60年安保――侍大将、足軽、学生自治会――

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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 今年も6月がやって来た。例年三上治氏等が呼びかける国会南門前6.15小集会が今年も開かれた。安保闘争60周年記念集会も6月10日に組織され、二人の著名人の講演が行われた。憲政記念館においてだ。両方に参加。
 1960年の10歳の少年だって、今年は古希だ。60年安保の参加者の生き残りはすべて八十路である。一人の講演者は開口一番出席者全員が古老級である事を強調し、ふたまわり若い自分と現代の若者との交流の様を語り出した。一つのテーマには違いはないが、安保斗争60周年記念の講演としてはピンぼけであったと思う。
 1960年は1910年の大逆事件の丁度50周年にあたる。しかしながら、60年安保斗争のデモにかけまわっていた20歳前後の私達は、その50年前の大逆事件、あるいは1918年の米騒動と呼ばれる民衆蜂起も全く念頭になかった。後生は自分が経験した後に先生の経験を真に学ぶことが出来るのだろう。
 もう一人の講演者の話に、60年安保で活躍した西部と唐牛の人物像が同郷ということでか全面に出されていた。60年安保に関して、西部、唐牛、青木、樺美智子、北小路、野口武彦等々を語るのも良いであろうが、私達のように街頭デモの積極的参加者、いわばデモの足軽の目から見れば、彼等のように固有名詞が残る人々は、侍大将であったのだ。侍大将と足軽の間を結び付けていた媒体は何か。それは、代々木系であれ、反代々木系であれ、諸党派ではなかった。諸党派は、侍大将の世界の話だった。デモの積極的参加者=足軽は、諸党派に属していなかった。
 私の駒場東大時代の経験によれば、学生自治会であり、クラス討論であり、社会科学研究部の討論であった。夫々のレベルの決議があり、合意があって、街頭デモに出て行ったのだ。それでも5.19以前多くの学生は参加しなかった。足軽層が出て行ったのだ。
 私の印象では、60年安保斗争終了後に、諸党派デモが出現し、同時に組合や自治会とは無関係の市民的個人デモが始まったようである。60年安保デモは、学生自治会と自治会民主主義が大学自治の必須構成要素として機能していた時代の最後の輝きだったかも知れない。

     令和2年6月21日(日)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9870:200623〕