音と音楽――その面白くて不思議なもの(12・完)

著者: 野沢敏治・石塚正英 のざわとしはる・いしづかまさひで : 千葉大学名誉教授・社会思想家
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12回 文化の耳あるいは音の文化誌

>往< 野沢敏治さんへ  石塚正英から

 シリーズ最終回ですよ、野沢さん。ここは私の問題関心であります感性文化から話題を拾います。文化の耳あるいは音の文化誌です。なお、最初に述べます自然音の擬音化についてはこのシリーズ第2回で触れましたが、あらためて考えてみたいです。野沢さん、しばしお付き合いください。

擬音の耳は文化の耳

 ちょっと古い歌謡曲ですが、森昌子『越冬つばめ』(作詞:石原信一・作曲:篠原義彦)には「ヒュルリー、ヒュルリララ」という歌詞があります。越冬なのだから、きっと銀白色をした、さむざむとした、身を切るような風なのでしょう。その擬音はつぎのように唄われます。「季節そむいた冬のつばめよ 吹雪きに打たれりゃ寒かろに ヒュルリー、ヒュルリララ ついておいでと啼いてます」 いやぁ、心が凍えそうですね。たとえ自然音をまねただけであろうとも、自然音(北風)自体がそのように聞こえる演歌のせつない心象は、否定できないのではないでしょうか。

 また、野鳥のさえずりは生態系中の自然音ですが、籠の小鳥のさえずりは品種改良されて人工音となってはいないでしょうか。たとえばカナリアです。ウィキペディアによれば、これはアトリ科に分類される小鳥を原種として品種改良された愛玩鳥フィンチの一種だそうです。あの見事なカナリア・イエローは、むろん品種改良の結果です。鳴き声はどうでしょうか。もともと、鳥の声はオスがメスへ求愛する行動の一つです。なので、自然音としてもそうとう美しい音色です。それが人間生活に入り込むときには、改良ないしセレクトされて人の感性に癒しとなるような音色になったことでしょう。そうなれば、一種の人工音とみなせましょう。カナリアは「金糸雀」と表記するので、鳴き声=音色も金糸色です。子どもの頃、わが家にはしばらくカナリアが籠にいましたので、そのように記憶しています。

 それから、夏鳥の一種ブッポウソウという野鳥は、けっしてブッポウソウとは鳴かず、ゲゲゲーッ、ゲーッと鳴くのです。でも姿がとても美しいので、ブッポウソウと鳴くのだと、人間たちが勝手に思い込んできたのです。ブッポウソウと鳴くのは、じつはフクロウの仲間コノハズクなのです。姿は美しくありません。その姿を見たなら、絶対に「ブッポウソウ」とは聞こえないはずです。それから、コノハズクの鳴き声を「ブッポウソウ」と聴くのはブッポウソウとコノハズクを取り違えたうえで、さらに仏教の三宝である「仏法僧」を知っている人の文化的聴音であって、自然音と人工音のコラボレーションとも解釈できまっしょう。日本に飛来する夏鳥には、ほかにも面白い泣き声のがいます。たとえばキョロキョロキョロリーン(アカショウビン)、ツキヒホシ、ホイホイホイ(サンコウチョウ)。これは月日星、と鳴き始めるのでサンコウチョウというのです。ピピピッ、ピピーッ(サンショウクイ)。山椒は小粒でもピリッとくるような感じの鳴き声なので、サンショウクイなのです。

文芸に語り継がれた音文化

 さて、ここで話題を文芸に語り継がれた音文化にかえましょう。清少納言の『枕草子』には平安時代の音文化(音の意味内容・価値基準など)がふんだんに記されています。例えば秋の情景を述べた部分に有名な以下のくだりがあります。「秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず」(第一段)。次に嵐の意外な趣を引こう。「風は嵐。三月(やよい)ばかりの夕暮れにゆるく吹きたる雨風。/八、九月(はづき、ながつき)ばかりに、雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。雨の脚横さまに、騒がしう吹きたるに、夏通したる綿衣(わたぎぬ)のかかりたるを、生絹(すずし)の単衣(ひとへぎぬ)重ねて着たるも、いとをかし。いと所狭く暑かはしく取り捨てまほしかりしに、いつのほどにかくなりぬるにかと思ふも、をかし。/暁に、格子・妻戸を押し開けたれば、嵐のさと顔にしみたるこそ、いみじくをかしけれ。/九月つもごり、十月(かんなづき)のころ、空うち曇りて、風のいと騒がしく吹きて、黄なる葉どものほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。桜の葉・椋の葉こそ、いと疾(と)くは落つれ。/十月ばかりに、木立多かる所の庭は、いとめでたし」(第一九〇段)。

