第11回 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり
>往< 石塚正英さんへ 野沢敏治から
石塚さんと今回のテーマのことを話してから、『土佐日記』の冒頭を思い出し、それを標題に掲げました。『土佐日記』は高校時代に古文の授業で習いましたが、今では本文の内容は朧になりました。覚えているのは紀貫之が土佐の国司を勤め上げた後、京都に帰る、その旅の日々を記録したということです。また彼が女になりすまして平仮名を主体とする文章を書いたということです。でも男が女になれば文章になにか変化が出るのか。そもそも男が完全にと言わないまでも女の気持になれるのか。そんな疑問をもって『日記』を読んでもよかったと思うが、もう覚えていません。古文の教師はその疑問への答を教えてくれたかも知れないが、これもはるか忘却のかなたです。
この男女(おとこおんな)、女男(おんなおとこ)について、ぼくが思いつくだけのことを述べてみます。
ナンネル・モーツアルトの哀しみ
クラシック界のことになりますが、女性の作曲家はいたのだろうか、表に出てきていません。反対に演奏の方では昔から女性は活躍しています。ぼくには18世紀以後のことしか分かりませんが。声楽曲の女声パートはもちろん女性歌手が担当します。オーケストラでは20世紀になると女性が弦や木管に進出してきます、最近では金管でもその姿を見るようになりました。チューバやティンパニーではまだぼくは見ていません。演奏だけでなく、指揮者で活躍する女性も目につくようになりました。最初のころの、ほー、女性がどうやって指揮するんだろうという興味本位の受け止めは少しずつ改まってきたように見えます。
『ナンネル・モーツアルト 哀しみの旅路』という映画がありました。モーツアルトの父親レオポルドが子のヴォルフガング・モーツアルトとその姉ナンネルを伴ってヨーロッパを旅していたという設定です。父親はモーツアルトが眼隠しをしてもハープシコードを弾くことができ、作曲もできると、その「神童」振りを売り物にするのです。ナンネルはモーツアルトがヴァイオリンを弾く時にハープシコードで伴奏していました。モーツアルトは姉から見ればただのいたずら好きのやんちゃ坊主。その弟から女性は男性のようにヴァイオリンなんて演奏できないと決めつけられている時代でした。やがて姉は自分の能力に目覚めてそれを磨こうと思い、父親が息子にだけ与えていたレッスンを部屋の外でこっそり盗み聞きするのです。それが見つかってその場を離れる時のナンネルの罰の悪さと哀れさ。彼女はとうとう自立を決心します。父親との旅から離れ、子供にレッスンをして自活しながら、作曲に取りかかります。彼女はルイ16世に認められようと野心をもつのですが、結局はさまざまな障害にあって挫折する。最後は再び親子3人での演奏旅行に戻る。
ぼくはその映画を観てあのシューマンとクララとの関係はどうであったかと思いました。シューマンは大恋愛の末、クララと結婚しますが、妻となってからの彼女が作曲をすることを好まなかったらしいのです。クララの作品を録音したCDが以前に出ました。ぼくはまだ聴いていません。マーラーと妻アルマ――作曲もしていた――との関係も気になりました。アルマによるマーラーの評伝が翻訳で読めますが、ぼくはこれもまだ開けていません。
女性は『冬の旅』を、男性は『女の愛と生涯』を歌えるか?
