非営利ネットワークは発展途上?-経験と理論から考える

著者: 杉野実 すぎのみのる : 「協同組合・NGO・市民運動」研究家
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1.経験と理論のずれ?

筆者が非営利団体を研究対象に選び、国内外のさまざまなそういう団体と接触するようになったのは、やはり「公益のためにすることをする団体の総称」として一般社会に認知されるにいたったNPO(非営利組織)ないしNGO(非政府組織)に、それなりの敬意をいだいたからにほかならない。政府や企業とはことなる主体としてのNPO・NGOが「一致団結して」世界を変革していく、といった程度の素朴な論調は、現在ではさすがに批判的に言及されることも多くなった。しかしたとえば、アムネスティのように世界中の会員が頻繁に連絡をとりながら活動する団体が出現している(岡部2002)とか、主婦が日本全国にいる専門家の助言をえることをインターネットが可能にした(川上1998)とかいうように、無論事実にはもとづきながらも、非営利団体の発展と技術の進歩とがあいまって社会を変化させていくとのイメージをのべた言説も依然として少なくない。さらに抽象的な、ネットワーキングは南北対立や環境問題をこえるあらたな価値観を生み出す(小曽木2005)とか、自己実現的な個人からなるネットワークが、アイデアと資源をリンクさせ人々を結びつける(稲葉website)とかいった言説となると、もはや楽観的な観念論といわざるをえないのではないかと思われる。

だがいろいろな非営利団体と実際に接触をかさねるうちに、以上のような議論とはかなりちがう印象をいだくことも多くなった。たとえば、筆者は一度に数十の団体に対して、特定のテーマに関連して質問状を発送することがあるが、そのようなときに、質問それ自体には答えないのに、筆者個人に対して「会員になってほしい」と要請するような団体が国内外をとわずかなりある。別の例として、国際的に有名な2団体DとY財団が共同で出版した著作を、筆者が購入したときの逸話をあげることもできる。アドレスを併記して電子メールを両者に同時に送信したのであるが、当然2団体のあいだで連絡をとりあっていると思いきや、筆者のところにはまったく別々に返信がなされてきた。これは一見つまらないことのようであるが、問題なのはDもY財団も、各地のさまざまな非営利団体のあいだを橋わたしして、情報提供やコンサルティングのようなことをする団体であるということである。つまり団体間の連絡をする団体が、もっとも身近にいて頻繁に連絡をとるべき相手と連絡をとっていなかったということになる。NPOはネットワークをつくるのが得意などといわれているが、以上のようなできごとにでくわすと、「本当は自分の活動にしか興味がない」関係者も少なくないのではないかと思われてくる。

2.既存研究からわかること

「地域宿泊商品」の開発をめぐる複数「都市ホテル」間の提携を分析した若林(2005)は事例研究としても興味をひくものであるが、理論的な観点からみると、異質な知識・情報や提携相手を幅広く集める広域的な「弱い紐帯」と、暗黙的な知識や個別的な意図を共有しやすい凝集的な「強い紐帯」との、いずれもが重要としている点に注目すべきと思われる。非営利団体の「成功」例としては、個人のNGOスタッフが専門性の高いNGOをつなぐ役割をはたしたとする毛利(1997)が注目されるが、同論文では同時に、新入メンバーの「スクリーニング」をしなかったために、「ネットワーク」内の連絡が弱まり、その影響で成立した条約の文面も整合性を欠くものになったことが言及されている。十川(2005)が営利企業について、ミドルのコミュニケーションを通じて個人の経験が組織の知識になるというのに対して、渡辺(2000)が「NGOの流動的な組織構造」を強調して、NGOは組織外にも情報を流通させようとするとのべているのは、好一対といえるかもしれない。

理論的研究でまず注目されるのは、「親友」などの関係に代表される「強い紐帯」と、「知人」などの関係に代表される「弱い紐帯」とを比較して、「弱い紐帯」の強さは集団同士を結びつけるところにもあると論じたGranovetter (1973)であろう。Hulbert et al. (2000)も、多様なネットワークをもつ個人ほど、自分が所属するネットワークを活性化することができると報告している。そして佐藤(2004)は有名なパットナムの議論を紹介して、合唱団やサッカークラブ、ロータリークラブなどが多いイタリアの州(北部)では、そうでない州(南部)にくらべて、はるかに水平的で「市民的な」社会が成立しているとのべている。だがパットナムは同時に、この民主主義の基礎ともいうべき(多くは直接に「政治的な」ものではない)多様な社会的結社が、テレビ視聴時間増加などのためにアメリカでは衰退しているとする議論でも知られている(Putnam 2001)。

