2015年6月15日
戦争法案反対の国会包囲行動に出かけた
昨日、午後2時から開かれた「とめよう! 戦争法案 国会包囲行動」に連れ合いと出かけた。元の職場の有志で最寄りの地下鉄の改札口に集まり、地上へ出ると、周辺の歩道はくまなく人があふれ、少し歩いて国立国会図書館近くの歩道まで移動した。そこで約1時間半、スピーチに聞き入ったり、合間に行われるコールをしたりした。
スピーチの中では、沖縄のうるま市から来た大学生のAさんのあいさつが印象的だった。
「私は米軍ジェット機が墜落した、あの宮森小学校出身です。
東京へ来ると米兵が歩いていない。戦闘機の爆音が聞こえない。
・・・・・・
私は今、ここで貴重な体験をしています。
私は選挙権を持って初めての選挙が去年の知事選でした。
・・・・・・
あきらめたくない。思考停止したくない。・・・・」
(注)宮森小学校事件
1959年6月30日、10時20分、2時間目が終わった時刻に嘉手納基
地を飛び立った米軍ジェット機が炎上、墜落し、生徒11名と近所の
住民7名が死亡、200名を超える人々が重軽傷を負った事件
主催者発表で2万5千人。しかし、昨夜のNHKニュース7は見事にスルー。一昨日の1万7千人の集会も同様。
他方、昨夜のニュース7は香港で選挙制度改革案の採決を前に数千人のデモがあったこと、その背景には制度改革を抑え込もうとする中国への不満、さらには中国人観光客が高級ブランド品を買い占めることへの不満もある、とまで話題を展開、嫌中意識はしっかり、かき立てていた。
にもかかわらず、自国の平和憲法を死に追いやろうとする法案に反対して国会を包囲した民意は無視。
官邸広報とどこが違うのか
昨夜、アクセスしたツィッタ-には、こんな書き込みが。
https://twitter.com/kou_1970/status/610032434726371328
「7時のNHKニュース、香港の『数千人』のデモを延々と伝えたが『数万人』の日本の国会包囲デモにはまったく触れず、「数千人」の渋谷の若者たちのデモなんか完全無視。NHK、恥を知らないらしい。でも、なんでこんなロコツなことが出来るのだろう。」
リツイートは1,424(6月15日、17時30分現在)。
55年前(1960年)の今日6月15日、安保条約の強行採決に抗議する35万人が国会周辺を埋め尽くした。今の事態は当時をはるかに超える、戦争の危機、憲法破壊の危機が現実のものとして差し迫っている。
2万5千人ではとうてい少ない。20万人、30万人の民意が国会周辺を埋め尽くす状況を作ることが悪法案を廃案に追い込む唯一の方法だと思う。
国民の目を中国・韓国(連日のMERS報道など))の失政、両国のマイナス・イメージのニュースに仕向け、伊勢志摩サミットなど「安倍政権浮揚の話題」は政治部記者の解説付きでクローズアップ、女子サッカーの話題で国民を歓喜させようとするNHKの「あざとい」話題選別、情報操作をしっかりと射止めて視聴者に打ち返す運動が必須になっている。
昨夜ここまで下書きしたところで知人からメールが届いた。開くと、NHKがニュース7の後の時間にNHKが、戦争法案反対の国会包囲行動等を伝えたとのこと。
ニュースウェッブに掲載された次のような動画付ニュース原稿が貼り付けられていた。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150614/k10010114461000.html
何時のニュースか、わからなかったので、「テレビでた蔵」で確かめると、20:45~21:00の時間帯のニュースの一コマだった。
http://datazoo.jp/tv/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E6%B0%97%E8%B1%A1%E6%83%85%E5%A0%B1/865596
昨日はニュースウオッチ9はなし。(あっても伝えたかどうか、不確かだが)
だったら、もっと多くの人が見るニュース7でなぜ伝えなかったのか?それほどのニュース価値はないとNHKは判断したのか?
しかし、北海道砂川でのひき逃げ事件は、6月8日~12日と連日報道。昨夜は事件から1週間という前置きで、何度も聞いた情報、何度も見た映像を使いまわして2分37秒かけた。
「何を伝えるべきか」ではなく、「何で時間枠を埋めようか」と思案しているようだ、というと言い過ぎか?
こうした番組編集は、これまでからNHKのニュース番組で見られた話題選別・アリバイづくりの手合いであるが、以前は「目立ちにくく」だった。今は、「なりふり構わず」になっている。
しかし、被害者には痛ましい事件にせよ、一つの刑事事件である。それと、一国の平和と安全、人権に根底からかかわる憲法を大転換させる政権の動きに対して示された大きな民意を報道する価値をNHKはどのように比較秤量したのだろうか?
政権に不都合な話題はすり抜け、政権に追い風となる話題は持ち上げる・・・・これでは官邸広報と、どこが違うのか?
会長がだめだからの言い訳は通用しない
そんな放送局、そんな番組編集に従順な役職員に手厚い待遇をする原資を差し出すいわれは視聴者にはない。
そういう番組制作のために自分が収めた受信料を使われたくない、そういう放送、あるいは今の安倍政権と似て、視聴者が何をいっても聞く耳を持たないNHKの姿勢が改まるまで受信料の支払いを停止するのは自分の良心に忠実な視聴者のまっとうな行為である。
ここまでくると、「会長が籾井氏だから」などと言うのは言い訳である。本当にあのような品性・知性の会長のせいで、つくるべき番組、伝えるべきニュースを伝えられないのなら、「籾井会長がどうの」という前に、そういう自分たちをふがいないと煩悶する意識が、NHKの役職員にあるのかどうかを問うことが先決である。
「激励が大事」という名のもとに、こうした根源的な問いかけを、のらりくらりとすり抜けるNHK役職員、労組の習性を放置したのでは、はれ物には近づかない、触らないというNHKの体質は、会長が誰になっても営々と生き続けるのではないか?
今のNHKの全役職員に差し向けるのにふさわしい言葉は、やはり、茨木のり子さんの次の詩だと私は思っている。
「初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ」
(茨木のり子『自分の感受性くらい』1977年、花神社、15~16ペー
ジ)
初出:醍醐聰のブログから許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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