フィッシャー・ディースカウが最近亡くなりましたね。彼はクリスタ・ルートヴィッヒから女性でもシューベルトの歌曲集『冬の旅』を歌えるかと問われ、それに対して否定的に答えたそうです。ぼくも女性に歌えるか疑うことがありました。なぜって、これは女性との愛に敗れた男が暗闇の中をその苦しみを噛んで独り歩む歌だからです。最後が村はずれで手回しオルガンを弾いている見知らぬ老人を見つめてしまう歌。よろめき、氷の上を裸足で、かじかんだ手で一番よく回そうとするが、皿には一銭も載っていない、誰も聴こうとも見ようともしない。それでも老人はすべてをあるがままにさせている。私の歌に合わせてお前の手回しを回してくれないか!……女にこの男の気持が分かるのかと思いました。中学の時に初めて聴いた時は歌曲集の中の「菩提樹」だけで、それは男がかつて愛し愛されていたころを思って歌ったものと、甘哀しく聴きました。どこか女々しいと思っていました。でもその後、全曲を最後まで聴き、自分の宿命の受容に至る(――至らないかも?)までを聴いた時、こんな音楽ってあるのかと思いました。これは男女の間のことだけでない、それを超えていると感じました。
クリスタは結局、『冬の旅』全曲をレコードにしました。女性がどう歌うか、興味津々でした。それは常にメゾ・ソプラノとしての自分を受け入れ、「中傭」を重んじていたと自ら言っていた彼女らしく、しっかり充実したものだったと思います。でもどこに女性ならではの歌い方があるかは分からなかったようです。そういう構えた聴きかたがぼくの耳を硬くさせていたかもしれません。いずれにしても彼女の先駆者はいました。彼女の後に1,2人続く者も出ました。
ではシューマンの歌曲集『女の愛と生涯』はどうか。それはシャミッソーの詩に男性のシューマンが曲をつけたものです。筋はある女性がある男性に出会い、永遠の愛を誓うようになって結婚し、やがて妊娠して子を生み、その幸福に酔ったのもつかのま、夫の死にあうというものです。そのどの情景も女性の心の奥からを生きいきと、そう心のふたをそっと開けるようにして、歌にしています。これには驚いてしまいます。女性歌手はこれを良く取り上げますが、男声歌手で歌うものはいるか?クリスタの例に倣えば、男性でできないことはないと思いますが、そういう演奏会があったとは聞いていません。CD店で検索しても男性歌手の録音はありません。なぜなのか。
女のような男と、男に変装する女
モーツアルトのオペラ『フィガロの結婚』の中にケルビーノという男女(オトコオンナ)のような役があります。ケルビーノは青(少?)年であるが、女装させると女性でもうっとりして妬けるくらいの姿をしている。ナルシスの「可愛い蝶々」。その彼が自分が仕える屋敷の伯爵夫人に腰元が着物を着せたり脱がせたり、ピンやレースを櫛につけたりすることを自分もやりたいと思うほどに憧れている!そして夫人のリボンに口づけをして肌身はなさず持とうとする!かわいそうに、とても正気の沙汰ではないのだが、そこには変態だと片づけるわけにはいかない男性の一面があります。その彼が「自分で自分がわからない」と早口で歌う。どんな女性にでも心を震わせてしまう、愛と言う言葉を聞いただけで心が乱れる、寝ても覚めても恋の言葉を水に、山に、草に、風に語らねばいられない。まさに思春期の中毒症状にかかった男の子。
ケルビーノは伯爵夫人の前でアリア「恋とはどんなものかしら」を弱音で真率に歌います。「欲するともなく、ため息も出、嘆き、われ知らず胸はときめき、震えるのです」(訳は武石英夫)と歌う。それこそ恋の甘さと不思議さではないか。モーツアルトはそこにどんな楽器を当てたのか。クラリネット? チェロ? 木管のやさしい音に誘われ、弦がピッチカートでギター的に伴奏を刻む。その歌声が歌手の身体から演奏会場の聴衆の身体にスーッとしみ入る。ぼくはワルシャワ室内オペラ団の演奏で聴きましたが、歌い終わったら自然と拍手をしていました。こういうことはあと、新劇を観た時に1回あっただけです。モーツアルトはこのケルビーノ君を女性のソプラノに歌わせています。
