青森からのカップル-ナイトクラブ-はみ出し駐在記(79)

家で本を読んでいることが多かった下戸が、「扇」に通いだしてから、マスターとマンハッタンで遊び歩くようになった。ときどき、こんなことしてていいのかと自己嫌悪に陥って、何度か「扇」に行くのを控えようとした。長続きしない禁煙のようなもので、二週間もしないうちに「扇」に戻っていった。

マスターから電話があったのは、丁度ちょっと「扇」を空けていたときだった。土曜日の八時は回っていたと思う。マスターから電話などめったにない。何事かと思ったら、「面白い人がいるから、出ておいでよ」「面白いって?」「いいから、もし時間があるなら、早くおいでよ」「そう、面白い?、シャワーくらい浴びてくから、ちょっと時間、一時間くらい。。。」格好をつけてちょっと時間をなんて言ってはみたが、支度という支度など何もない。シャツを着てズボン履いて出て行った。

「扇」に入ったら、マスターが見たとこ四十代半ばの夫婦と話していた。オヤジさんはマスターと同じようにちりちりパーマにちょび髭。小柄で、どこの古着屋で買ってきたのかと思わせるジャケットを着て、風貌からは何をしている人なのか想像もつかない。奥さんも小柄なのだが典型的な中年太りで、明るすぎる茶髪のショートカットにヒョウ柄のワンピース。フツーの主婦には見えない。二人とも着ている物が日本ともアメリカからもズレているうえに、どことなく田舎臭い。どこからきたのか?が一見しての印象だった。

どこでどうしてこんなのが「扇」に迷い込んだのか?まさか探して来た訳でもないだろうと思っていたら、マスターが経緯を話してくれた。いつものように「momotaro(モモタロ)」(マンハッタンにある日本人御用達の床屋)に行ったら、オヤジさんがいた。二人とも一見では何人(なにじん)か分からない。二人して、こいつ一体何者?と思いながら話し始めたらしい。オヤジさんはカリブのクルーズに行くので、格好をつけようと日本でアイパーをかけてきた。それだけでも何を考えてんだかという気がするが、本人にしてみれば、真剣そのものなのだろう。アイパーが強すぎて、あまりにちりちりなってしまった。それが気になって、ホテルで日本語の通じる床屋を訊いて、髪を伸ばしに「momotaro」に行ってマスターと出会った。

マスターとの話を横で聞いていたら、オヤジさんが奥さんのことを「ママ」と呼んで、奥さんはオヤジさんを「マスター」と呼んでいた。何?夫婦じゃないのかこの二人。どういう人たちなのか、それとなく聞いた。青森で二人でスナックをやっていて、初めての海外旅行にハワイ辺りじゃあと、見栄をはってカリブのクルーズのパックツアーに乗った。ニューヨークに着いたところだった。ヒョウ柄のワンピースもニューヨークに行くというので、派手に格好をつけようと思って買ったものだった。

マスターが二人いて、紛らわしいので何とかならないかという話になった。ママが、「じゃあ、うちのマスターは『ルイ』にしよう」と言い出した。「ルイ」はスナックの名前だと言いながら、店のマッチをくれた。マッチ箱には「ルイ」と「Louis」と書かれていた。ああ、フランスの王様の。。。と言いかけたら、ママが「『Rui』のつもりだったのに、マッチ屋が勝手に「ルイス」にしちゃって。。。」「Louis、いい名前ですよ。このままでいいじゃないですか。。。」

ママの東北弁はまだ聞き取れるのだが、ルイの東北弁は何を言っているのかほとんど分からない。ルイが何か言って、きょとんとしているとママが通訳してくれた。ママの話では、ルイは元銀行員で脱サラしてスナックを始めた。しっかりした固い人だと言われたが、どう見ても、よくて場末のスナックのオヤジさんにしか見えない。

カリブのクルーズは月曜の朝出航で、土曜と日曜はニューヨークフリータイムだった。話しを横で聞いていて、マスターが何を思いついたのか分かった。いつもマスターと二人であちこちほっつき歩いていたが、この二人が一緒なら気分転換にもなるし、二人ではちょっとというところでも四人なら行きやすい。二人で二人をニューヨークツアーにご招待しよう。そのためにはどうしても足がいる。ということで案内人兼運転手として呼ばれた。

今日は土曜日、三時頃までは店を閉められない。二人でどこに行くかという話しを始めた。店の名前がぽんぽん出てくるが、そんなものルイとママには分からない。ニューヨークメシを体験してもらうためにブラッセリに行くか?それともアフターアワーにするかチャイナタウンでメシにするか、アフターアワーを先にして早めに切り上げて、チャイナタウンに回るか。。。、「二人とも長旅で疲れているだろうし、両方はきついんじゃないか?」「そうだなー、じゃあ、さっさとチャイナタウンでメシを食いながら、明日をどうするか決めるか」常連も帰って、三時過ぎに「扇」を出て、チャイナタウンに飯を食いに行った。