本論冒頭で紹介した論説のうち、小曽木と稲葉によるものは実は、一部「情報化社会」論者のあいだで「崇拝」されているリプナックとスタンプスから強い影響を受けたものであった。上記2論を先に読んだため、リプナックとスタンプスは単純な「情報化」礼賛論者であろうとの先入観をもっていたが、実際にLipnack and Stamps (2000)を読んでみると、情報機器でつながった人々からなる「バーチャルチーム」でこそ、ときに実際に対面することが特に重要になることが強調されていた。直接には営利企業の内部にみられるチームを対象としたものではあるが、特にチームを形成しようとする初期の段階において、(目標そのものを明確にすることとならんで)各成員の属性を整理し、諸目標とその達成に必要な成員の名とその役割を対照させた表を準備すべきであるとしている点にも、彼らの議論の特徴がある。成員同士が多彩な方法で連絡しあえるように、チームのホームページを効果的に設計するべきであるとしている点からも、学ぶべきことはあるであろう。

3.NGOの国際的「ネットワーク」

「ネットワーク」は実際にはどのようなものであるかを知るために、筆者は「ネットワーク」を自称する複数組織のホームページをまず検索してその「会員」団体を複数抽出し、「会員」として実際にどのような活動をおこなっているのか、あるいはその「ネットワーク」のことをどのようにして知ったのか、などといったことに関する質問状を郵送したことがある。ここではそのなかから、対人地雷禁止条約の成立に貢献して1997年度にノーベル平和賞を受賞しながら、その直後内紛にみまわれたことが報道された国際地雷禁止キャンペーン(International Campaign to Ban Lndmines: ICBL)について記述する。ICBLについては、「NGOが独自に動いて、(同様に独自の動きをしていた)中小国政府と協力をすすめた」と論じられることが多いが、「NGOの動き」を具体的にみると、たとえばオランダのパックス・クリスティ(Pax Christi)の一職員が「NGOが、地雷禁止に積極的な国々にだけよびかけて会議を開いてみる」ことを提案したとか、スウェーデンの児童救援NGOラッダ・バルネン(Radda Barnen)の一職員が、軍縮・国際法専門家の協力をえて独自の条約文案を作成したとかいう例(目加田1998: 64-120)にみられるように、実際には「特定個人が特定の動きをした」とみるべき場合も少なくなかったらしい。内紛については複数の原因が指摘されるが、報道によると最大の要因は、コーディネーターのウィリアムズ(J. Williams)氏個人がICBL自体とならんで受賞したことから、参加団体のあいだに嫉妬が生じたことにくわえて、賞金の使途をめぐる議論が紛糾したことであるという(百瀬1998)。

「会員」団体が地雷禁止活動に主体的に関与しているとすれば、ICBLに加入するにいたった経緯について積極的に答えるはずであるし、内紛についても意見をのべてくるにちがいない、と筆者は当初考えたのであるが、実際に多かったのは、グリーンピース・フランス(Greenpeace France)やアフリカ人権連合(L’Union Interafricaine des Droits de l’Homme)のような、自会はICBLの熱心なメンバーではないという回答か、世界退役軍人連合(World Veterans Federation)やスリランカのサマセバヤ(Samasevaya)のような、ICBLとは無関係に自会の使命についてだけくわしくのべた回答であり、なかにはニュージーランドのハミルトンカトリック司教管区(Catholic Diocese of Hamilton)のように、ICBLとはなんのことかわからないと答えた団体さえあった。地雷禁止日本キャンペーン(Japan Campaign to Ban Landmines)の職員は電話取材に答えてくださったが、(なかには地雷禁止との関係が不明確なものもある)「会員」団体の実態はよく把握していないとのべていたことが印象的であった。ICBLの内紛についてこの職員は、「もしそれがあるとしたら、」「対人地雷」の定義など運動の方法論をめぐる対立であるはずで、報道されているような「下世話な」問題ではないと思うといっていた。オーストラリア地雷禁止ネットワーク(Australian Network to Ban Landmines)は、筆者に返信するかわりに同会の歴史に関する本を送ってきた。同書によると、この運動は同国では元来少数派であるカトリック教会の主導により開始されたが、教会関係者がカンボジアなどの地雷被害者らと直接接触し、彼らも呼びかけ等にくわわったことが世論を動かしたという(Gray 2006)。意図的に拡張するというより、偶然の「縁」が運動を大きくしていくという構図がここでみえる。

