このブログの2007年3月7日付けの記事として、「ためにする強制の「広狭」論 ~「従軍慰安婦」問題をめぐる安倍首相の理性に耐えない言辞 ~」というタイトルの記事を掲載した。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_d9fe.html
ところが、政府は6月20日、「従軍慰安婦」の問題をめぐって日本政府としての謝罪と反省を明らかにした1993年の河野官房長官談話の作成にあたり、韓国側と事前に綿密に調整していたなどとする有識者の検証結果を衆院予算委員会理事会に提出した。その一方で、政府は河野談話を引き続き踏襲していくとも述べている。
しかし、自民党内には慰安婦の連行に「強制」があったか否かに関して河野氏の発言を質す必要があるとして同氏を国会に招致するよう求める意見が出ている。
このような議論がむし返されるのを見て、私は7年少し前に書いた上記の記事を思い起こし、ぜひ、多くの方に一読いただきたいと願わずにはいられない気持ちになった。そこで、元の記事をそのまま、再録することにした。
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2007年3月7日
ためにする強制の「広狭」論 ~「従軍慰安婦」問題をめぐる安倍首相の理性に耐えない言辞~
「河野談話を継承すると言いつつ、謝罪を拒む安倍首相の支離滅裂な言動」
米下院外交委員会の「アジア太平洋・地球環境小委員会」が「従軍慰安婦」問題で日本政府に対して、元慰安婦への明確な謝罪を求める決議案を審議している。これに関して、安倍首相は5日午前に開かれた参議院予算委員会で、「決議案には事実誤認がある。決議がされても謝罪することはない」と答弁した。
安倍首相のこの国会答弁を聞いて、私は支離滅裂ぶりにあきれた。安倍首相が継承するという河野談話には次のようなくだりがある。
「いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めてその出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。」
ここには、元従軍慰安婦への謝罪と反省が明記されている。この河野談話を踏襲すると言いつつ、「謝罪はしない」と言うのでは、国の内外を問わず、言語意味不明である。
連行の強制性の「広義か狭義か」にこだわる底意
安倍首相が謝罪をかたくなに拒むために持ち出すのが連行の「広狭」定義論である。そして、その意図するところは、狭義の強制性が証拠で裏づけられないかぎり、学校教科書に載せるべきではないし、謝罪には及ばないという論法である。
これについて安倍氏は昨年10月6日の衆議院予算委員会で、「本人たちの意思に反して集められたというのは強制そのものではないか」という問いに対して、次のように答弁している。
「ですから、いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。つまり、家に乗り込んでいって強引に連れていってしまったのか、また、そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったことについての関連があったということがいわば広義の強制性ではないか、こう考えております。」
こういう物言いを聞くと、家に乗り込んでいって強引に連れていったのでなければ強制にはあたらない、したがって謝罪する必要はないとでも言いたいのだろうか? そうでないなら、強制の広狭を持ち出す意図はどこにあるのだろうか?
安倍首相の上記の議論には、二つのレトリックが仕組まれていると考えられる。
一つは、従軍慰安婦を徴集する際に「狭義の強制」があったかどうかだけが問題であるかのように議論を誘導し、これに該当しない「募集」業務は非難に当たらないという回答に着地させようとするレトリックである。
もう一つは、従軍慰安婦制度の犯罪性を慰安婦「徴集の局面」に意図的に限定し、徴集後に慰安婦が「慰安所」でどのような状態に置かれていたかを不問にするというレトリックである。
慰安婦徴集の犯罪性に狭義も広義もない
安倍首相が継承すると明言した「河野談話」は慰安婦の「募集」方法について、次のように記している。
「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。」
また、1994年に国連人権委員会によって「女性への暴力に関する問題に関する特別報告者」に任命されたスリランカの法律家クマラスワミ氏が1996年に提出した最終報告書は、慰安婦の徴集に次のような3つのタイプがあったと記している。
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/cwara.HTM
①すでに娼婦であった女性と少女からの自発的応募
②料理屋や軍の料理人、洗濯婦と称して女性を騙すやり方
③日本の支配下にあった国々での大規模な強制と奴隷狩に匹敵する暴力的連行
まず、指摘しておく必要があるのは、安部首相が言う「狭義の強制」的徴集も実在した証拠が提出されているということである。クマラスワミ報告にあるように、徴集方法は地域によって一様ではなかったが、国内では軍が直接自国民を慰安所へ連行するのは好ましくないと判断され、①が多く、一部②のやり方もあったようである。
しかし、当時、日本軍の統治下にあった朝鮮、台湾、中国等では、軍人が直接現地の女性を拉致、誘拐して慰安所へ連行するケースや、現地のブローカーや地元の村幹部などを通じて女性を集めたケースが多かった。1956年に中国の瀋陽と太源で行われた日本人戦犯裁判で有罪判決を受けた45人の自筆供述書、前記のクマラスワミ報告に収められた元従軍慰安婦3人の証言、韓国政府が元慰安婦13人から聞き取り調査をした結果をまとめた中間報告書(1992年7月31日)などから、この事実を具体的に読み取ることができる。
しかし、このことから、物理的強制(連行)を伴わない徴集なら問題はなかったなどと言い募るのは慰安婦徴集の実態に目をふさぐ暴論である。例えば、「よい仕事があるから」といった甘言で軍の慰安所に連れていかれ、最初は裁縫や洗濯などを割り当てられたが、しばらくたって兵士の性的処理の相手をさせられた女性がおびただしい数にのぼる。こうした女性に対して、「家に乗り込んでいって強引に連れていったわけではない」などと殊更に言い募るのはモラルの退廃というほかなく、そうした人物が「美しい国づくり」を語るのは笑止の沙汰である。
