駐在員と流れ者-はみ出し駐在記(58)

モニカに英語を教えてもらったり夕食に行ったりで、ローラとはちょっと空いていた。モニカはいいんだが、しっかりし過ぎていて疲れる。何かあると、きちんと説明されて、気がついたら説得されている。英語のハンディもあってのことにしても、これが続くと、出来のいい姉に頭の上がらない不出来な弟のような気になる。

 

しっかりしているのはいいことだし、優点でしかないはずなのに、し過ぎているとそれが欠点になってしまうことがある。優点が大きければ大きいほど、欠点になったときも大きい。モニカ以上にしっかりしているか、モニカに頼りっきりのだらしのない男でないと、モニカとは長続きしないと思うようになった。行き当たりばったりのハプニング人生に生きようを感じているものには重荷になってしまった。

 

「扇」を辞めてから、ローラがどこで何をしているのか気にはなっていたが、追いかけなかった。二三ヶ月は空いていたと思うが、久しぶりにローラに電話した。「ギンレイで働いている」と聞いたが、どうせ会いにゆくのなら、季節も季節だし、クリスマスプレゼントでも持っていった方が気が利いている。何にするか思いつかないまま、サックス・フィフス・アべニューに行った。同じブランド品でもサックスではちょっと高い。多少高くても、どうせ買うならサックスの方がいい。何がいいかと思いながら入って、化粧品売り場でつかまった。売り子に進められるままに「Joy」を買った。香水に関する知識など何もない。ローラに会いにゆくのに何かが欲しいだけで、気の利いたものであれば何でもよかった。

 

「ギンレイ」という名前は聞いたことがあったが、どこのどんな店なのか知らなかった。「銀嶺」のドアを開けて、なんだこりゃと思った。マスターが言っていた意味が分かった。ピアノバーではなく、日本によくあるクラブのように椅子を詰め込んでいて騒がしい。手をちょっと伸ばせば隣の客がいる。ゆったりした気分など望むべくもない。

 

出てきたウェイターにちょっと待ってという素振りをして、さっと見渡した。ローラは直ぐそこにいた。奥の方でなくてよかった。話している客に邪魔して申し訳ないと一言いって、「持ってると、どこかに置き忘れちゃうから」「元気そうじゃないか、久しぶり、これクリスマスプレゼント」だと早口で言って、ちょっと距離があったのでローラの膝の上に「Joy」の包みをぽんと放り投げた。嬉しそう顔は見せたが、客もいるし話はしなかった。

 

包みを放り投げて、そのまま振り返って、ウェイターにすまないという顔をして「銀嶺」の客になった。席に案内されて、ウィスキーのソーダ割を頼んだ。待っている間に日本人ホステスがでてきた。日本人は「よしこ」以来だった。客は日本語でリラックスしたいと思っているところに、日本人ホステスの絶対数は限れている。日本人というだけで希少価値がある。「銀嶺」のようなところにというより、ピアノもないし狭苦しい「銀嶺」のようなところだからこそ日本人ホステスなのかもしれない。

 

邦子だと自己紹介された。やせて小柄でちょっと見には若く見えるが、三十は超えてたかもしれない。五歳近く年上のお姉さんという感じだった。何を話しても日本語、言葉のないところの意味すら通じる。お互い何らかの理由で、日本には収まりきらずに、ニューヨークくんだりまできてしまった。そこで偶然出合った。場所はバーだが、そんなことはどうでもいい。当たり前の話だが、日本だったら、日本人はいくらでもいる。でも、そこはニューヨーク、英語の不自由なマイノリティとして片意地張って生きている。英語でしか話のしようのない相手とは違う。日本語で話が弾めば、片意地なんかどこかにいってしまって、ざっくばらんになるのに時間はかからない。

 

話題にも話し方にも地方色がない。あれと思って訊いたら、生まれは杉並で高円寺か新宿あたりでうろちょろしていた。お互いに知っている店もある。弾んだ話が店だけで終わらない。閉まったところでブラッセリに朝飯にいった。まるで新宿辺りで会って話しているように雑談から雑談が続いた。

 

翌週、電話がかかってきた。「バカバカしいから店には来ないで。二時頃にピックアップに来て。このあいだのように朝メシに行こう。。。」おいおい「銀嶺」にはローラに会いに行ったんで、お前に会ったのはハップニングだったとも言えない。先週と同じ邦子のお気に入りのブラッセリで、先週よりくだけた話になった。マンハッタンで共通の日本の話題があるというだけで、こんなに簡単に親しくなれちゃうのかと、女っ気のない野暮天には驚きだった。

 

「二時に終わるから迎えに来い」はいいけど、じゃあ、それまで何してろっての?下宿でおとなしくしていて、一時頃から出かけられるような、のんびりした性格じゃない。「扇」で飲んで時間調整したのはいいが、一時半頃にそくさくと出てゆこうとしたら、マスターがあれっ何という顔をして、「この時間に?どこいくん?」マンハッタンの水商売の日本人社会は狭い。内緒にしておこうとしたところで、遠からずどこかからマスターに抜ける。「うん、ちょっと『銀嶺』に邦子をピックアップに」「なんだい、あの痩せこけの邦子?ローラじゃなかったのか?」知ってるだろうと思ったが、やっぱり知っていた。「うん、ちょっと、ごめん、行って来る」マスターの呆れたという顔を背中にして出て行った。

