて言語問題を論ずるのもいいではないかと、今回のこのアマラル学長の発言をめぐる賛否両論の盛り上がり方をみておもいました。東チモール人とりわけ若い人たちに言語問題を改めて考えさせる大きなきっかけを与えたことは、アマラル「平和大学」学長の手柄だとおもいます。

(*)拙著『東チモール、未完の肖像』(74ページ、社会評論社、2010年)。なお、このときのCNRTとは解放闘争の最高機関「チモール民族抵抗評議会」を指し、現在の政党CNRT「東チモール再建国民会議」とは別物であることに注意。

青山森人の東チモールだより  第528号(2025年2月6日)より

e-mail: aoyamamorito@yahoo.com

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion14094250208〕