ベートーヴェンはそのオペラ『フィデリオ』――芯からまじめで気高さに満ちたオペラ――で政敵に囚われている夫フロレスタンを妻のレオノ―レが救うという筋に音楽をつけている。レオノーレは男装して牢番の助手になりすまし、夫を救う機会を探っている。牢番の娘がその彼(彼女)に秘かに想いを寄せるのだが、それには男として対応するが、夫の身の上を思う時には妻としての想いに揺れる。勇気をもてと自分を奮い立たせる。その歌い分けにベートーヴェンがどんな音符をつけていたか、どんな楽器を当てていたか。これも気になります。
こんなふうにみてくると、男性と女性、女性と男性の境は断絶したものでなく、微妙に触れあうところがあります。相手の性よりずっとその性らしいと感じることもありあます。
さて、日本の宝塚はどうであったか。歌舞伎はどうであったか。
>復< 野沢敏治さんへ 石塚正英から
野沢さん、そうきましたか、作曲する女性? 作曲家の妻、男声の歌、女声の歌、歌劇における男のような女、女のような男、なるほど。宝塚歌劇団であれば男役を演じる女性は当たり前で、歌舞伎であれば女役を演じる男性は当たり前ですが、クラシックの世界はまたまた奥が深いというか、底知れぬ、という感じもありますね。とくに、グスタフ・マーラーとその美人妻アルマの揺れ動き軌跡には関心があります。でも、ここではクラシック界には入らないでおきましょう。映画音楽から話題を拾いましょう。
パリのめぐり逢い
音楽における<男と女>というテーマは、私を「シャララ・ダバダバダ♫」にむかわせます。クロード・ルルーシュ監督『男と女』(1966年)の主題歌(フランシス・レイ作曲)です。「たちきれぬ過去の想いに濡れながら 愛を求める永遠のさすらい ………その姿は男と女」(公開当時のキャッチコピー)とは、いまではウィキペディアに記されています。そのあと、私を惹きつけた<男と女>は、同じクロード・ルルーシュ監督『パリのめぐり逢い』(1968年)の主題歌(フランシス・レイ作曲)です。「パリのめぐり逢い」「カトリーヌのテーマ」「キャンディスのテーマ」など、封切り館で耳を澄ませて味わいました。
イブ・モンタン扮するロベール・コロンブはやがてヴェトナムに向かう既婚のニュース・リポータで、キャンデス・バーゲン扮するキャンディスはソルボンヌ大学にかよう若くキュートな女性。ケニヤにおける二人のしばしつかのまの密なる生活、そこにはたしかに<男と女>の恋があった。でも、けっきょくは一人になったコロンブによりそっていた妻カトリーヌとの間には<男と女>の愛があった。ここに描かれている情景は、「男もすなる浮気といふものを、女もしてみむとてするなり」とは違うのです。『男と女』のアンヌ(アヌーク・エーメ)とジャン・ルイ(ジャン・ルイ・トランティニャン)は双方とも連れ合いを亡くしていたので浮気でない、といったレベルではないのです。
そのように感じ入った19歳の私は、音楽の力におおきく揺すぶられていたのでした。その背景には、もう一つの恋愛映画、パステルナーク原作『ドクトル・ジバゴ』(1965年)がありました。ロシア革命下、命がけの自由恋愛を求めるジバゴとラーラの、冬のヴァリキノにおける愛の生活は、「ラーラのテーマ」を聴くたびに眼前でミメーシスとなります。チャップリンの娘が扮するジバゴの妻トーニャ、彼女とジバゴ、ジバゴとラーラ、いずれも切なくやるせなく、それでいてどこまでもうつくしい。
これらの映画音楽に接して、私はたしかに<男と女>を実感しました。1968年、ちょうど大学受験に失敗して、長野市で浪人生活をしている時でした。たしか、市内千石にある映画館でその幾つかを見たように思います。実はその頃、私は実生活でこそ<男と女>に埋没していたのです。1996年になって1968年当時を回想したある文章を引用しましょう。――――――――
「じゃ、自分の考えなんてそっとしておけばいいでしょう! なぁに、愛しておれば、思想なんて問題じゃありませんよ。僕の愛している女が、僕と同じように音楽を愛していたって、それが僕にとってなにになるでしょう! ぼくにとっては、その女こそ音楽なのです! あなたのように、愛し愛される可愛い娘があるという幸運にめぐまれたら、彼女は自分の好きなものを信ずるがいいし、あなたはあなたで自分の好きなものをなんでも信ずればいいのです。結局、あなたたちの思想には、優劣はないのです。この世には真実のものは一つしかありません。それは、愛し合うことです。」(ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』から)
