シュールなクリスマス風景
今年の東チモールのクリスマス風景はわたしにとってはなんともシュールな感じがします。首都の町あちらこちらで電気仕掛けの飾りつけが流行のようにされています。しかし飾りの周辺を見渡せばゴミに溢れているのです。
まずは掃除をしてゴミを片付けてから、そこにクリスマスツリーなどの飾りつけをするべきだと思うのですが、家・建物の前やその周辺のゴミをろくに片付けずにLEDランプがきらきら輝く飾りつけがされている風景は、シュールです。首都の町にゴミが溢れている状況が放置される一方で政府庁舎前とその周辺が整備されクリスマスの飾りつけがされている風景がこれを象徴しています。
ゴミに溢れる現状を鑑みれば、行政のすべきことはまず町全体のゴミをできるだけきれいに片付けること、そして庶民のすべきことは自宅とその周りそしてできれば近所のゴミを片付けることですが、きらきらと夜に輝く飾りつけに世間は目を奪われているのです。
わたしの住む所では、クリスマスツリー型にLEDランプを巻き付ける装飾体がタイヤを土台にして数多く道路脇に置かれました。たしかに夜この道路をみれば小さなクリスマスツリーが放つきらきらとした輝きを楽しむことができますが、その実態といえばタイヤのなかに雨水がたまり、蚊の巣窟を作っているのです。このタイヤが道路脇に置かれている周辺の住民とくに子どもたちはデング熱の恐怖に一層脅かされることになるとわたしは危惧します。東チモールは物質的に豊かになっていることはたしかですが、わたしは残念ながら空虚さを感じてしまいます。
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カイコリ地区、控訴裁判所近くにて。
2023年12月16日、ⒸAoyama Morito.
雨が降ってこのようにペットボトルがたまる排水溝は数多い。
行政はゴミ処理を最優先にしてほしい。
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2024年度国家予算案への批判、空想にふけるな
『インデペンデンテ』(2023年12月14日)は、英語の記事で「東チモールの予算案、持続可能な部門を築けそうもない」という見出しで市民団体「ともに歩む」の批判を紹介しました。
「ともに歩む」は「2024年度国会予算案には意味ある生産部門への投資がなく、持続可能な効果がありそうもない」と、シャナナ=グズマン首相が「明日への架け橋:生産部門と社会資本への投資」と銘打って12月14日に国会に提出した2024年度国家予算案を批判します。そして「この予算案は最も生産的な部門へ投資することによって将来に国が力を発揮できるようにするという目的を呼び物としているが、どの生産部門にも立案された歳出予算がない」と指摘します。
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『インデペンデンテ』(2023年12月14日)より、出だしのみ。
「東チモールの予算案、持続可能な部門を築けそうもない、とNGO」(見出し)。
「2024年度国会予算案には意味ある生産部門への投資がなく、持続可能な効果がありそうもないと、開発監視と分析をおこなう市民団体『ともに歩む』は指摘。シャナナ首相が『明日への架け橋:生産部門と社会資本への投資』を中心主題とする2024年度の予算案を提出すると、この指摘がされた」。
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「ともに歩む」はさらに、「予算案をみると政府は未だに必需項目を優先していない。国民の主な関心事項である生活向上という政府の約束は守られないことが懸念される」と指摘します。「保健・教育・水・衛生という重要部門は予算全体のおよそ17%しか占めていない」(*)。そして「政府は現実的になって持続可能な部門へ投資すべきで、空想にふけるべきではない」と厳しく喝破します。
(*)「ともに歩む」の資料によると、教育に10.1%、保健に5.5%、水・衛生に1.3%である。また農業への配分は2.2%だ。これら全部合計しても19.1%である。つまり東チモールの大半の国民は国家予算の約20%のなかできゅうきゅうと暮らすことになる。いくらなんでも水・衛生に1.3%というのは低すぎるのではないかと庶民の生活をみると感じてしまう。一般庶民が日常生活で水に苦労し、ゴミ処理が適切にされない環境で暮らすのでは、東チモールは力を発揮することはできない。
また、「ともに歩む」は国家予算の84%が「石油基金」に依存していることを指摘し、「今日に至るまで、われわれの経済は主に『石油基金』に頼っている。その『石油基金』がなくなったとき、われわれはもがくことだろう。やがてやって来るそのとき、公共部門から私的部門にかけて、GDPを含めて、経済全体が厳しい影響を被ることになろう。このことをわれわれはとても憂慮している」と従来からの懸念をここでも強調し、「タシマネ計画」と「グレーターサンライズ」ガス田開発に多額の予算配分をしているが、この計画にいくらかかるのか、この計画が国民と国家にどれだけの利益をもたらすのか、環境・国土にどのような影響があるのか、人権が脅かされないのか、明らかになっていないと「ともに歩む」は警告を鳴らします。
