週末にはカリブのクルーズから帰ってくる。それまでに、どこに行くかという案くらい用意しておかなければならない。夜のマンハッタンはまだしも、昼間をどうするか?二人そろって何も思いつかない。パッケージツアーじゃあるまいし、自由の女神やエンパイアステートビルとメトロポリタン美術館あたりはどうでしょうとは、みっともなくて言えない。
先週のロブスターとIBISがちょっと刺激的だったこともあって、カリブのクルーズツアーにはオプションとしてですら考えられない何かを期待しているだろう。クルーズに行く前に、うれしそうに言っていたのが耳に残っていた。ツアーで一緒の人たちから感心されている。「海外旅行は初めてだというのに、流石に水商売の方だ。昼間寝ていて、夕方になると遊びに出かける。私たちにはまねできない。。。」
二人で退屈しているところに、ちょっとフツーでじゃない日本人のカップルがきた。ならばと、退屈しのぎに、二人だけではし難いお遊びを一緒に楽しんだまではいいのだが、それが次の週にも同じようなレベルのお遊びを提供しなければというプレッシャーになってしまった。
二人にしてみれば、親切にしてくれて、ありがとうという気もちだったろうが、こっちは親切にしたつもりはなかった。自分たちのお遊びをちょっと拡張して、そこに参加して頂いた。それだけなのだから、今週は何もないです。すみませんが、お二人でご自由にニューヨークフリータイムを満喫してくださいと言ってしまえば、それで終わりなのに、二人ともそんなこと間違っても言えないと思っていた。なんでこんなことで頭をいためるのかと思いながら、世間話をしていて、どちらからともなく「どこに行く?」と持ち出して、答えのないまま世間話に戻って、また「どこにする?」を繰り返していた。
ニュージャージーで生まれて育ったアンディならニューヨークは地元のようなもの、何かいい案があるのはないかと訊いた。名前は忘れてしまったが、ニュージャージーにディズニーランドほどではないが、似たようなアミューズメントパークがある。アンディが「オレも久しぶりに行きたいから、みんなで行くってのはどうだろう」と言い出した。
アミューズメントパークの朝は早い。朝早く行って、主だったアトラクションは朝のうちに済ませて、午後はショーを見るようにしなければならない。ゆっくり出て行ったら、アトラクションを楽しむより列に並んでいる時間の方が長くなる。「みんな夜型人間だけど、早朝の出発、大丈夫かな?」もう行くと決まったかのように、アンディがマスターとまだ会ったこともない青森からのカップルを気にしていた。
アンディの案を持って「扇」に行ったら、偶然、何度か会ったことのある板前さんがいた。日本でもっとも高い評価を受けているホテルから日本領事館にコックとして派遣されていた和食の料理人だった。ニュージャージーのアミューズメントパークはどうだろうとマスターと話していたら、板前さんが「オレも一緒にゆけないかな」と話に入ってきた。男一人で駐在していると、男なら、男一人でも、男同士なら行けるところには行けるが、アミューズメントパークには一人でも、いい歳をした男同士でも行けない。そう聞いたとたんに、アミューズメントパークかよ、アウトドアはガラじゃないし、乗らないと思っていたのが、三人で妙に盛り上がった。車は五人乗りだが、男三人に青森からの二人はきつい。板前さんはアンディの車に乗ってもらうことにしようという話になった。
日曜の早朝、カップルが宿泊しているホテルに板前さんとアンディに来てもらって、こっちはマスターをアパートで拾って、ホテルで合流した。アンディに先導してもらってNew Jersey Turnpike(高速道路)を南に走って、アミューズメントパークが開門してちょっと過ぎた時間に着いた。四十代半ばのカップルに、三十なかばのマスターに板前さん、二十代後半の駐在員に二十をちょっとでたアンディの六人が、ほとんど日本語でワイワイいいながら、急ぎ足でアトラクションからアトラクションをまわった。まだ朝が早いから、客も少なく列に並ぶこともない。アンディに付いて、人が増えたら混みそうなアトラクションをそれそこどんどんという感じでこなしていった。
なかりの数のアトラクションがあったが、二つ以外は何も覚えていない。一つは絶叫ジェットコースターで、もう一つはウォータージェットコースターとでも呼ぶものだった。絶叫ジェットコースターは十代か二十代前般の若い人たちが喜ぶもので、歳いったものが乗るものじゃないことを痛感した。ぐるっと一回転して天地がひっくり返って、時間にして数秒だと思うが、コースの一番たかいところで停車した。止まってほっとしたのもつかの間、今度は後ろ向きに落ち始めた。隣に乗っていた板前さんが、青い顔をしてもういい、十分楽しんだからここで下ろしてくれって、やっと聞こえる声で言った。同感だった。アンディ以外は、こんなもの二度と乗るかと思った。
