革命運動や社会運動を推進する際にどのような組織形態を採用するかは永遠のテーマである。どのような組織をつくるかは、置かれた社会環境、政治状況、創設者の好みによって左右される。が、一般的には少数の職業革命家による軍隊に似た固い組織をつくるほうが、戦いが容易になる。反面、党内の権力争い、粛清、資金確保の困難などの多くの障害に直面する。前衛党では、手段であるはずの党が自己目的化、物神化することも一般的に見られる。
物神化はユダヤ教に起源を持つ3つの1神教が厳しく禁止する偶像崇拝に転落する。ユダヤ教正統派の厳密な考えでは、偶像崇拝とは造られた神の像に祈ることだけではなく、国旗、国歌、国家、会社、組織など永遠ではないものを崇拝することも対象になる。
1903年、ロシア社会民主労働党はボルシェヴィキとメンシェヴィキに分裂するが、対立軸は党規約=組織論だった。「革命のイエズス会」を目指すレーニンは、党を職業革命家を中心にする前衛党を造ろうとした。一方でメンシェヴィキは、より幅広い政党を目指した。
1898年、ベラルーシの首都ミンスク(当時人口の40%がユダヤ人)でユダヤ人ブントがロジスティックスを整えることで生まれたロシア最初のマルクス主義政党は組織論を巡って分裂し、以後も一緒になることはなかった。ロシア革命では敵と身方に分かれて戦う。
レーニンが参照した(?)イエズス会は16世紀に宗教改革に対抗して生まれたカトリック教会の前衛組織である。優れた能力、忍耐力、教育・宣伝力、献身、弁術などを備えた知識人の組織である。日本に布教したことでも知られる。もしイエズス会がなければ、ヨーロッパで宗教改革が浸透したフランス、南西ドイツ、ポーランド、ハンガリーなどの国は永久にカトリック教会から離脱していただろう。
ここで、革命運動と宗教組織との関連を歴史的に考えてみたい。現在、世界で多数の信者を抱え、政治的にも支配的な宗教がキリスト教である。キリスト教はカトリック、プロテスタント、東方正教(ロシア正教など)に大きく区分できる。それに加えてアルメニア教会、エジプトのコプト教会、ネストリウス派の残存(イラクのアッシリア教会など)などエスニックな教会があるが、ここでは無視する。東方正教もとりあえず捨象することで論じる。
さて、カトリックとプロテスタント、それにユダヤ教、イスラム教では大きな組織論の違いがある。カトリックは人類が生んだ最古で最大・最強の組織である。ヴァチカン市国という名前の主権国家さえ持っている。日本にもヴァチカン市国の駐日大使館がある。カトリック教会が持つ資産は想像もできない規模である。長年、世界各地の情報も丹念に集めている。イエズス会士、ルイス・フロイス著『日本史』は信長時代の日本を知る第1級の資料になっている。
さて、ソ連は80年たらずで消えたが、カトリック教会は2000年近く続いている。これほど強固で永続している組織は他に見あたらない。
カトリックの組織の特色は、①聖職者と信者の2層制、②聖職者は専門職で、すなわち生業を持たない、女性と接してはならず、独身を貫き、家庭も子孫も持たない、聖職者に階級があること、③聖職者の最高指導者はローマ法王であり、信者の直接選出ではなく、高位の聖職者=枢機卿間の選挙で選出され(ところが枢機卿はローマ法王から任命される)、その地位は終身である、④ローマ法王は無謬の存在である、下は上の命令に服従しなければならない、⑤カトリックの信者・聖職者に人種、民族、国籍の差別があってはならず、それらを超えた国際的な組織であること、⑥原則は堅持するが行動は柔軟で、目標のためには手段を選ばない、という傾向がある、などを挙げることができる。
上の特色はボルシェヴィキと国際共産主義運動に酷似している。歴史的はカトリック教会のほうがはるかに古く、ボルシェヴィキはカトリック教会に学んだことがうかがえる。
余談だが、ロシアの作家ドフトエフスキーはカトリック教会の中央集権、上意下達の組織体質を嫌った。同時にロシアで勃興しつつあった社会主義運動もカトリックに教会に似た体質を持つということで嫌った。彼が求めたのは素朴なロシア正教による魂の救済だったのだろう。
ところで、不思議なことにキリスト教の母体になったユダヤ教はカトリック教会のような国際的な中央集権制を採用せず、生まれてから今日に至るまで分権的な組織を採用している。
ユダヤ教の基礎組織は男性の信者10人以上が集まってつくるミニヤンである。ミニヤンのユダヤ教徒は安息日や過ぎこしの祭りなどユダヤ教の通過儀礼の日にシナゴーグに集まり礼拝する。そこにはラビがいる。今日ではラビはプロテスタントの牧師に限りなく似ているが、本来のラビは、①教師である、②専門職ではなく生業をもたなくてならない、③ラビの間では、学識や評価による名声や格付けはあるものの、組織内階級による上下関係はない、④シナゴーグ間でもカトリック教会のような連携や上下関係はない、という特色がある。
こうしたユダヤ教のラビのあり方は、イスラム教のウラマー(法学者)にも継承されている。ユダヤ教、イスラム教から分権的な組織論を学ぶことができる。
(以下次号)
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「革命の組織論 歴史と宗教に学ぶ」の、これまでの掲載分は以下をご覧ください。
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