8月6日の広島、8月9日の長崎の式典を見ながら投稿したことをシェアします。
広島の式典を見ながら:原爆投下により「一瞬で、当たり前の日常が壊された」という歴史観を子どもが語っていた。「この世界の片隅に」的な「平和」教育の結果かな?原爆投下前が「当たり前の日常」だったって。日本が70年余にわたり侵略、植民地支配、占領していた国々の人たちーー家族を殺され、尊厳を奪われ、傷ついた人たちーーは、とうに「当たり前の日常」など失っていた。強制連行された人たち、性奴隷にされた人たち、連合軍捕虜たちは故郷に帰ることだけを夢みてその日一日を生きのびていた。「ヒロシマ」の日、せめて、「当たり前の日常」がすでに奪われていた人たちに、思いを馳せてほしい。この式典からは完全に存在を消されている人たちに。
子どもは大人の価値観を反映するにすぎません。この子どものスピーチは典型的な日本人の大人の「ヒロシマ語り」をなぞっているにすぎません。この子どもに罪があるわけではありません。子どものいうことに何を言うか、と叱って来るような人がいますが、わたしはたまたまその子どもからこの言葉が出たのを見かけたのでこのコメントをしただけで、これは広島や日本のどこにでもある「ヒロシマ語り」です。「物資は足りずとも幸せに日常を過ごしていた罪なき人たちの上に突然落ちた原爆」という非歴史的なかたりです。広島の資料館もきほん、この語りに沿っています。被爆者の証言もほとんどはこの語りです。
「長崎の日」の投稿もここに共有します。

以下が、集会で読み上げた、長崎人権平和資料館理事長の崎山昇さんによる「メッセージ」です。

日本時間で8月14日は、大日本帝国のポツダム宣言受諾、つまり降伏が連合国で公表された日です。Victory Over Japan Day, VJ デイ とも言われます。日本が降伏文書に調印した日、9月2日をVJデイとする国や地域もありますし、中国とロシアは、降伏翌日の9月3日を対日戦勝記念日として祝います。
初出:「ピース・フィロソフィー」2025.8.13より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.com/2025/08/my-x-posts-on-hiroshima-and-nagasaki.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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