後ろ向きに落ちて急加速したら、かけていたサングラスが顔からスッという感じで目の前に外れていった。カメラも振られてレンズキャップも同じようにスッと外れた。セイフティーバーをしっかり握っていた両腕が、意識することもなくさっとでて目の前の空中に浮かんでいるサングラスを掴んだ。とっさのことで力が入りすぎて、降りてかけようとしたらフレームが曲がっていた。サングラスの方が大事だと思っていたのだろう、レンズキャップの方には手が行かなかった。どこかに飛んでいってなくなってしまった。
ウォータージェットコースターはジェットコースターのレールを水路に置きかえたもので、太い丸太を刳り貫いて作ったかのような寸胴の六人乗りボートが水路を流れてゆく。絶叫ジェットコースターと似たようなものなのだが、最後に大きな違いがある。かなりの高さのところから滝を滑り落ちるように滝つぼのような池に落ちる。ボートと乗客の体重の合計の比重が水より軽いから沈みっぱなしになることはないが、落ちる勢いでボートが完全に水面下に沈んで、ザーッと水を流しながら浮き上がってくる。体重の軽い日本人なら沈む量もしれているが、風船のように膨らんだアメリカ人が何人も乗っていると胸のあたりまで水没する。
滝つぼに落ちるまでに着ているものは飛び散った水でびしょびしょだが、滝つぼに落ちるのとは違う。時間にして五秒かそこらなのだが、完全に水没するから、川に落ちて上がってきたかのようにずぶ濡れになる。夏だから誰もが薄着で、Tシャツに短パン、着ている物によっては下着の柄からその先まで透けてしまう。滝つぼの上に橋がかかっていて、そこから滝つぼに落ちてくるボートが見える。かなりの人数の人たちが、びしょびしょになった服を乾かしながら、落ちてくるボートが沈むのを見て楽しんでいた。
どういう訳か分からないのだが、絶叫ジェットコースターでもウォータージェットコースターでも日本人はセイフティーバーをしっかり握り締めている。特に急降下するときは下を向いて目をつぶって、バーを握る手に力が入る。アメリカ人は正面を向いて両手を上にあげて、中には何か叫びながら落ちてくる。アメリカ人の真似をして顔を上げて両手を上げてと思ったのだが、いざその時になると自然と下を向いて目をつぶってになってしまう。この違いがいったいどこから来るのか分からない。日本でも若い人たちはアメリカ人のようになったのかもしれないが、もう現地調査に行く歳でもない。
昼前にはもうかなりの人出で、人気のあるアトラクションは長い列に並んで一時間、二時間待ちが当たり前になっていた。もう、アトラクションはいい。若くもないし運動不足もあって疲れた。皆で昼飯たべて、午後はショーめぐりをした。こっちのショーが終わったと思ったら、あっちで別のショーが始まる。そこはアメリカのエンターテイメント、いつまでも飽きることなく楽しく過ごせる。
アンディだけは大した疲れを見せないのだが、みんな午後早い時間にもういいと一休みモードにはいってしまった。夕方を待たずにアミューズメントパークを後にしてマンハッタンに戻った。板前さんが、疲れたからオレお先に失礼するはと言って帰って行った。アンディも家までは一時間以上かかるからと言って分かれた。
まだまだ早いと思っていたら、もう夕飯の時間だった。チャイナタウンのいつもの合利飯店に行って、いつもの料理を注文した。年甲斐もなくアミューズメントパークで疲れた。四人とも口数も少なく、ゆったりと時の流れに身をまかせていた。
食べるだけ食べてくつろいでいたが、寝に帰るには早すぎる。食後のデザートとコーヒーにするかといいながら通いのブラッセリに行ったが、誰もデザートなんか食べる元気がない。ビールとコーヒーで世間話をして日が変わるのを待って、アフターアワーに出かけた。疲れているからカップルの経験のために行っただけで、早々に引き上げてホテルに送っていった。
ホテルについて、「もう、これでお別れですね、いい旅を」と言ったら、ルイが泣き出した。ちょっと涙がと思ったら、大粒の涙になって止まらない。ルイにつられてママまで泣きだした。普通に話しても訛りが強くて何を言っているのか分からないルイが、泣きながら言うものだから、何を言っているのか聞き取れない。ママが「何も知らないニューヨークで、何も知らない人たちにこんなに親切にしてもらって、なんとお礼をいいのか分からない。。。」
マスターと顔を見合わせて、「気にすることじゃない。オレたちゃ、いつもこうやって遊んでいるだけで、お礼を言われるようなことは、何もしてない」「偶然お二人と会えたから、じゃあ、一緒に楽しもうって、それだけのことですよ」「帰りのフライトもいいフライトなるといいですね。。。」、言い終わらないうちに、ルイとママにマスターと外れた駐在に固い握手をされた。
「これでお別れです。またいつか、どこかで会えますよ、その時はよろしく」ってお別れだった。
「日本に帰ってきたら、連絡ください。絶対ですよ」と言われたが、マスターも後日連絡したとは思わない。
一期一会。そのときそのときを力いっぱい生きれば、生きられれば、それでいいじゃないかって。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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