第3回 沈黙は金なり、いいえ音なり―続き―
>復から往へ< 野沢敏治さんへ 石塚正英から
野沢さんの「忘れている調べ」「小学唱歌」を読んでいて、思い出した調べがあります。「ハトポッポ」です。私の爺さんは明治20年代の生まれでしたが、私ら孫たちにこう歌って聞かせました。「ハトポッポ、ハトポッポ、ポーッポポッポと飛んで来い、お寺の屋根から降りてこい、豆をやるからみな食べよ、食べてもすぐに帰らずに、ポーッポポッポと鳴いてあそべ♪」これは東くめ作詞・滝廉太郎作曲のものです。戦後生まれの私は小学校でこの『鳩ぽっぽ』は教わっていません。私は次のを習いました。「ポッポッポ、鳩ポッポ、豆がほしいかそらやるぞ、みんなで一緒に食べにこい♪」これは『鳩』といって文部省唱歌です。どちらも明治時代の作詞作曲ですが、前者はなんとなく重い、君が代みたいにしずみます。でも何度もきいて唄っていると愛着が出て、忘れたくなくなります。後者はあかるく軽やかです。声も心もだんだん上り調子になっていきます。
中山晋平と山田耕筰と
ところで戦前に作曲された、重いが味わいのある音階で私が気に入っているのは「砂山」です。「♪海は荒海、向こうは佐渡よ、雀なけなけ、もう日は暮れた♫」で始まるこの曲は、1922年北原白秋が新潟市の小学生たちに作詞を依頼され、同市の寄居浜で作詞したものです。中山晋平が白秋の依頼を受けて作曲して完成しました。でもその翌1923年夏、こんどは山田耕筰が作曲しました。その二つを聴き比べてみると、ともに短調でありますが、耕筰のはいっそう重い感じがします。とはいえ西洋音階を修得した耕筰の力作です。聴くほどに味わいが出てくるのです
(http://www.youtube.com/watch?v=jIQhDU7-Iek)。
それに対して、晋平のは幾分あかるい感じというか、民謡の調べを連想させます
(http://www.youtube.com/watch?v=A0wEXBzbbwQ)。
ところで、私は新潟県上越市で育ちました。その私からすると、耕筰のは裏日本的です。対して晋平のは表日本的にできています。むろん、長野県中野市(旧下高井郡)出身の晋平も東京都本郷生まれの耕筰も、裏日本には直接は関係しません。ですが私にすると、白秋の作詞に潜む裏日本の原風景を、晋平は表現し損ねたように思えます。白秋は自著『お話・日本の童謡』(アルス社、1924年)で文字通り日本海の荒波という音の風景を感じ取っています。
「それはさすがに北国の浜だと思はれました。全く小田原あたりと違つてゐます。(中略)その砂浜には、藁屋根で壁も蓆(むしろ)張りの、ちやうど私の木菟の家のやうなお茶屋が四つ五つ、ぽつんぽつんと竝(なら)んで、風に吹きさらしになつてゐました。その前は荒海で、向うに佐渡が島が見え、灰色の雲が低く垂れて、今にも雨が降り出しさうになつて、さうして日が暮れかけてゐました。」
晋平の楽しげな音階を聴いた耕筰は、自分なりの通奏低音的な音階をあてがってみたくなったと、私は勝手に想像しております。白秋は「砂山」を作詞するについて、松尾芭蕉の俳句「荒海や佐渡によこたふ天の川」を参考にしたという説があります。そうなると、芭蕉の世界をのぞいてみる必要もあろうかと思いますが、芭蕉については前回すでに話題にあげたので、ここでは省きましょう。いずれにせよ、いま裏日本(+東北日本)は注目の的です。関心ある方は以下の文献をご覧ください。NPO法人頸城野郷土資料室編『「裏日本」文化ルネッサンス』(社会評論社、2011年)
ふたたび「沈黙」について語りましょう
ジョン・デューイは言います。「美感は、初めから独立別個に存在する感情形式ではない。美感は表現的な物によって惹き起された感情である。そしてかかる物によって惹き起され、かかる物に結びついているが故に、美感は姿の変った自然感情から成り立っている。例えば、自然物とか風景が美感を喚び起すのである。」(John Dewey, Art as Experience. New York, 2005, p.80.)これはもう、私の大好きなフレーズです。音と音楽、それはまさしく「自然物とか風景」と「美感」の関係なのです。自然音=野音は音階というプリズムで分解された結果、音のスペクトルに分散され、それが改めて楽音ないし聖音に組み合わされます。そのとき、組み合わせに適さないスペクトル、あるいはそもそも明瞭なスペクトルに分解されえない半端な残りが雑音に区分けされるのです。