 時代は下って、松尾芭蕉の作品には江戸時代の音文化がふんだんに記されています。例えば次のような俳句がその代表でしょう。「古池や蛙飛びこむ水の音」。ここでは音が沈黙という精神的様態=抽象の趣きを表現している。どこにも「シーン」などといった擬態語はない。これは、同じく蛙を詠んだ句でも小林一茶の「やせがえる負けるな一茶ここにあり」とあまりに対照的な俳句である。こちらは飛び跳ねる蛙が、具象の趣きをもって目に浮かんでくる。それから、「夏草やつわものどもが夢の跡」。ここでは、生い茂る夏草のざわめきから在りし日の合戦が連想されよう。

  ところで、文学に表現される音は、いつも風雅を旨とするとは限らない。日常生活で不快な音、うるさい音は、文学の世界でも同様に扱われる。しかし、文学作品や戯曲では、例えば外で雨がしとしと降っている様子を描くのに、けっしてその情景を擬音語では表現しないと思われる。むしろ言葉や身振りによる演出のほうがいっそう効果的に情景を表現できるということなのだろう。民間信仰や農耕儀礼で奉納される里神楽などは、まさに演戯(儀礼の演舞唱和)をもって現実(農耕のプロセス)に迫真の表現を与えているのである。

腹痛の音はドッカーン

 ところで、もし腹痛が生じた時に体内から生じる音を「ドッカーン」と表現する子がいたとしましょう。通常は「ギュー」、「キュルキュル」「グーウッ」とか、「ゴロゴロ~」とかで相場はきまっているでしょうに。けれども、現在の子どもたちは、音をそれのみ単独で感性化しがちです。どうにもこらえられない痛さ、それをとっさに「ドッカーン」とか「ドッーン」とか、過剰に表現するものと思われます。

 けれども、私は、痛みだけでなく、おならやクシャミなどの生理音は、さまざまな感覚の連合とさまざまな観念の連想を通じて体内に鳴り響くのだと思いたいです。その連合なり連想なりは、よく言葉=文化を介して出来上がるのです。「ジュゲムジュゲム、痛いの痛いの、飛んでいけ~!」、「ボクはおにいちゃんなんだからガマン強いんだぁ~」。自然感覚としての痛みを和らげる言葉=文化を知らない人は、文化感性によって痛みを和らげることが出来にくいのではないでしょうか。こうして人は、音を文化の耳で聞いているのです。それが人なのでしょう。

身体に刷り込まれた音=声の文化

 鎌倉仏教に特徴的な「念仏」は、音というより身体からの発声ですが、これは下層民を宗教文化的に統合する言霊(ことだま)の一種なのです。念仏は、自己(信徒・行者)の内面にむかって唱えられるものです。弥陀の名号を声に出して念仏を唱えるからといって、言葉はけっしてコミュニケーションの道具というものではありません。「南無阿弥陀仏」すなわち「弥陀に帰依する(南無する)」と内面にむかって発声することで信仰を証しそれを実現する行為なのです。

 念仏は相手を想定しない発声ですが、旧約聖書の冒頭にも似たような発声が記されています。それによれば、この世は神の言葉によって始まるのです。「光あれ!こうして光があった」という具合に。この言葉はコミュニケーションとしてあるのではなく、たんに存在の確定としてあると言えましょう。そのような言葉は絶対に相手を想定できないものです。では、この行為には意味がないのでしょうか。いいえ、おおいに意味があるのです。言葉を発する行為は有の起点なのですから。すべての始まり、根原を境界領域にすえている。これから有がはじまる極み、というところでしょうか。わけのわからないモノとしての混沌とはちがい、わけのわからないモノさえも存在しない。あるいは、わけがわからなかろうが、いわゆるモノ=実体を前提した上で、これと相関関係にある非実体。言葉はそれを有に転じる契機なのです。

 また、昔アルキメデスがとても苦心してようやく風呂場で王様の冠の金の含有量を決定する方法を見つけだした刹那、「ユーリカ!(ついに、ついにわかったぞ!)」と叫びつつ、素っ裸のまま外へ駆け出していったという話です。このときの彼の言葉「ユーリカ」は、誰かに何かを伝えたいための言葉でなく、自己確認・自己定立の極みに発せられた感動の言葉といえましょう。それ自身にはとりたてて意味はないものの、それまでの沈黙の営みをすべて象徴してあまりある言葉となっているのがわかります。