このメモを執ったとき、18歳の私は、田舎に暮らす或る女性への炎のごとき恋愛のるつぼに、乱調の美の真っ只中に身をおいていた。そしてまた、ちょうどその頃、一方ではカミュ『異邦人』の非合理を地肌に快く感受し、他方ではジェルジュ・ルカーチ『理性の破壊』における合理で理論武装し、しかもひそかに蠱惑のジュリエットと清廉のジュスティーヌにアンビバレントな好意を抱いて惹きつけられるなど、目標の定まらない思想的自己革命を開始しつつあった。何が成果で何が敗北か、それは、行動しつつも時にはっとしてふりかえる己れの生きざま=轍(わだち)にも、にわかには見いだせなかった。しかし諸関係に凪がおとずれ、しばし静寂をえて読書ノートに一瞥を投げやる佇みにおいて、私はわが身体をもってペンを走らせた紙片に出立や転変、紆余曲折の軌跡を発見したのである。――――――――
<女心を紡ぎだす男>と<男心を醸しだす女>
さて、歌謡曲の世界では女も男も作詞・作曲します。むろん、男性のほうがおおいですが、女性もたくさんいます。作詞家の草分けに、安井かずみ(1939~1994)がいます。伊藤ゆかり「恋のしずく」(平尾昌晃作曲、1968年)、アグネス・チャン「草原の輝き」(平尾昌晃作曲、1973年)、沢田研二「危険なふたり」(加瀬邦彦作曲、1973年)、などなど。最初のは「肩を濡らす恋の滴♪」という出だしです。真中のは「居眠りしたのね いつか 小川のせせらぎきいて♯」、そして最後のは「今日まで二人は恋という名の旅をしていたといえる♬」です。その3つとも、私には<女心を紡ぎだす男>とか<男心を醸しだす女>とかの印象はうかがえません。
ところが、美川憲一のある種の曲はがぜん女心を男に歌わせる歌詞となります。例えば「さそり座の女」はこうです。「いいえ私はさそり座の女 お気のすむまで笑うがいいわ♭」これは斎藤律子の作詞(中川博之作曲、)です。女性作詞家が男性歌手に女心を唄わせるのです。対して、同じ美川の「たまらなく淋しくて」は同じく女心を男に歌わせる歌詞ではありますが、作詞(石原信一)も作曲(弦哲也)も男です。唄い出しはこうです。「たまらなく淋しくて 独りネオンの海さまよえば♫」。歌謡曲、ことに演歌は、女と男、男と女が作曲家も作詞家も、そして歌手も三つ巴に絡まりあうジャンルなのでしょうね。
ところで、ビリー・ホリディを尊敬した歌手、故浅川マキは<女心を紡ぎだす男>を演じる女として高く評価できます。「ちっちゃな時から 浮気なお前で いつもはらはらする おいらはピエロさ♩」(「ちっちゃな時から」、むつひろし作曲、1972年)、「あんたのこと 忘れたよ 忘れたよ 寂しいね♪」(「忘れたよ」、近藤等則作曲、1982年)。浅川は、ときに男性作曲家、例えば―山本幸三郎、かまやつひろし、むつひろし、山下洋輔、近藤等則、後藤次利、本多俊之など―と組んではいますが、かなりを自身で作曲しているのです。寺山修司の作詞でグッと聴かせるもの―例えば「ふしあわせという名の猫」(1970年)、「前科者のクリスマス」(1970年)―もあるのですが、シンガーソングライター浅川マキの<男と女>世界はまったく独創的です。長谷川きよしの「黒の舟歌」(能吉利人作曲・櫻井順作詞)とはちがいます。こちらは<男と女>の間のほのかな願望をにじませるのです。「男と女の間には 深くて暗い川がある 誰も渡れぬ川なれど エンヤコラ今夜も舟を出す♭」。対して、浅川のは、余韻は有るけれど、白々した朝がやってくるだけです。男もいい、女もいい。いてもいいが、いなくてもなんとかやっていく。・・・心に沁み入ります。
音楽を愛のメロディー、恋のリズムと思えば、音楽を日常の友とする人たちは、たくさんの創作恋愛を仮想体験してきたのではないでしょうか。いま思えば、浅川マキの「ふしあわせという名の猫」「忘れたよ」など、同性愛の将来を見とおしていたともいえるのではないでしょうか。そう簡単には癒されたくない心の空(あな)、そう簡単には埋められたくない心の空(あな)、そこにしばし佇む、そんな音と音楽を、みなさんぜひ探して聴き入ってください。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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