これまで、12平均律(私の比喩では12スペクトル)にそぐわない音は沈黙を強いられてきました。野沢さん、このことをご存知でしたか。<鳴らない音>が<鳴る音>を支えてきたのです。鳴らないはずの音は鳴っては困るのです。オクターブ音程を下支えする役割をもつ音は沈黙しています。沈黙音は音風景(サウンド・スケープ)の一種です。それを意識的に奏でてハイブリッド化したのが琵琶や三味線のサワリなんです。
また、たとえオクターブ音程に入る音でも、沈黙する音があります。例えば「ヨナ抜き音階」(5音音階)は抜かれた音たち(第4のファと第7のシ)が沈黙して曲のトーンを支配しているのです。これは日本の伝統的音階だと言われますが、抜かれた方=沈黙の方で印象付けられる音の世界はとても興味深いです。さきほど話題にした「砂山」は耕筰作曲も晋平作曲も、ともにヨナ抜きです。ところで、最初にお話ししました「鳩ぽっぽ」と「鳩」ですが、前者はヨナ抜きで後者はヨナありでしょうかね。読者のみなさんでご存知の方がいらっしゃれば教えてください。――そんなこと、楽譜を見ればすぐわかるじゃないか、自分で調べるか野沢さんに尋ねなさい――と言われそうですが、そこはそれ昨今流行りの双方向コミュニケーション、これですヨこれ、なにごとも心の交流が大切ですので、どうぞよろしく!
>往から復へ< 石塚正英さんへ 野沢敏治から
「むすんでひらいて」の作者は誰か
小学唱歌を思い出していたら、幼稚園の遊戯と唄も口に出てきました。ぼくの家族は敗戦後、長野県の大町で暮らしていたのですが、そこにプロテスタント教会の幼稚園がありました。園長先生は厳しい人で、嘘をついたら狼少年のようになると言ってはみんなをこわがらせていました。女の先生は優しくて、一緒に手を組んで遊戯してくれたのは楽しかったです。今でも浮かんでくるのは、誰でも知っている「むすんでひらいて」ですね。
「むすんでひらいて」は明治以来、小学唱歌となっていますが、ぼくらはその幼稚園で教わりました。先生の「さぁ、声を出して唄いましょう」の掛け声で、「ミーミレドードー、レーレーミレド、ソーソファミーミー、レドレミドー」と唄いつつ、手を結んだり開いたり、手を打って、あげたり↑おろしたり↓の身体運動をします。これなどはドイツのキンダー・ガルテンの系統につながっていて、どこかをへて明治に輸入されたのでしょうか。さてこの歌があのJ.J.ルソーの作曲だと教えられたのは学生時代であったと思います。でもそれを裏づけるものはなくて、もやもやしていたのですが、海老沢敏の『むすんでひらいて考』(1986年)が出てはっきりしました。ルソーのオペラ『村の占い師』の中の一節――現在のものとはかなり隔たっている――が後の人に取りあげられて単独で流通し、それがドイツのJ.B.クラマーによるピアノ曲で今日の曲に近い旋律に変わります。それがまた巡りめぐってアメリカで「ロディおばさんに言っといで」でほとんど現在の曲に近くなったのです。このことは知識だけでなく、自分でもこの旋律の変遷と伝播に触れることができました。1990年代にスコットランドに遊学していた時です。町のレコード屋で1950年代にアメリカ南部の民俗音楽を採集した記録のCDを見つけ、聴いている時に、やや!としたのです。「むすんでひらいて」が歌われるではありませんか。タイトルは「ナンシーおばさんに言っといで」となっているが、まさしくわれわれの「むすんで」なのです。こんなところで出会うなんて実に不思議な感じがしました。帰国後、中国と韓国の留学生に「むすんで」を知っているかと聞くと、知っていると言うのです。とうとう2003年にキング・レコードから「むすんでひらいての謎」と題したCDが出て、ルソーから始まってわれわれの知っている唄までの、100年以上にわたるヨーロッパ大陸・イギリス・アメリカ・東洋を舞台としたながーい旅が実際の演奏を通じて聴けるようになりました。テンポを長くすると賛美歌になり、通常の速さでは子守唄となり、短くきびきびさせると辛亥革命期の革命歌になる。日本では軍歌にもなる。この旋律はこんな変身を重ねて生き延びてきたのです。