4.いわゆる「普通の」国際協力NGO

日本国内に拠点をおく国際協力NGOに関する筆者の調査は、筆者自身が会員として関与している団体のなかに、活動が「うまくいっている」ところとそうでないところがあるという事実に疑問をもったことに始まっている。いずれも日本在住の会員から会費を徴収して、そこでえられた資金を原資として、発展途上国のNGOに資金援助し、ときには一緒に開発計画を実施するということをおもな活動としているが、専従職員をおき国外事業拠点を順調にふやしている団体Aにくらべると、団体Bでは専従がいない状態が長く続き国外拠点は維持するのが精一杯であるとの印象がある。ある会員から「Bには人を育てるしくみがない」との発言をきいたことがあるので、はじめはそのようなことが最大の問題ではないかと思ったが、この調査ではまったく意外なことに、Bとの接触過程というか接触の経緯それ自体に筆者はもっとも強く印象づけられることになった。筆者は当初、当時K氏宅におかれていたB事務所に書簡をあてて文書資料を請求したが、それに対してK氏は別の会員F氏を紹介してきた。そのF氏ははじめ「Bの歴史」をまとまるなどといいながら、何カ月も待たせたすえに、「むかしのBをよく知る」A氏にインタビューすればいいといってきた。A氏はインタビューには応じなかったが、まず文書資料をみるべきとのA氏発言はもっともと思ったので、(回り道ではあるが)もう一度K氏に文書を請求した。「Bに関するデジタルデータ」をもっているとしてK氏らに紹介された会員T氏と会見したところで、この団体に関する調査は一応終了とした。

文書資料や関係者との会見からえられた情報をまとめると、Bは元来、国内では有名な「大手」NGOの内部にできた、特定地域に関する「勉強会」が独立して成立したものらしい。外国で人権侵害がおこるたびすぐにでも声をあげたいと考えるA氏らと、「大手」NGOの「開発」志向との衝突に、資金の使途をめぐる問題がからんできたことが独立の原因になったという。A氏の「人権」志向は、たとえば会報の編集などを(時間的にも金銭的にも)後回しにして、当該国メディアに意見広告を出すことなどをめぐって、その後も何度も騒動のたねになってきたとT氏はいう。またBでは以前から、被支援国現地団体と協力しての「プロジェクト型」事業と、被支援国の人々との相互理解をめざす「交流型」事業との、いずれを重視するかということをめぐっての、意見の対立も根強くみられたともいう。以前から会としての意思決定方法が不明確とされていたなか、前代表が急逝してから、「関東と関西」つまり会員間の派閥対立まで一時はみられるようになったが、「関東」側が事実上「手を引いて」から事態は収束したとT氏らはいう。一方団体Aからえられた情報はそれほど多くないが、たとえば会見の際に事務局長Y氏が「一般参加者に井戸ほりなどをしてもらうワークキャンプを継続しているが、そこでは収支がほぼ均衡しており金銭的にはあまり得をしていない」と発言したことなどからは、この団体が一般人との交流を重視していることがうかがわれる。実際Aの会員総会資料などをみても、「大学・企業・労働組合等との連携協力」がめざされていることや、インターンの授受を通じた他団体との交流を恒常的におこなっていることがわかる。