 相手を想定できないコミュニケーションとは、そのような自己の存在の確定とか確証にかかわる言葉なのです。この言葉は、発せられた瞬間には相手を想定しません。まして相手を特定したりしないです。身体外にほとばしり出た自己の魂なのです。もし、この魂に感じ入ってこちらを向く人がいたとしても、言葉はそのために発せられた訳ではない。説明の言葉など、興ざめ以外の何ものでもないでしょう。

>復<  石塚正英さんへ  野沢敏治から

 この対論、今回で1年になりました。よく続けたものです。石塚さんの才気煥発と知識の広さに刺激され、いつもピーンとくるものがあり、楽しんでやってきました。時にははめをはずしそうになったり、反対に考え込んでしまったりした時もありました。

 音の文化誌や文芸の中の音を特に考えたことはありませんが、ぼくには次のようなことが思い浮かびます。

自然音の表記は難しい

 擬音は映画で使う仕掛けであって、自然音を道具で再現するものですね。では音を文字で表現しようとしたらどうなるでしょうか。普通は音はいろいろな文字にされています。物が川に落ちたら「ドボーン」、電車がガードの上を通過したら「ガ―」、等。でも改めて自分で聞いて文字にしようとしたら、実に難しい。そんなことはとても不可能だと気づきます。雀は一般には「チュン、チュン」ですが、今これを書いている時にも窓の外で雀が鳴いています。意識して耳を傾けると、どうもチュンチュンだけでない、別の音が混じります。それがうまく表記できない。

 そのことで思い出すのは、「日本野鳥の会」の会長にもなった中西悟堂です。彼は鳥のかご飼いを止めて放し飼いを実践した人です。その人が『野鳥と共に』(昭和15年)の中で、鳥の鳴き声を表記しています。日本の雀は臆病というか、警戒心が強くて、人を見ればすぐに逃げてしまいます。それがイギリスでは木の茂みに入ってパンくずなどを投げていると、いろいろな鳥がついばみに近寄ってきます。日本の雀のように身近にいるロビンもやってきます。それらは時には指につまんだものをすばやく失敬して飛び去ります。少し慣れると肩に止まって餌をねだります。どうしてそんなに人を恐れないのか。餌が無さすぎるので人を警戒する余裕がないと言う人もいましたが、本当のところはよく分かっていません。中西は日本でイギリス式の交流を雀とできた人です。彼が家の外でチュッと呼ぶと、サッと雀がやってくる。人が珍しがって「何鳥ですか」と聞く。「スズメです」と言うと、みな驚いてしまう。彼は「スズメの学校の先生」になったのです。

 中西は上掲の本で雀の鳴き声をこう記します。「シリシリ、シリシリリ」。餌をねだるときには弾けるように「チリッ、チリッ」と鳴くらしい。ぼくらにもそう書かれればそう聞こえます。家族と一緒の時の囀りは「チュン、チュン、チュクン」。状況によって鳴き声に違いがあるらしい。こんな鳥先生ですから、鳥の鳴き声の表記はかなり正確だろうと予測できます。例えば、鶯は「ホホーホキョ。ケケケケケケケッ、キョ、ケッ、キョ」。下線部分は彼がつけたもので、他より高く出る音の印。例のコノハヅクは「ブッポーソー」でなく、「ブッ、クヮッ、コー」。表記の勉強になりますね。

 文化を媒介にした自然音

 ぼくはどういうわけかよく犬に吠えられるので、犬は好きでありません。英語では犬の吠え声をBowwow「バウワウ」と書きます。イギリスでは一般に犬はよく躾けられていて、今の日本での盲導犬のようにおとなしいです。街中では鳴き声をほとんど聞きません。かわいそうなくらい主人の言いつけに従順です。それがイギリス滞在を終えて日本に帰ったら、犬の元気なこと、生き生きと鳴きたてます。キャンキャン、ワンワン、ワオ―ワオ―。実にうるさい。でもイギリスでも田舎のある家を訪ねた時には、番犬がぼくの姿を見て吠えました。吠える犬もいるんだと思い直しました。その鳴き声ですが、「ワンッ、ワンッ」と聞こえました。ぼくは「日本人の耳」をもっていたのです。