こうして見ると、あの「君が代」は誰がどのようにして作曲したのか、気になります。
音符のないところに音楽はある
平均率では鳴らない音が鳴る音を支えていたということについては知りませんでした。それを別の文脈に変奏してみると、こうなります。
音学を楽しむためにはいろいろな方法がありますが、演奏家による再現芸術の方法を知ることも一つのやり方です。楽譜はよく読まねばならない。その時に音楽は音符と音符の間にあると言われることがあります。で、真っ正直に楽譜を覗いて見る。何も書いてありません。当然です。ではこのことは何を語っているのか。少し回り道をしてみます。
演劇では、とくに新劇では俳優は脚本に忠実に演じることになっています。そこで戯曲を見てみる。たとえば、『夕鶴』は幕があくと、雪の中のあばら家と赤い夕焼け空を舞台としてわらべ歌が入り、子供たちとよひょうのやり取りの後で、つうが登場します。ト書きに「つうが奥からすっと出る」とある。「すっと」というのはどういう「すっと」か。つうの前身は鳥だからか。それを説明するものは脚本しかないからあちこち探ってみる。すると、矢を射られた鶴がよひょうに助けられた、そのうれしさにつうはよひょうの女房となる。2人は仲良く暮らしていたが、ある時つうが布を織ってやる。よひょうはそれをお金に換える。それが繰り返される。そのたびにつうは瘠せていき、痛めた身体と心を癒すために沼で水浴びをする。でもよひょうは欲が出て、何枚織っても飽きない。あんなに働きものであったのに、今はぐうたらの怠け者。2人の間に隙間風が吹き出している。つうは幕あけの真っ赤な夕焼け空をどんな気持ちで眺めていたか。……これがつうが登場するまでの2人の生活史である。つうは「すっと」といっても、それだけの前史があって登場していることが分かります。そして、よひょうが汁を火にかけているのを見て、最初の台詞「まあ、あんた……」を発するのです。劇は幕が上がる前から始まっている。脚本には書いてないけれど。幕が開けてからは既に起きていた問題――2人だけの使用価値の世界を貫くか、貨幣の交換価値の世界に取られるか――が行きつくところまでいくしかないまでになっている。舞台を観るものはその生活史を根拠をもって想像しなければ劇場の席につけないのです。極端なことを言えば。
演劇の台詞がそれだけの生活の息吹をもって生まれるものだとすれば、社会科学の言葉はどうあったらよいか、考えさせられます。
すると、音楽の場合でも、時にはそのように想像を駆使して音符を読めば、味わいが出てくると思います。想像力を働かせるには、曲の構造を分析するとか、曲ができるまでの歩みを追うとかしますが、ぼくらのような素人はやはり専門家や先人の解読を参考にします。それでも大切なのは、自分の第一印象です。それがそんなことかと笑われるようなことであっても、自分との関わりで音楽を楽しむには欠かせません。楽譜を買ってきて聴きながら追うこともいいですね。指揮者にでもなったいい気分です。しょっちゅうこけてしまいますが。最初は聴き取れていなかった音が聞けるようになります。面白くなります。それにこんな発見もあります。ヴェルディの『アイーダ』のスコアを覗いていたら、テノールが歌う「清きアイーダ」の最後はPが4つ(初めて見た!)のピアニシシシモ(舌がこわばる!)をへてPが3つのピアニシシモで終わっているではありませんか。ぼくが聴いたどの演奏でも聴衆が喜ぶようにフォルティッシモで歌われていました。『アイーダ』には豪壮華麗な凱旋行進曲がありますが、全体としてはピアノが素晴らしいオペラだと思っていましたから、この発見でさらに認識を深くしました。しかし楽譜通りの演奏はまだ聴けていません。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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