青山森人の東チモールだより 第372号(2018年6月20日)
新国会議員が就任、新首相はタウル=マタン=ルアクPLP党首
新国会が始動
今年(2018年)5月12日に実施された「前倒し選挙」の結果をうけて当選した国会議員(一院制、定員65)の宣誓就任式が6月13日におこなわれました。
東チモールでは国会(議員)を総選挙の実施回数にあわせて第X期立法部という呼び方を正式にしています。一方、政府は第Y次立憲政府という呼び方がされます。したがってXとYは必ずしも一致しないことになります。例えば、独立した2002年から2007年までの5年間におけるフレテリン政権下の国会議員は第1期立法部となります。この第1期のあいだに内閣改造がおこなわれれば第1次立憲政府から第2次立憲政府へと政府の呼び名は改版されますが、総選挙なければ立法部の呼び名は第1期のままとなります。立法部または国会(議員)の履歴は以下のようになります。
2002~2007年=第1期立法部
2007~2012年=第2期立法部
2012~2017年=第3期立法部
2017~2018年6月=第4期立法部
したがってこの6月13日に新国会議員の宣誓就任式が行われた時点で立法部は第5期を迎えたわけです。ちなみにこれから樹立されようとしている政権は第8次立憲政府となります。
新国会議員が全員立ち上がって就任のための誓いの言葉を述べ、新国会議長が選出されるまでが第4期立法部の国会議長の役割となります。国会議長は議員による投票で選出されます。「前倒し選挙」で過半数(34議席)を獲得した三党連合勢力AMP(進歩改革連盟)はCNRT(東チモール再建国民会議)のアラン=ノエ氏を国会議長の候補に出す一方、野党に下ったフレテリン(東チモール独立革命戦線、23議席)と民主党(5議席)、そして民主開発戦線(3議席)は候補者を出しませんでした。投票の結果、アラン=ノエ氏の選出に賛成が36票、反対が29票となり、アラン=ノエ氏が新たな国会議長に選ばれ、第5期立法部が始動しました。
なお、国会副議長と書記長の選出をめぐり、与野党が激しく対立しました。フレテリンと民主党の主張は、AMPは野党と対話をして与野党議員の数の比率にそって副議長と書記長を選ぶのが国会のルールであると主張したのにたいし、AMPはこれに応じませんでした。すると野党議員の大部分は国会を退席したのです。野党が退席し投票をボイコットしたのにもかかわらず投票が行われ、副議長と書記長の選出が賛成36(反対も棄権も0で)で成立しました。
国会議長の投票のさいにも賛成がAMP議員数より2つ多い36となっていますが、おそらく民主開発戦線の3議員のうちの2人が賛成にまわっていると思われます。
比例名簿に載っていながら国会議員就任を辞退とはこれいかに
ところで、AMPの二大看板であるシャナナ=グズマンCNRT党首とタウル=マタン=ルアクPLP(大衆解放党)党首は、去年と同じように国会議員の就任を辞退し次点の候補者にその席を譲りました。二人は連合勢力AMPの顔として、第一番目にシャナナ=グズマン氏の名前が、そして第二番目がタウル=マタン=ルアク氏の名前で始まる比例名簿で「前倒し選挙」に臨みました。その一・二番目の代表者が国会議員になることを辞退することは、AMPに投票した有権者の思いを踏みにじることになりはしないのでしょうか…。わたしは「東チモールだより第356号」でも、タウル=マタン=ルアクPLP党首が国会議員就任を辞退したことに疑問を呈しましたが、今回もまた同様の疑問を抱きました。再度にわたり辞退するということは初めからそのつもりであった可能性があります。そうだとすれば国会議員を選出する選挙制度に法的不備があるか、制度が軽んじられているか、どちらでしょうか。
13日の国会で野党からAMPの代表二人が国会議員になることを辞退したことにたいし批判の声が噴出したのはごく自然なことです。結局、野党が憲法違反だと主張しても、与党は比例名簿に載って当選しても国会議員になることを辞退するのは今に始まったことではないとかわしました。
しかし去年と今年では大きな違いがあります。シャナナ=グズマン氏とタウル=マタン=ルアク氏は国会議員にならなくても、与党勢力の指導者として政権の中枢に座る立場にあるのです。シャナナとタウル、はたしてどちらが首相になるか…といわれているその二人が国会議員を次点の候補者に国会議員の席を譲りながらも、自分たちは権力の中枢におさまるというのは、強い違和感を覚えます。