 

邦子は形だけの留学生だった。滞在許可を目的とした邦子のような流れ者を受け入れるというのか、お客さんにしているアートスクールがある。学校にはろくに行ってない。なんの目的でマンハッタンにいるのか分からない。訊きもしないのに私的な話になって、バッグから綺麗に折りたたんだ女性週刊誌の記事をとり出した。折り目が痛んで破れそうになっていた。破れないように注意しながら開いて、「これ、あたしだよ。でも全部ウソだけどね。。。」

 

記事は若くして成功した表参道のブティックの女性社長のインタビューだった。油職工には、別世界の目のくらみそうな内容だった。その成功したブティックはもうないんだろう。何をどうして何があったのか聞いてもしょうがないし、言わない限りこっちから訊くことでもない。おそらく誰かの何かの目的があってのやらせ記事なのだろう。ただ、それがやらせであったとしても、内実を知らない人たちには輝いた話で、若くして成功したビジネスウーマンにしか見えない。日本にいられないのか、いたくないのか、マンハッタンに流れてきて、たとえウソであっても自分の輝いていたときの記念を大事に持ち歩いていた。

 

いつものように、ブラッセリで朝食を終えて、アパートに送っていったら。「葉っぱもあるし、飲み物のあるから、寄ってって。。。」帰ったところで誰が待ってるわけでもない。飯を一緒に食っただけで、後ろめたいことはなにもない。まさかおっかないあんさんが出てくるようなこともないだろう。誘われるがままに部屋にいった。綺麗な部屋だった。なんでこんなに物が少ないんだろう。なんでこんなに広い部屋なんだろう。生活臭がない。まさかこんな部屋に一人で住んでる?訳ないよな。。。

 

邦子にひっぱられるようにベッドルームにいった。大きなきれいなベッドだった。邦子がジョイントに火をつけて渡してくれた。一服して葉っぱの質が分かる。いいものだ。ベッドに上がるのをためらって、ソファーに寝転がって波に揺られているような感じを楽しんだ。邦子がビールを持ってきた。ビールで喉を潤してまた一服。ソファーで一人で自分の世界でリラックスしていた。邦子がなにやら言っていた。何を言ってるのかと思ったら、「もう、堅物(square)なんだから、なんでそんなに真面目(strict、sober…)なの、。。。もう。。。」ぶつぶつ何か言っていた。

 

朝方、「じゃあ、またねー」って感じで、怒っている邦子を後にアパートを出て下宿に帰った。それは、ただ未経験の領域に一歩踏み出す勇気がなかっただけで、邦子が言うように堅物でも真面目だからでもない。結婚して子供までいるローラにはそれを見透かされていたが、独り者の邦子はそこまで分からなかったのだろう。

 

 

駐在員社会には邦子のような流れ者(旅行者?失礼?)の人たちを見下す風潮がある。駐在員は、日本の本社が倒産でもしない限り、身分も収入も保証されているから、一般的な社会通念ではまっとうな人たちということになるのだろう。その視点で見れば、流れ者の人たちには身分保障もなければ確たる収入の道も、自身で切り開けなければ何もない。

 

この一般的な社会通念のバイアスが強すぎて、ほとんどの人たちは、違うまっとうな視点があることに気づかない。見方をちょっと斜めすれば全く違うありようが見えてくる。駐在員は企業が企業の都合でニューヨークに派遣した人たちで、個人の考えや都合、さらに言えば生き様のような確たるものがあってニューヨークにいるわけではない。組織の都合の上に乗っかった精神的根無し草(に近い)と言ってもいい。自分で自分のありようを決めることを放棄した、放棄したが言いすぎであれば留保したと言ってもいい、自分のありようは組織の都合と決定にお任せした人たちでしかない。

 

一方、流れ者の人たちは、何があってニューヨークにいるのかは人さまざまだろうが、それでも自分の意思で、自分の責任で、俗にいえば自分の才覚だけを頼りに、ニューヨークで生活している。なんの組織的な後ろ盾もなく、最悪の場合は野垂れ死というリスクすらある。

 

日本にいない方がいい厄介者として、ニューヨークに島流しにされただけの何もない者には、自分で考えて、自分で決めて、自分で生活している流れ者の人たちに対する畏敬の念がある。この人たちのなかから、今までの延長線ではない明日の社会が生まれてくることはあっても、今までの社会の枠のなかでしか生きられない駐在員から何か価値ある、次の時代を背負う新しいものが出てくるとは思えない。

 

ところが邦子の話の節々に駐在員の立場を羨ましがる響きがあった。日々の生活に汲々とする現実もあるだろうし、邦子の気持ちは分かる。それが社会通念に照らして一般的であることも分かるが、それをそのまま受け入れられない。受け入れたら、価値観の転倒どころか、こうあらざるを得ないと考えてきたことが雲散霧消して、自分がなくなってしまう。邦子の言うように堅すぎるのかもしれない。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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