「空想にふけるべきではない」とは政府つまりはシャナナ=グズマン首相にたいする強烈な警告です。シャナナ首相は市民団体による政策にたいするこのような厳しい批判にたいして真摯に向き合って対応したことがありません。これがシャナナ=グズマンという歴史的指導者の危なっかしさです。
なお2024年度一般国家予算案は12月20日に国会を通過し、22日に大統領によって発布されました。
前政権を強く批判するシャナナ首相
シャナナ=グズマン首相は、市民団体による「空想にふけるべきではない」という批判へは反応していませんが、前政権にたいしては執拗に批判を繰り返します。クリスマス休暇に入った12月23日の集会でシャナナ首相は、前政権(第八次立憲政府)はとくに財政にかんして透明性に欠けていたと批判し、さらに次のように述べました――国会の予算審議のなかで野党の議員たちは「石油基金」が無くなっていくといった。それは本当だ。しかし野党の議員は自分たちの政府が「石油基金」をいいかげんに使い果たしたことを忘れている。」(『ディアリオ』、2023年12月27日)――。
シャナナ首相は少なくともこのままだと「石油基金」がなくなるときが来ることは認識しているようです。そのうえで「透明性」をもって政権運営をしていくものと期待します。そして「タシマネ計画」や「グレーターサンライズ」ガス田開発にかんするさまざまな懸念にたいしては真摯に向き合って説明責任を果たしてほしいものです。
また同集会でシャナナ首相は、東チモールの司法制度には汚職事件の裁判にかんして公平性がないと嘆き、権力の分立の概念を脅かす発言を忘れません。シャナナ首相は、現政権の5年間の任期になかで脆弱な国家制度を政府・国会そして司法のすべてにおいて立て直すと述べたのです(同『ディアリオ』より)。
裁判において公平性がないという自分の判断が正しいと信じて疑わないで司法改革をやってやると意気込むシャナナ首相に危なっかしさを感じるのはわたしだけではないでしょう。危なっかしさを指導者に忖度して指摘できない指導部で占められるとしたら、その組織は弱体化するのが世の常です。
市民団体、大統領恩赦に怒る
ジョゼ=ラモス=オルタ大統領がエミリア=ピレス元財務大臣とマダレナ=ハンジャン元保健大臣にクリスマス恩赦を与えると発表したことにたいして(前号の東チモールだより)、野党や市民団体など各方面から反発が沸き起こっています。とくに市民団体からの反発は猛烈で、怒りとなって表れ、その怒りは、もう既存の指導者たちにこの国をまかせていられない、自分たち市民団体から政党を立ち上げないとダメだという想いに高まったようです。
12月20日の市民団体の集まり(NGOフォーラム)は、ジョゼ=ラモス=オルタ大統領の恩赦を憲法違反だと批判し、深く憂慮しました。そして「NGOフォーラム」は、「国家は個人企業ではない。民主主義の国家とは国民とともにあり、国民主権の憲法を要する。指導者は一部のエリートのためではなく民意に沿って政治を行わなければならない」(『チモールポスト』(2023年12月21日)と、まるで今の日本の現状を憂慮するメッセージではないかとおもわれる声明を発表しました。
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『チモールポスト』(2023年12月21日)より、出だしのみ。
「市民社会、ラモス=ホルタの声明を嘆く」(見出し)。
「NGOフォーラム事務所で市民団体が集まり、政治利用するジョゼ=ラモス=オルタ大統領の(恩赦)声明を嘆き、政権をとり批判を行動で表すために政党政治の立ち上げを市民社会に呼びかける」。
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この声明のなかで「NGOフォーラム」は、市民団体による政党立ち上げを呼びかけました。独立から今日までを振り返り、解放闘争の指導者たちによる国家運営が民意に沿っていないとなれば、貧しい生活を強いられるのは自分たちだ、誰かが新しい波を起こさなければならない、このように追い詰められた若い世代が徐々にでも立ち上がっていくことには勇気づけられます。日本も負けてはいられません。
青山森人の東チモールだより 第507号(2023年12月28日)より
e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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