『朝日新聞』(6月16日、朝刊、34面)に「樺さん追悼国会前で献花」の記事がある。花を持つ参列者の写真の中に私の後姿もあった。
私は、55年前の国会南通用門内外における衝突の当事者rank-and-fileの一人でありながら、その翌年から続く追悼集会のどれにも参加したことがなかった。今年が最初である。現場で三種の資料がくばられた。
① 金田晉「御庄さん、真実を語り続ける勇気を教えていただきました。」
② 御庄博実「樺美智子さんの『死の真相』―60年安保闘争50周年」
③ 江刺昭子「樺美智子の死因をめぐって」(『インパクション』176号 2010.9.30)
①は、6月15日の追悼会の前日に「ちきゅう座」で読んでいた。②は、5年前の2010年12月24日に同じく「ちきゅう座」で読んでいた。実は、私=岩田の「60年安保闘争私史――60年安保闘争50周年に寄せて」が御庄②の直前に「ちきゅう座」に発表されていた。2010年12月26日に部落文化研究家 川元祥一が「ちきゅう座」に「6.15という記号――その夕刻何があったか」を発表して、60年6月15日の夕刻、南通用門を如何に強力的に開門させ、装甲車2台を門外に引き出したか、自己の経験を記していた。③は、2010年9月に書かれた文章であるが、追悼会の当日にはじめて読んだ。かくして、私は、今日になって、55年前の6月15日に私達のデモ隊が機動隊と直接対峙する局面にたたされる事になったかの経過を知った。
私は、「60年安保闘争私史」で樺さんの死を「戦死」と表現した。単なる被害者、犠牲者ではなかったと言う意味である。しかし、追悼会に参列し、①、②、③を精読して、「戦死」と言う表現を取り消す。戦闘とは、相互に相手を殺し合うことで、相手に自分達の意志を押し付け、圧倒することである。闘争とは、相互に相手を殺さない事を前提し、相手を圧倒することである。60年安保は、闘争であって、戦闘ではなかった。学生デモ隊も機動隊も相手を殺して、相手を圧倒しようとする意志は全く有してなかった。従って衝突があって、そこに死が生起したとしても、「戦死」ではなかった。機動隊が死ねば、「殉職」である。私達が死ねば、「闘死」であろう。いずれにしても、社会的意味は、常識上の「殺人」ではない。樺さんの死は、「闘死」である。
①に次のような一節がある。「時間が経過し、大学の研究室で美学の世界にこもる中で、どこかで、『人ナダレによる圧迫死』という検察庁の判定の前に、『あるいはそうかも知れない』とこえが小さくなっていったことも事実でした。」
②は次のように言う。「樺さんは腹部に(警棒様の)鈍器で強い衝撃を受け、外傷性膵臓頭部出血と、さらに扼頚による窒息で死亡した、と言う結論をまとめた。」
私は、当時も今も「人ナダレ」説に心がゆれたことは全くない。それは、私の現場実感による。③に引用される東京地検の判定は、樺は「警官隊に阻止されて後退してくる学生と、後方から前進してくる学生集団の中に巻き込まれ、人ナダレの下敷きとなった。」である。結局、私達学生が彼女を圧迫死させたことになる。事実であれば、私の心は55年間痛みつづけていなければならない。私の実体験からすれば、「人ナダレ」のような事象はおきていなかった。私は、「後退してくる学生」隊列の後半部に、女子学生は、前半部にいた。彼女は、突進する機動隊に直に接触するチャンス極大の所にいた。私は、「60年安保闘争私史」で書いたように、機動隊の突貫エネルギーの「波動」で身体が浮き上がる所にいたが、彼女は、突貫をもろに受け止める所にいた。勿論、受け止める体力はない。沈む。機動隊の重靴が彼女の身体上を駆け抜ける。「人ナダレによる圧迫死」という検察判定から「人ナダレ」が実証できない以上、「圧迫死」は、機動隊に起因することになる。
②の結論について、私は、何か語る材料を持たない。当時、日本社会党はこれに基づいて、警察機動隊を告訴しようとしたが、検察は、かかる解剖所見を受容せず、「人ナダレによる圧迫死」を採用した。
ここで仮想現実の思考実験をしてみよう。
私達男子学生の肉体がアメフト選手のように強靭で、婦警数人を前列に配置した機動隊集団と対峙していたと仮想しよう。私達の集団的突進力が機動隊を圧倒し、その中で一人の若き女性警官が落命する。そして、解剖所見に「女性警官は腹部に(旗竿様の)鈍器で強い衝撃を受け、外傷性……、……窒息で死亡した。」とあったとする。その場合、東京検察庁は、「学生デモ隊に阻止されて後退してくる警官と、後方から前進してくる警官集団の中に巻き込まれ、人ナダレの下敷きとなった。」なる新解剖所見を作成させるであろうか。そうせず、最初の解剖所見に基づいて、学生デモ隊全員を殺人、建造物侵入、傷害罪で起訴したであろう。そうなった場合、私達学生デモ隊員は、そんな「殺人罪」に納得するであろうか。
平成27年6月17日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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