はじめして
こちらの掲示板では、学者の方々が集まっていると聴きましたので、投稿してみます。
32 ヘーゲル『精神現象学』(30/31冬学期)
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こちらから読み始めています。
学の体系の第一部であった『精神現象学』は、本来、『意識の経験の学』であったこと、そして、第二部として、論理学を考えていたのだとしたなら、現象学と論理学の区分をどの様に構想していたのかと言う事です。
エンチクロペディーも大論理学も同じ問題点を年を重ねて円熟していったのみであり、同じ問題意識を見つめていたのであり、論理学も現象学も同じものとして考えていたのかなとか予感しています。
現象学は、ハイデガーの先生であるフッサールへと受け継がれていき、論理学は、主に、ウィトゲンシュタインの哲学として今日、追及されているのでしょうか?
ヘーゲルからハイデガーは、思弁哲学としての系列であるとして、先生フッサールにも「理性批判」が足りないとも言われていたとかどこに書いてありました。
更に、ハイデガー自身への素朴な疑問としては、書き出されなかった『存在と時間』の後半の問題です。
哲学史的問題意識として、近代哲学から古代哲学、アリストテレス、プラトンへと逆にさかのぼって語るように予定されていたハイデガーの現存在分析の着地点としての「体系」があるのだとしたならそれはどの様な完成と「体系」であったのかと言う事と更に、断念したのかです。
現存在分析から開始された『存在と時間』(前半)が、存在への転回の問題が、起こったのは何によるものであるのか?
その全体像についてです。
これは、最初の問いなのか結論としての問いに属するのかと言う事もありそうです。
誰か、答えられている著作があるのでしょうか?
唐突な問いですみませんがよろしくお願いします。
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