いつもの調子で二人で勝手に注文して、二人に食べ方を教えながら、明日の予定と思うのだが食べ始めてしまうと、食べる方に神経がいってしまう。一通り食べたところでマスターが、「明日は三時かそこらにホテルでピックアップして、ちょっと北に走ってロブスターを食いに行こう」その後は?何もきまらない。ロブスター?マスターの口からそんな気の利いたのがでてくると思いもよらなかった。隠し玉かよ。二人だけのときには、そんなところ知っている素振りも見せなかったのに。

翌日、昼過ぎにマスターのアパートに寄って、二人が泊まっているホテルに行った。そこからはマスターの道案内で北へ走っていった。車を運転しないのによく道を覚えていた。確かこっちだったと言いながらも、迷うことなく海辺の洒落たレストランに着いた。ガラの悪い日本人四人には不釣合いなところに、予約も何もなしで、それだけでも恥ずかしい。ゴルフの帰りとかなにかのラフな格好の日本人客に慣れているのだろう、まともな席に案内された。四人でワイワイやりながら、ロブスターをメインにこれはと思うものを、もういいというところまで食べて飲んだ。

マンハッタンに帰ってきたのは多分九時近かったと思う。これから夕食という時間でもなし、飲みに行くにはちょっと早すぎる。マスターがあそこに行ってみようかといいながら、言われるがままに走っていった。うろ覚えだったのだろう、一方通行をあっちに行って、こっちに返って来て、急に「ここだここだ、あそこの駐車場に入れて、。。。」店に入って、何がここなのかやっと分かった。「IBIS」とうレストランでディナーショーをやっていた。ニューヨーク食べ歩きの本にも載っている高級レストランだった。

ディナーショーはとっくに始まっていて、ステージではサーカスのようなアトラクションをやっていた。ステージと言っても一段高くなってはいない。床に並べられた、ちょっと大きめの円テーブルがステージの前だけ円弧を描いて空けてある。空けたところをステージとしていた。食事も飲み物も供されて、ディナーショーも始まって、手持ち無沙汰の黒服四五人が店の入り口で控えていた。

予約もなにもなしでの飛び込み。満席で入る余地などどこにもない。シーフードをたらふく食べて、飲んで、こっちも出来上がっている。いまさら何を食べようという気にもなれない。店には入ったものの、入り口のところで立っているのも馬鹿げてる。「どこか違う店に行こう」とマスターに言ったら、「ちょっと待って」マスターが年配の黒服の耳元で何か言って握手した。

握らせたまでは分かったが、その後起きたことに腰を抜かすほど驚いた。ショーをやってる最中に数人の黒服が円弧の中央、一番下がっているところに円テーブルと椅子を四脚もってきて、席を一つ作り始めた。おいおい、ショーの最中にやるこっちゃないだろう。せめて今やっているショーが終わってからにしろ。他の客の迷惑も考えろと言いたくなった。

マンハッタンでは人気店の「IBIS」。客はみんなきちんと着こんできている。ショーをやっているところに、客の間をぬって黒服に付いて場違いな日本人四人がショーのまん前の席。度を過ぎた顰蹙ものだった。

マスターに「いくらって」訊いたら、Vサイン。「二十円?」って言ったら、「二円」 二人の間ではドルのかわりに円で言っていた。「こんなところで二十円出したら、それこそ、お上りさんと甘く見られて、握られて終わりだ」「知ってるという顔して二円」「それ以上出しちゃダメだ」マスターの英語はブロークン以下のカタカナ英語。黒服に何を言ったか分からないが、たいしたことを言えるはずがない。言葉はいらない。こんなところで日本のヤクザの真骨頂だった。

注文を取りにきたが、四人とも腹はいっぱいで、出来上がっている。食事もデザートも何もいらないが、何も頼まない訳にもゆかない。一人一杯の飲み物だけ頼んでディナーショーを楽しんだ。テーブルチャージに四人で二ドルのプレミアムつけて、かぶり付きの席。悪くないというより他の客にすまなかった。

若いときから頻尿の気があってトイレが近い。トイレに行ったら、制服を着込んだオヤジさんがいた。ニコニコしながらタイムスにポストとジャーナルを持ってきて、それこそ「どれになさいますか?」という態度に落ち着かない。両手で持って読んでも読みきれない新聞を片手で読める訳がない。用を済ませたのを見て、さっと洗面台の蛇口を開いて、厚手のタオルのお絞りを持って待っている。何種類かのオーデコロンまで持ち出して、何を言うにも最後は決まって「サー」。チップの入ったバスケットには一ドル札に混じって十ドル札まで入れてある。チップは少なくても一ドル札がお行儀なのだろう。情けないほどの頻尿で何度かトイレに行った。行く前に一ドル札を用意した。一ドル札を切らして、十ドル出してお釣りというのもないだろうし、かといって気前よく十ドルのチップを出すほど金持ちじゃない。

一ドルのチップのために、慇懃というのか、まるで奴隷のように仕える姿勢のオヤジさんにあきれた。このオヤジさんが家で女房や子供に接しているときの態度を想像すると、一ドルにそこまでの価値があるのか?あるわけないし、思ってもしょうがないのだが、あっちゃいけないんじゃないかと思う。

ディナーショーを満喫して、二人をホテルに送っていった。「カリブのクルーズを楽しんできてください」「今度の土日はまたニューヨークフリータイムでしょう。また一緒にどこかに行きましょう」と言って分かれた。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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