5.結論と提言

前2章でとりあげた例はやや極端なものかもしれないが、本稿冒頭であげた例などとも考えあわせると、現代の非営利団体に要求されるものはなにかということもわかるのではないであろうか。非営利団体の世界では「ネットワーク」ということがよくいわれ、なんでも「つなげる」ことの重要性が強調されるにもかかわらず、現実には「つながる」ことは奇妙にも軽視されているのではないか。たとえば「全世界千数百のNGOの連合体」ICBLでは、実際には多くの「会員」団体が、報道された内紛のことばかりか、ICBLの通常の活動のことすらほとんど知らず、なかにはICBLとの関係をすすんで否定してみせた団体すらあった。国際支援団体Bにおいては、「これがBの活動だ」と全体像を示せる人がひとりもおらず、少なくとも過去に一度は会の活動に熱心にかかわった経験のある人々が、自分はBのことはよく知らないなどといって、つぎつぎと別の会員のところに筆者を「たらい回し」にしようとした。一般会員の多くは、通常は会としての活動には無関心というか無頓着であるが、一部「熱心な」会員の独走が、ときに他の会員の反発をまねくという構図も、Bのように個人を会員とする「普通の」団体でも、ICBLのように団体を「会員」とする「ネットワーク」でも、共通しているといえそうである。この状況を既存研究がうまく説明しているとは思えないが、「社会的なかべ」をこえるのが「強い紐帯」よりもむしろ「弱い紐帯」であるといった議論からは、学べるところが多いかもしれない。非営利団体にかかわると「一風変わった」経験をすることも多い。たとえば「市民活動資料館建設をめざすつどい」などという会合に筆者が出席したとき、いわゆる「反体制的な」団体から、文学・歴史など「文化や趣味」に関する団体まで、「分野のちがいをこえた」諸団体の交流をはかるというもっともな趣旨とは裏腹に、出席した諸団体の代表者が自分の活動を長時間語ることが続き、肝心の出席者間の質疑応答にあてる時間はほとんど残っていなかった。だが「変わった」経験も悪いことばかりではなく、一例をあげれば農業実践でも有名な俳優N氏の講演で強調されていたのは、農作業を一緒にする、あるいは農産物の「市場」で生産者と消費者として、または生産者同士で会話しあう、ということによるコミュニケーションの大切さであった。

「つながり」さえすれば、「ネットワーク化」しさえすれば、非営利団体の活動が自動的に改善されるとでもいわんばかりの楽観論も少なくないことは、本論冒頭でもみたとおりであるが、そういう論者がしばしば引き合いに出すリプナックとスタンプスは実は、チームの成員が具体的な目標を達成するために実際に「顔をあわせる」ことの重要性を強調していた。それにくらべると現実の非営利団体においては、各個人が(または「ネットワーク」の「会員」団体が)それぞれの活動を熱心にすすめているということはうたがえないとしても、活動をさらに発展させるために意識的に協働を推進するという方向での努力が十分とはいえないのではないであろうか。リプナックとスタンプスの議論は元来営利企業を対象としたものであったが、営利企業がたびたびみせる「連携」に対する柔軟な姿勢にくらべて、非営利団体の方は視野がせまくなってはいないかと、関係者が自問する機会があってもよい。各地域社会で必要とされている社会的サービスと、それを供給できる非営利団体とを対照できるようにした、「社会サービス地図」の意義を検討した研究(Never 2011)もあるので、いまのべた意識的な共働ということに対する意識がもっと広まることを希望したい。類人猿から人類が進化するにあたり、樹上からおりてより広範な社会を形成できるようになったことが重要な意味をもつとした報告(山極2011)があるが、単に視野を広げるだけでなく、各自が実際に他者と接触することの意義を考えたとき、非常に示唆的であるといえないであろうか。非営利団体の状況が関係者の努力により改善しうることは当然である。たとえば国際支援団体Bの状況も、筆者が「ひっかきまわした」こともよかったのか、最近では印刷も美麗なパンフレットが発行されるなど、目にみえて改善されてきている。ICBLも「兵器大国」の不参加などの問題をこれから解決することをせまられているが、専門分野をこえて運動を前進させたパックス・クリスティやラッダ・バルネンの職員のような人材が、今後他の「会員」団体からも輩出することを期待したい。「一般」会員と各会「中枢」にいる「活動的な」会員とのいずれもが意識してたがいに交流をすすめてこそ、一見つまらないが容易に解決できる問題がいくつもみつかり、活動を一歩ずつ改善することもできるのではないであろうか。

参照文献

Granovetter, M. (1973) “The Strength of Weak Ties”, American Journal of Sociology, 78-6, pp.1360-1380.

Gray, J. (2006) “Campaign to Ban Landmines: A Theological Reflection” in P.P. Poy (ed) A Path is Made by Walking it: Reflections on the Australian Network to Ban Landmines 1991-2006, David Lovell Publishing, pp.121-127.

Hulbert, J.S. et al. (2000) “The Quality of Online Social Relationships”, Communications of the ACM, 45-7, pp.103-108.

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山極寿一(2011)「第2コメント」『日本学術会議シンポジウム・人の社会と愛―ラミダス原人化石からわかること』2月6日、東京大学理学部。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  http://www.chikyuza.net/
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