 何十年もイギリスで暮らした日本人であれば、イギリス人と同じように聞くのでしょうか。

文学の中の音(1) よだかの鳴き声

 中西の本に戻りますが、気になってヨタカ(怪鴟)についての記述を見ました。それは同書にある写真で見ると、ぼろ切れをまとったようなちょっと異様な風体をしています。黎明前のまだ暗い時か、黄昏後の闇が近くなってきた時に鳴くと説明があり、鳴き声は「キョッキョッキョッキョッキョッキョッ」、または「コッコッコッコッコッコッ」と記されています。ぼくは北海道に住んでいた時にちょっと鋭いその鳴き声を聞いたような覚えがあります。これは賢治が童話『よだかの星』で取りあげた鳥です。それは「よだかは、実にみにくい鳥です」と始まる。ヨタカを「夜鷹」と書くと、新派のある劇にもその役として出てきますが、蔑まれた者の中でもさらに蔑まされた者に対する呼び名になっています。賢治はそれを「青く美しく」燃え続ける星にするという、よくもまあ、あんな凄い童話を書いたものです。

 よだかは死のまぎわで本物の鷹のように鳴きます。「キシキシキシキシッ」と。

 文学の中の音(2) 「おさの音」

 三好十郎は『斬られの仙太』(昭和9年4月出版、同年5月に中央劇場で初演)を出しました。これは幕末の筑波近在を舞台に、真壁の百姓・仙太が博徒となって水戸・天狗党の世直しの活動に参加するが、裏切られて峠で切り落とされると言う筋です。全10場、どこをとっても切れば血の出るような台詞の連続です。最初の場「下妻街道追分土手上」においてですが――仙太の兄は村の困窮を見かねて貢租の件でお上に強訴する。それが咎められ、お仕置きを受けたうえで田地は召し上げ・村方お構いの刑を受けることになる。仙汰はその罰を軽減してもらおうと道行く人に署名を哀願するが、どうやっても無駄。役人や刑吏に御慈悲をと訴えるが、蹴倒される。

 三好はその時の仙太の悔しさ「歯をバリバリ音させて」(ト書き)と書いています。

 いったいに三好の音表現にはこのように生身の身体が割けるかよじり出すものが多いです。戦後まもなくして発表された『廃墟』(昭和22年)ではその種のものがギラギラ出ています。ぼくはそれらとは別に『おさの音』(昭和16年脱稿、18年に文化座が築地小劇場で上演)でのような音感覚に気持が動きます。

 この戯曲は戦争で傷を負い、盲目になった主人公が生まれ故郷に戻って、これからの人生をどうやって生きていくかを筋にしたものです。目が見えないと、目が見えていた時には聞こえていなかった音が聞こえてくる。耳ざとく聞きつけるようになる。普通人には聞こえない谷からの水車の音も彼には「ギー、ゴトン、ギーゴトン、…ギーギー、ドサン」と細かく聞き分けられる。そして今まで見えていなかったことが心に見えてくる。じっと無言でいる人の気持も手に取るように分かる。村の人は戦争の犠牲になった彼に誠意と配慮をもって接するが、彼はそれ感謝しつつも、自分1人でも生きていこうと思い悩む。その時に水車の音が彼を励ますかのように聞こえてくる。でも彼はどう自立するか、迷う。この迷いは境遇が変わる前には出なかったが、境遇が変わってみてそれが自分の正体であったと気づく。考えつめた出した結論が次のこと。彼には許嫁がいて彼のことを親身に考えてくれるが、彼女を自由にし、自分のことは自分で始末しようとして、婚約を解消しようということ。彼はちょっとひがんでいたのである。その時に聞こえてきたのが、遠くからの機織りのおさの音、「トントンハタリ、トントン」。

 その音は戦中に復活した家庭での機織りの音であって、初めは自分にとって「何の音」か分からないでいる。だが聞いているうちに、それは子供のころに母親が自分たちのために反物を織ってくれた時の音であったと思い出す。それが次第に高くなって響いてくる。主人公はもっと思い出す。反物は母親が子供のために愛情をもって、でも自分自身には愛情を求めずに織ったものであった。そして、そういう愛情は親の子に対する愛情だけでなく、どんな愛情にも当てはまることと考えを深めていく。愛は本当に深くなれば、愛する相手を縛らずに自由にするだけでなく、同時に無理して相手を突き放すこともしない。こうして彼の心はだんだんわだかまりのないものになる。その母は今はいないが、機織りの音は母の愛を思い起こさせることで、実は残された者を迷いから守ってくれたのだと、この時になってやっと分かる。そこで、許嫁と一緒にこれからの人生をやり直そうと思い直す。

 おさの音に彼はこころ安らかになります。「ああよい音だ」。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study529:120708〕