テレビや新聞をみていると、どうにも視点がずれているような気がしてならない。アメリカのマスコミが「divided」と言っているから、それをそのまま「分断」と言えば済むと安直に考えているように見える。分断といえば、起きていること、そしてこれからしなければならないことを説明できるのか。ちょっと考えればdividedが勘違いどころか、問題の本質を隠蔽する都合のいい言葉として使われていることには気づくはずなのに、マスコミにはその程度の認識しかないのか。
渦中にいると、あるいは渦中に近すぎると、それなりの知識とバイアスを排除する能力と努力がないと全体像はみえない。地球の外にでなければ、地球全体はみえないのと同じようにアメリカにいてはアメリカが見えないことがある。白人として生まれ育った人たちが生得のものとしている社会観は、人種差別と極端に大きくなった経済格差から生じる重力によって大きく歪んでいる。多くの人が歪んだ社会空間が生み出す競争社会を天与のものとして息を切らして生きている。競争社会が人々の日常生活を通して歪を大きしてきた。大きくすることで得た社会的、経済的、政治的……あらゆる生得、既得の権利は個人の能力と努力で得たもので、アメリカ合衆国は憲法でそれを保証しているし、それが民主主義だと信じている。
言葉遊びをする気はないが、本題に入る前にアメリカのマスコミが頻繁に使っているdividedの意味を確認しておかなければならない。マスコミの報道がdividedという英語から始まっているのだから、英語の辞書でその意味に当たっておくのも礼儀だろう。不定形のdivideをLongman(Web)で見てみた。必要な個所だけコピーしておく。
「if something divides, or if you divide it, it separates into two or more parts」
「to keep two areas separate from each other」
この説明からも明らかなように、divideというからには、もともとそこそこにしても均質だった何か一つのものがあって、それが二つ、あるいは三つかそれ以上に割れたということになる。日本語でいえば、分断といより分裂に近いような気がする。ちょうど細胞分裂のように、一つのものが二つに分かれる状態を想像すれば分かりやすい。
ここで最初の質問がある。dividedの前に一つのものがあったのか。もし一つでなかったら、もともと二つや三つ、あるいはそれ以上あったら、ニュースで言われているdividedもその訳語である分断も意味をなさない。それどころか起きていることとその背景を理解する手立てをみずから放棄することになりかねない。
アメリカという多民族多文化社会で、支配と従属の緊張関係の歴史のなかで、どこに一つものがあった、あるいはあると言えるのか。
白人が入植したときには先住民がいたし、その後アフリカから奴隷としてつれて来られた人たちもいる。白人が入植するまでは、一つの均一した先住民の社会があったかもしれないが、アメリカの歴史を出来るだけバイアスを排除した視点でみれば、アメリカには一つの均一な社会などあったことがない。人種構成でみれば、圧倒的多数の白人たちと社会の黒子のように置かれた圧倒的少数の非白人がいた。そしてその多数と少数の間には、社会的にも経済的にも政治的にも怖ろしいほどのdividedがあった。dividedは今に始まったことでもなければ、トランプがでてきてできたからとわけでもない。dividedは紛れもない事実としてアメリカの歴史の最初からあった。
マスコミが繰り返しいっているdividedが、トランプが登場するころから大きくなったのか?ちょっと歴史をふりかえれば、事実としてはっきりしている。dividedは政治的視点に限ってみれば、かつてに比べればとても小さくなった。
トランプ支持者が議会になだれこんだことから、アメリカの憲法に対する冒涜だ、民主主義を否定しているなどとマスコミが騒いでいるが、なにをみて言っているのか?
一七八八年(二三三年前)に公布された憲法は、白人入植者による白人入植者のためのものでしかない。そこでは先住民や黒人奴隷はせいぜい富裕白人の資産と勘定されているかいないかの違いがあるだけで、そもそも人間として扱われていない。黒人など非白人に選挙権が認められたのは五六年前の一九六五年だ。それも奴隷解放と同じように、ただの紙の上での話でしかない。非白人の政治的権利を抑え込むために、脅迫どころかリンチなど組織的な殺人がくりかえされてきた歴史がある。トランプとその支持者の白人連中、選挙のたびに自分たちがごまかしをしてきたから、相手も同じようにごまかしをしているはずだという、呆れた常識が「アメリカの由緒正しき常識」だと思っているようにしか見えない。
起きていることは、今まで社会の中枢を独り占めして経済的、社会的、政治的に恵まれて立場にいつづけた白人たちが、非白人人口の増加によって、独占してきた特権を分かち合わなければ、アメリカという国がなりたたないところまで追い込まれたということでしかない。
多数派の白人に従属的な立場に押し込められてきた非白人が政治の舞台にまで登場してきて、享受してきた生得、既得権益を分かち合う社会へ、より民主的な社会へと進もうとしているところに、dividedを繰り返せば、社会が崩壊にむかっているのではという危機感をまき散らすことになる。
トランプを支持している人たち、共和党の右派を支持してきた人たちがトランプのウソを信じて?そういう人たちもいるだろうが、そうでない人たち、あるいは騙されていたいと思う人たちの方が多数派だろうと想像している。白人のなかには、いままで築き上げて来た白人中心の「きちんとした社会」が異民族に乗っ取られるような漠然とした不安から支持している人もいるだろうが、支持する人たち共通する本質的な核は何なのか?
