決してインドア派とは思わないが、少なくともアウトドア派ではない。キャンプだの屋外バーベキューだのは、呼ばれて行くだけでも気が重い。街にはちょくちょく出かけても、足は決まって電車。都心でうろちょろするには地下鉄も含めて電車が一番と、今でも思っている。電車ならぼんやりしてても寝てても着く。寝過ごすこともあるが、本も読める。電車が遅れて間に合わなくて困ることはあるが、それでも言い訳には困らない。
そんなのが、ニューヨークに赴任したとたんに車を運転しなければならなくなった。道は広いし、自転車など走っていない。ぶつかる物もろくにない。ビデオゲームの運転より簡単なのだが、免許取立ての運転は危なっかしい。素面でも危なっかしい下戸が慣れない酒を飲んでの運転、買って一週間もしないうちに“横浜”の前の駐車場で軽くぶつけた。フルサイズのクーペでエンジンが大きいからだろうが、前が大きく長い。カローラでいえば後部座席に座って運転しているようなもので、慣れないうちは前の長さの感覚がつかめなかった。
当時のアメリカは経済的に痛んでいたこともあって、ボコボコの車がいくらでも走っていた。日本だったら即修理にだすのだが、ちょっとしたへこみを気にするような社会ではなかった。それでも、へこんだ左前、気にはなる。経済的に困っている人たちはいざ知らず、フツーの人たちは車も綺麗にしている。修理しようかと思ったが、またぶつけるだろうと思って迷った。先輩に聞いても大家に聞いても、冬には車も痛むから、春になってからにした方がいいと言われた。その気になれば何時でも直せるのだし、何も焦ることもない。言われたように春になってからでいいやと思っていた。
ニューヨークの夏は東京より夏らしい。湿度が少ないせいもあって空の青さが違う。日差しの強い夏が終わって秋になったと思っているうちに冬が始まる。東京に比べて夏と冬の違いが大きい。冬になれば晴天でも氷点下の日が何日も続くことがある。十二月になれば雪が降るが、本格的な雪のシーズンはクリスマスの頃にやってくる。吹雪にでもなれば、フロントガラスに雪が積もって車のワイパーの移動範囲が狭くなる。上半身を右に倒して、狭くなった雪の隙間から前を見ての運転になる。交差点で止まったときに、出て行ってフロントガラスに積もった雪を掻き落とすのだが、直ぐ積もってしまう。
サービスマネージャーは事務所からさらに郊外にあるコンドミニアムに住んでいた。事務所からは地道を走って三十分もかからない。郊外では交通量が少ないから、雪が積もるのが早くて除雪作業が追いつかない。大雪の晩に狭くなったワイパーの動きの隙間から前を見て運転していたのだろう、立ち往生していたトレーラーにぶつかって車を大破した。慎重な人だったが、大雪のもとでは何が起きるか分からない。走っている横を大型トレーラーが走り抜けたときに、トレーラーに押し出された雪で車が路肩に押し流されてしまうことすらある。ニューヨークでは、路面が傷むのを嫌ってチェーンやスタッドタイヤの使用は禁止されていた。スノータイヤは履いているのだが、吹雪のなかでは気休めにもならない。
大雪注意報まででて、事務所を早めに閉めることになった。外は既に猛吹雪。ヘッドライトをつければ雪に反射してかえって見えない。フォグライトをつけても殴りつけるように降ってくる雪で前が見えない。フロントガラスに積もった雪でワイパーが掻ける範囲が狭くなっていた。高速に乗ったが、吹雪で何も見えない。ろくに前が見えない状態で、ハンドル握り締めてとろとろ走っていた。風の加減で前がちょっと見えたと思ったら、立ち往生したトレーラーが目の前にあった。ぶつかると思って、慌ててブレーキを踏んだ。トレーラーにはぶつからなかったが、車がスピンして一番左の車線から右にくるくる回って滑っていった。
ハンドルを握り締めて体が振られるのはなんとか持ちこたえたが、車は高速道路から右の斜面に外れていった。斜面に落ちたおかげでスピンは止まったが、ズルズルと斜面を滑り落ちた。ドンという鈍い音がして落ちるのが止まった。助手席辺りが道路標識の太いポールにぶつかって止まった。助かった、横転でもしていたら、どうしようもない。斜めになった車のなかでシートベルトを外して、後ろの座席においておいた毛布を探した。
先輩から冬には車に毛布を積んでおけと言われていた。携帯電話などない時代、雪で立ち往生して救護を待つしかなくなることがある。公共の交通機関が限られているアメリカでは、ほとんどの人が車で移動している。車の立ち往生では、どこで救護を待っているのか分からない。救護されるまでに時間がかかる。その間エンジンをかけて暖をとり続けらればいいが、それもできなくなると凍死する可能性がある。
高速道路下の吹き溜まりの斜面に落ちた車にこの猛吹雪、何時間もしないうちに雪ですっぽり覆われる。すっぽり覆われたら、雪が解けるまで発見もされないかもしれない。雪が小止みになってから車から這い出て斜面を登ってゆくという選択しもあるが、小止みになるのを待っているうちに雪にすっぽり覆われて、ドアが開かなくなるかもしれない。
斜めになったまま毛布をかけて、車を支えているポールと高速道路の端を見ながらどうしたものかと考えた。この位置関係なら、もしかしたら、エンジンを吹かせば、ポールを梃子にして高速道路に這い上がれるかもしれない。このまま救助を待ったとしても、いつになるか分からない。
恐る恐るアクセルを踏んでみた。後輪が雪で滑っているはいるが前進できそうだった。ゆっくり動いていたのでは、車体がポールから外れた途端に斜面をずり落ちる。思い切り吹かしてみるしかない。やってみるしかない。アクセルを思い切り踏み込んだ。後輪が雪で滑る以上に雪を巻き上げて車が勢いよく左前に飛び上がるように動いた。これなら行けそうだと、アクセルを目一杯踏み込んだ。後輪が滑りながらも雪を除雪車のように吹き上げた。ボディの右側がポールをゴリゴリ擦りながら、斜面を登った。前輪が路肩に引っかかった。もう一息、登れって、アクセルを踏む右足を突っ張った。最後は跳ねるようにドンと路肩に乗り上げた。助かった。
左前のへこみなどかすり傷のようなもので、右側のへこみと擦り傷はちょっとした怪我だった。右側のモールは後輪の上にある一枚を残して全て剥がれ落ちた。走るのが恥ずかしい怪我したままの車で一冬過ごした。怪我は車だけですんだし、それも直せる範囲、痛くも痒くもない。春になって綺麗に修理した。何があったわけでもなし、ちょっとしたハップニングというのかいい経験だった。なんでも起きる。起きたところで致命傷でもなければなんとでもなる。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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