本来、インフォームド・コンセントというのは、必要な情報を得たうえでの合意を意味し、詐欺や甘言で誤導された意思が「真正の意思」でないことは言うまでもない。それどころか、暴力的連行とは区別される詐欺・甘言(この事案では女給か女中として雇うという詐欺)による慰安婦の徴集を「国外移送目的の誘拐」として有罪とした大審院判決(1937年)が存在したことが「朝鮮人強制連行真相調査団」の手で発掘されている。
「慰安所」における女性の性奴隷としての実態
先に触れたように、従軍慰安婦問題の犯罪性は徴集の局面がすべてではない。強制連行か甘言による拉致・誘拐かを問わず、慰安婦とされた女性の悲惨な姿は「慰安所」の実態を直視することなしには把握できない。これについて、「河野談話」と同時に内閣官房外政審議室が発表した「慰安婦関係調査結果の要旨」は、<慰安所の経営及び管理>と題する項で次のように記している。
「慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営したケースもあった。民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した。」
慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行う等の措置をとった。慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられていたことは明らかである。」
こうした記述を裏付ける資料や証言は少なくないが、前記のクマラスワミ報告は「慰安所」の状態に関する調査結果を次のように記している。
「敷地は鉄条網で囲われ、厳重に警護され巡視されていた。『慰安婦』の行動は細かく監視され制限されていた。女性たちの多くは宿舎を離れることをゆるされなかったと語っている。」
「・・・・・・そのような状態のなかで、『慰安婦』は一日に10人から30人もの男子を相手とすることを求められた。」
「軍医が衛生検査を行ったが、『慰安婦』の多くの記憶では、これらの定期検査は性病の伝染を予防するためのもので、兵隊が女たちに負わせた煙草の押し焦げ、打ち傷、銃剣による死傷や骨折でさえもほとんど注意を払われなかった。」
「そのうえ病気と妊娠にたいする恐怖がいつもあった。実際『慰安婦』の大多数はある程度性病にかかっていたように思われる。病気の間は回復のための休みをいくらか与えられたが、それ以外はいつでも、生理中でさえ彼女たちは『仕事』を続けることを要求された。ある女性被害者が特別報告者に語ったところでは、軍事的性奴隷として働かされていたときに何度も移された性病のため、戦後に生まれた彼女の息子は精神障害者となった。このような状況はすべての女性被害者たちの心に深く根付いた恥の意識と合わさって、しばしば自殺または逃亡の試みという結果をひきおこした。その失敗も確実に死を意味した。」
「楽しみもある代わりに死んでくれ、と言っているわけでしょう。」
~元日本軍兵士の尊厳をも冒涜する政治家の発言~
「この程度のことは違う立場から見れば、戦争だったわけですから当然のことなんですね。これが強制連行と言ったらひどすぎますが、連れていくのに全然自由意思で『さあ、どうぞ』という話などないわけですね。
しかし、この程度のことを外国に向けて本当にそんなに謝らなきゃいかんのか。誰がひどいと言ったって、戦争には悲惨なことがあるのであって、当時、娼婦というものがない時代ならば別ですけれども、町にあふれているのに、戦争に行く軍人にそういうものをつけるというのは常識だったわけです。働かせなきゃいけないんです。兵隊も命をかけるわけですから、明日死んでしまうというのに何も楽しみがなくて死ねとは言えないわけですから、楽しみもある代わりに死んでくれ、と言っているわけでしょう。」
(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問』展転社、平成9年、435~436ページ)
これは「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が河野洋平衆議院議員を講師として招き、同氏が官房長官時代(1993年8月4日)に発表した前記の談話(「慰安婦関係調査結果の発表に関する河野官房長官談話)の経緯を説明した後の質疑の冒頭で小林興起議員が行った発言の記録である。
口を開けば、「英霊」と奉られる元日本軍兵士は、後世の政治家が自分たちのことを「娼婦をつけ、楽しみを与えるから死んでくれと言ったまでだ」と言ってのけるのを聞いてどんな思いをするだろうか? 意に背いて戦場へ連行され、性的奴隷扱いを受けたアジアの女性たちにとって、自分たちが受けた仕打ちを「この程度のこと」と言ってのける加害国日本の政治家の発言を聞かされるは、二重の意味で――度は戦場で、もう一度は戦後の歪んだ歴史認識の持ち主である日本の政治家の暴言で――人格冒涜というほかない。
ちなみに、前記の小林議員の発言に対し、河野洋平氏は次のように応答している。
「なるほど。私は残念ながら意見を異にします。この程度のことと言うけれどもこの程度のことに出くわした女性一人一人の人生というものを考えると、それは決定的なものではなかったかと。戦争なんだから、女性が一人や二人ひどい目にあっても、そんなことはしょうがないんだ、というふうには私は思わないんです。やはり女性の尊厳というものをどういうふうに見るか。現在社会において、戦争は男がやっているんだから、女はせめてこのぐらいのことで奉仕するのは当たり前ではないか、と。まあ、そうおっしゃってもいないと思いますが、もしそういう気持ちがあるとすれば、それは、今、国際社会の中で全く通用しない議論というふうに私は思います。」
(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編、前掲書、436~437ページ)
初出:「醍醐聡のブログ」より許可を得て転載 http://sdaigo.cocolog-nifty.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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