あれこれ読んで、大勢はどうなんだろうと考えてきた。思いつく答えは一つ。要は「得だから」でしかない。ウソであろうがなかろうが、ウソに基づく政策の方が自分たちにとって、気持ちの上だけでなく実利の得があってのことだろう。白人として、富裕層として社会政治経済の中枢を握ってきた社会層にしてみれば、既得権益の拡張につながれば、ウソでもなんでも構いやしない。
それはアメリカだけのことじゃない。日本だってヨーロッパだって似たようなもので「持てる人たち」は「持てる」状態――社会経済体系から良識という美句をまとった社会常識――のままでいたい。「持てない人たち」はせめて「多少なりとも持てる」ようにという気もちがある。
dividedはいつでもどこでもある。ただ、アメリカは日本や韓国とは違う。始まりからして多人種多文化国家という特質がある。その人種構成比がある閾値を越えようとしている。少数だった人たちが少数では収まらないところまできて、アメリカ人が変わってきている。アメリカ人の人種や文化が変われば、アメリカの政治が変わる。
白人優位社会の政治団体としての共和党と、少数だった人とちとその人たちと持っていたものをシェアしなければと考えている白人層からなる民主党。揺れ戻しがあったにしてもアメリカの人種構成の変化に基づく民主党と時間の巻き戻しを主張しなければ存在しえないところに落ち込んだ共和党がある。
どちらから見るかでアメリカという風景から見える景色が違う。人も文化も変わって見える景色もどんどん変わっていく。白人だけで演じられてきた舞台に、舞台の敷板か羽目板に押し込まれていた非白人が当然の権利を引っ提げて共演者として登場してきた。舞台が大きくなっていったとしても退場を迫られる白人たちもでてくる。
アメリカ人が変わってきて、アメリカが変わる。この当たり前のことを見ようとしないことろからdividedなどと寝ぼけた言説が行き交うことになる。ここであらためて訊きたいが、トランプやその取り巻きを排除すれば、アメリカの民主主義が守れるというのか?守ろうとする民主主義とはいったなんなのか?
アメリカという国が今の今まで誰のための国なのかを鮮明にみせてくれた人たちがいる。一月六日、白人至上主義者なのか、既得権益を失うことを恐れている人たちなのか、アメリカが白人の国でなくなってきていることに危機感を抱く人たちなのか、それともどこにでもいる極右暴力集団なのかさまざまにせよトランプ支持の旗のもと、警備にあたっていた警官隊にさしたる規制もされることなく米国議会に入っていった。昨年夏のBlack Lives Matterの穏やかなデモに対する警官隊の暴力行為との違いはどこからくるのか。この違いからだけでもアメリカという国が未だに白人のためにある国であることを証明しているではないか。この違いを常識とする民主主義なんてものがあるのか?
ニュースにMultiracial democracyという言葉を見つけたときは、思わず吹き出してしまった。DemocracyはDemocracyであって、そこにはMultiracialもなければSingleracialもない。あるのはただのDemocracyだけで、アメリカがそれに向けて一歩踏み出せるかというところまで来ている。歴史をみればDemocracyに流血はつきもの。血を流さなければ価値あるものは得られないという教訓を再確認することになるのか。
p.s.
<Corporate America>
トランプが引き起こした社会不安に危機感をいだいたCorporate America―金融関係を始めとする大企業が動いた。共和党への政治献金の凍結。共和党議員に融資していた政治活動資金を返済しろと言いだした。要求は簡単明瞭、トランプの共和党ではなく保守本流の共和党に帰れ。
トランプにくっついていくことで共和党議員でありえた利権屋連中はトランプという踏み絵を突き付けられて狼狽しきり。あわてふたむいて仲間内の顔色みながらどうしたものかと。政治信条や理念などないだけに、ほとんど喜劇に近い。
2021/1/9
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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