日本の英字紙『ジャパン・タイムズ』に7月5日付で掲載されたテンプル大学日本校教授ジェフ・キングストン氏の記事
Shinjuku self-immolation act protests Abe’s democracy hijack(「新宿の焼身自殺行為は安倍の民主主義ハイジャックに抗議する」)
を読んで、今の自分の心情を驚くほどに代弁してくれていると感じた。7月1日「閣議決定」を受けて、私はこの日を「日本の戦後最大の『屈辱の日』Day of Infamy」であるとツイッターとブログでつぶやいたが、このキングストン氏もまさしくこの Day of Infamy という言葉を使っていたことには驚いた。キングストン氏に日本語訳をしたいと伝えたところ、この記事の加筆版を『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』に掲載するということを知り、この加筆版の日本語訳をここに紹介する。
ちなみにここでキングストン氏が言うように、主要メディアの中でもこの新宿の焼身自殺未遂事件を「全く」報道しなかったのはNHKのみである。私の知り合いがNHKの報道の人に聞いたところ、「基本的に自殺についての報道は特段の理由がなければ放送しないということと、映像がショッキングなもの過ぎたので放送を控えたようだ」と話していた。私も、ニューヨーク・タイムズのマーティン・ファックラー記者の記事で初めてこの事件を知り、映像にもリンクされていてショックを受けた。そして日本の大事件なのに米国紙のアラートで知らされたことを不思議に思った。日本のメディアによるこの事件の報道は概ね出足も鈍く扱いも小さく、やはりこの行為の政治的意味合いを隠したいという心理が働いたのではないかと思わざるを得ない。@PeacePhilosophy
(注:翻訳は発表後微修正することがあります。)
Self-immolation Protests PM Abe Overturning Japan’s Pacifist Postwar Order
http://japanfocus.org/events/view/222
安倍首相による日本の戦後平和憲法の転覆に焼身自殺行為で抗議
Jeff Kingston
ジェフ・キングストン
2014年6月29日、安倍晋三首相による日本の軍隊への憲法上の制約を取り除く企てに抗議して男性が自らに火をつけた。そしてその後数日間にわたり、何万もの市民が首相官邸前に集まり政府の動きに対する抗議を声高に訴えた。世論調査では、確実に右翼的な報道機関によって行われたものでさえ、安倍氏による平和主義の放棄に対し広がる反対と、集団的自衛権行使に対する支持はほとんどないことを示している。
この焼身自殺行為は、多くのスマートフォンのビデオに捉えられ、ソーシャルメディアで拡散された恐ろしい光景であった。私が日本に住んだ四半世紀のうちで最も珍しい政治的抗議の行為を、主流メディアは無視していたわけだから、これは望ましいことだったと言えるだろう。公共放送であるNHKニュースは全くこの出来事に触れもしなかった。これは明らかに「権力に汚名をかぶせるかもしれない具合の悪い真実は無視すること」というピョンヤン[北朝鮮]のルールを適用していたのだろう。
NHKはメディアとして支配的な位置を占めているので、そこが扱わなかったことの意義は大きい。「インデペンデント・ウェブ・ジャーナル」の岩上安身によると、報道管制は「政治案件だから」と、NHKの人間が岩上に漏らしたという。岩上はそれを受けて、NHKは「公共放送」ではなく「国営放送」であると皮肉を込めて言った。しかしテレビ朝日は焼身自殺行為の映像の一部を流し、翌朝は、ディスカッション形式を取るテレビの「ワイドショー」と呼ばれる諸番組がこの事件の詳細を、安倍による9条再解釈に関連づけて報道した。
事件が起こって間もなく、不特定の60代の男性が安倍による憲法の転覆について1時間ほど演説をした後、ガソリンをかぶって自らに火をつけたという概略の報道がメディア各社のウェブサイトに載った。その男性は病院に運ばれた。その後主要の新聞各紙に掲載されたこの事件についての報道は、ほとんどの場合社会面の片隅に埋もれていた。中日新聞はより掘り下げており、その男性が言った内容をもう少し詳しく述べ、男性が与謝野晶子の反戦詩「君死にたもうことなかれ」を引用していたことを伝えた。
この男性の自己犠牲的挑戦行為の象徴的な意味はソーシャル・メディアでは失われることはなかった。彼の「パフォーマンス」のビデオも与謝野の詩もたちまち広がった。主要メディアは概してこの事件を無視したか軽視し、スポットライトを当てることはなく、分析的報道でフォローすることもなかった。三島由紀夫が自分の極右的思想とクーデター計画に公の支持を得ることができなかったことから1970年に自殺したとき以来のもっとも劇的な政治的行為の一つであったにもかかわらずである。今回は、安倍による日本の戦後平和主義の驚くべき放棄という過激なクーデターはすでに決まっていたことなので、当時よりもその危険度はさらに高かったと言っても間違いないだろう。だからこそメディアの鈍く狭量な扱いがいっそう衝撃的なのである。6月30日に安倍の報道官 [菅官房長官のこと]は焼身自殺[未遂]について聞かれても軽くあしらう程度で、内閣は予定通り[憲法]再解釈[の閣議決定]を翌日行うと述べた。
7月1日、安倍が[憲法]再解釈という先制攻撃に出たことについてあるNHKの記者が私にインタビューしてきた。私が新宿での焼身自殺[未遂]事件について触れたところこのベテランの記者は唖然とした顔をして、一体何の話なのかと聞いてきた。このニュースはCNNやソーシャルメディアでも大きな扱いだったと私が説明したら、彼は聞いたこともないとのことだった。そして私が見せようとしても興味を示さなかった。日本におけるメディア検閲は心配すべきことではあるが、主要メディアの記者たちの無知と無関心はさらに大きな脅威かもしれない。