6月19日、AMPはタウル=マタン=ルアクPLP党首を首相に指名し、シャナナ=グズマンCNRT党首は首相顧問になると報じられました。これからル=オロ大統領が憲法上に定められた手順を踏んで、タウル=マタン=ルアク氏の首相指名や、AMPが提出する閣僚名簿を承認すれば、6月22日(金)にタウル=マタン=ルアク首相が誕生することになります。
PLP内で差別か、女性党員が内部告発
タウル=マタン=ルアク新首相が第8次立憲政府を率いることになりますが、タウル=マタン=ルアク氏が率いるPLPにかんして気になるニュースがありました。ポルトガルの通信社「ルザ」は6月15日、PLP内部で差別があったという内部告発を報道したのです。
この記事によれば、PLP党員であるベラ=ガリョスさんはAMPの一員として新政権名簿に名前が載っていたものの、彼女の性的指向が道徳に反するとして名前が削除されたというのです。「わたしが女性であること、とくにLGBT(レズビアン・ゲイ・両性愛者・トランスジェンダー)に関わっていることで起こった」とベラさんは記事のなかで述べています。
ベラさんは現在46歳、この世代は1990年代に20代の若者だった世代であり、抵抗運動を最前線で支えた世代です。「ルザ」の記事で紹介されているベラさんの生い立ちは凄まじいものがあります。父親は18人の妻をもち45人の子どもがいて、父親の暴力にさらされ、3歳のとき(テレビニュースでは4歳といっていた)インドネシア兵に5ドルで売られてしまいます。母親がなんとかベラさんを家に取り戻し、ベラさんは16歳のときに抵抗運動に関わっていきます。3年間、インドネシア軍によって性的暴力にさらされ、その後、カナダへ亡命します。住民投票があった1999年に帰国し、国連の仕事をしながら、心理学を学び、市民団体で様々な役割を担ってきました。タウル=マタン=ルアク氏が大統領であった2012~2017年のあいだ大統領府で仕事をし、現在PLP党員でありAMPの一員となっています。
ベラ=ガリョスさんは6月16日のテレビニュース番組にも出演し自分の性的指向ゆえにPLP内部で差別があったと主張し、性の平等とはLGBTを含めたすべての人を含まなければならないと訴え、自分が自分以外の人間になることは疲れる、自分は自分でありたい、と自己同一性を強調しました。
ベラさんの名前が政府名簿から削除され、その理由が性的指向であるという話は、PLP上層部でタウル=マタン=ルアク氏に近い人から入手した情報であるといいます。またベラさんは、タウル=マタン=ルアク氏は絶対に差別をする人ではないと断言し、差別をしたのはタウル氏の側近の人であると指摘します。しかし差別をしたのは誰であるか、名前は知らないとニュース番組のなかで答えています。このニュース番組のなかで、性的少数者を強く擁護し、LGBTの問題に保守的な立場をとるカトリック教会にたいしても果敢に挑戦する発言をしていました。
ベラさんは、「ルザ」の記事(6月15日)のなかで、PLPの第一回目会議では、観光、青少年とスポーツ、職業雇用局の政策について話し合われ、第二回目の会議の議題は性の平等であったといいます。そして選挙運動でベラさんはLGBTの若者たちにPLPなら変化をもたらしてくれると希望を語ってきたのに、裏切られた思いがする、とても悲しい、と述べています。
PLP幹部のフィデリス=マガリャンエス氏は、同じ「ルザ」の記事で、ベラさんは賢い人物で、社会に貢献し、よく知られている人物であり、党にとっても重要人物であるとし、政府名簿のことについて今はいえない、人選については最終的には党の指導者たちが判断するといい、ベラさんのいう事態が生じたことを承知していないといいます。また「ルザ」は6月18日(17日か?)の記事で、名前は出されていませんがPLP幹部という人物がベラ=ガリョスさんの名前は政府名簿に載ったことはないという発言を紹介しています。
さて、真相はいかに。もしベラさんの主張するような差別がPLP内部に本当に起こったのだとしたら、タウル=マタン=ルアクPLP党首がたとえ差別の当事者ではないとしても、タウル氏はこれから首相になる指導者であるだけに、グローバル化しつつある性的少数者・LGBTにかんする問題の東チモール国内での取り扱い方を注目していく必要があります。
~次号へ続く~
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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