10日間のハンガ―ストライキをやり抜いた若者たちに

2011年9月20日 連帯・共同ニュース第157号 

9条改憲阻止の会

■   人は自分の年齢や世代のことをどこから意識するのだろうか。確かに衰えゆく体力や健康への不安がそれを意識させることがある。自分の内からやってくる身体や内在感覚がその一つとしてある。また、鬼籍に入った友人の報や病に伏す同年代の人々にことを聞くにつれてである。それならば、自分たちとは違う世代の人々の存在や行動はどうなのだろうか。若い人たちの行動や存在が自分の年齢や世代を意識させるはずである(?)そういう契機であるはずだ。これはある意味で間違いのないことだ。ヘーゲルは子が親に滅びゆく存在の、親は子に自立してゆく存在の感動を得ていると述べている。この家族を通じた自然な感情は現在もあるが、若い世代の意識や行動はどうなのであろうか。多分、僕らは現在の若い世代の意識や存在が自分の年齢や世代を意識させる存在としては強くはないのではないか。これは考えてみれば驚くべきことなのかも知れないが、自分の若いころを想起することはあっても、彼らの行動や存在によって自己の存在を考え直すというようにはなかなかなれないのである。これが現在ということなのであろう。「将来を想うハンガ―ストライキ」を10間やり抜いた若者たち、あるいはその支援に訪れた同年代とおぼしき人たちを見ながら僕の中に繰り返し浮かんだことだ。ただ、彼らの行動は一般的な世代意識を超えたものをもたらさした。これは希有であり今後に長く残ることと思われる。

■   このハンガ―ストライキは山口県の上関町祝島から上京した岡本直也さん(20歳)はじめ米原幹太さん(21歳)、山本雅昭さん(22歳)、関口詩織さん(19歳)の4人で敢行された。「私たち若い世代は、原発の負の遺産をこれ以上背負いたくありません。そして最も放射能の影響を受ける子供たち、その子たちに繋がっていく命に、これ以上の負の遺産を残したくありません」(声明文から)と表明している。淡々とした声明文だが、10間を塩と水だけでやり抜いた行動はなかなかのものだ。日本社会は間違いなく一つの岐路にある。しかもその判断の難しい岐路にである。原発の存在はそれを決定する要因になるといえるものだ。内に大震災や原発震災、外に金融恐慌不安を抱えた日本社会は何処へ行くのか。僕らは指南力のある航海図を持ち合わせてはいない。僕らの一人ひとりが行動し、発言していくことでこれを織り込んでいくしかない。この若者たちと何時の日かあれがこの辺だったと語りあえるようなめぐりあいがあるといいと思う。君たちの未来に苦難とともに輝ける時があることを心から祈る。 (文責 三上治)