焼身自殺は弱者の武器であり、権威主義的権力を目の前にしての道義的権威の表明でもあり、通常は専制的国家に限って見られる最後の抵抗表現の手段である。チベットでは、中国による抑圧、文化的優越主義、経済的搾取に抗議して2009年以来わかっているだけでも130人が自らの体に火を放った。2010年には街頭の物売りの焼身行為による抗議が専制政治に対する全国的な革命のきっかけとなり、それが「アラブの春」へとつながった。しかし日本においては、安倍の思想的計略と秘密保護法を通じての民主主義回避、9条の空洞化と多数派の意見に逆らっての原発再稼働に対する抗議運動が増加しても「日本の春」は起こりそうにない。
間違いなく、安倍の九条再解釈は根本的な転換である。憲法による戦争禁止を覆したからだ。そうすることよって、国のアイデンティティの試金石となった戦後の平和主義的秩序を署名一つで転覆させてしまった。しかし安倍は憲法を改正する既存の手続きを迂回し、しかもそれを、憲法に定められているように憲法改正によってという正面玄関からではなく、一つの政令[閣議決定]という裏口を使うことによって日本の民主主義を愚弄し好き放題にやっているのである。
最高裁判所はずっと前にこの国が自衛のための能力を持つ権利を有するとの判決を下しており、したがって自衛隊は合憲とされているが、多くの日本人がこれに反対しこの判決に挑戦してきている。1981年、内閣法制局は、日本は集団的自衛権を有するが、9条があるのでそれを行使はできないと決定している。それ以来歴代の自民党保守内閣はこの解釈を支持し、憲法を尊重してきている。安倍はこの憲法を、米国が日本を弱く従属的な国のままにさせるために押しつけたものと感じていることから長年改憲をしたいと思い続けてきた。しかし国会で支配的な立場があるにもかかわらず改憲に必要なだけの支持が得られないことから、皮肉にも攻撃時に米国を防護することの必要性が生ずることを主な根拠の一つとし、絶対的命令によって憲法再解釈をすることを選んだ。
明らかにそのような防護をしたいと思う日本人はあまりいない。例を挙げれば、読売新聞は7月2日から3日にかけて行った世論調査で、米国領(グアムやハワイ)に向かって発射されたミサイルを自衛隊が撃ち落とすことに賛成かと聞かれたうち、賛成したのは37%のみで、反対が51%だった。ちなみに読売新聞は、安倍による集団的自衛権行使を容認するための9条の再解釈の熱心なチアリーダーであり、より都合のいい結果を引き出すための設問をするところだ。それだけにこの新聞社による世論調査で37%のみが賛成、51%が反対という結果が出たのは特記に値する。7月1日から2日にかけて行われた共同通信の世論調査では、集団的自衛権行使容認に反対が54.4%、賛成は34.6%であった。共同の調査では、73.9%が行使容認の範囲が広がる恐れがあると答えている。安倍が安心させようとして、そうはならないと言ったことに納得していないことが明らかだ。共同の調査では61.2%が日本が戦争に巻き込まれる可能性が高まるとしている。行使容認が戦争を防ぐ抑止力になるとの安倍の主張を拒否した形だ。これに賛成したのは34%であった。
安倍は自衛隊の束縛を解いたが、共同の調査の結果によると回答者の73.2%が武力を伴う集団安全保障への自衛隊の参加はに反対した。
どちらの世論調査でも、回答者のうち圧倒的多数が、安倍が一方的に9条を再解釈したことに批判的である。読売の調査では、十分な議論がされたと同意したのは13%だけであった。両方[読売と共同]の世論調査で、80%以上が十分な議論がされていないと感じていた。
このように、保革を超えて、安倍が見苦しくも9条を骨抜きにしたことについて相当な動揺が広がり、集団的自衛権行使容認についてはほとんど支持がない。平和主義は国のアイデンティティの試金石であることから、ほとんどの日本人は安倍による9条放棄に反対している。さらに、政令[閣議決定]により9条をサボタージュすることは、両院の3分の2以上の賛成と国民投票の過半数を要するという、改憲に必要な手続きを政令により出し抜くことになる。したがってこのような手続きを回避して再解釈をすることは民主主義を侮る怪しい企てとみられる。このように、安倍は日本の平和主義憲法の心と魂ともいえる部分をを夜逃げのように盗み取っていったのである。
「チーム・安倍」は安倍の軍事主義的な計略に「積極的平和主義」とのブランドを付けた。しかしこのような見かけだけの詭弁に効果がなかったことは明らかであった。3か月におよぶ政治的劇場と集団的自衛権行使の果てしない宣伝を行っても、安倍はその前からすでに自分に賛成していた人々以外の人々を説得することはできなかった。実際すでに賛成している人々もほんの僅かである。
集団的自衛権を行使する諸条件は大変曖昧に定義されており、それらは日本の武力行使と戦争遂行に対して切られた白地小切手[無制限に可能となる]のようなものだ。公衆は、皆が危険な坂道であると理解しているものに安倍が国全体を無理やり引きずり込んでいると危惧している。戦場の混乱では引き際が不明瞭となり、同盟国を守るための限定的な行為は容易にエスカレートし制御がきかなくなる可能性がある。
結論を言えば、多くの日本人にとって、安倍は中国や北朝鮮よりも大きな脅威であると思われていることである。[憲法再解釈の]賛同者たちは、中国が領土論争で軍事力を高めており、北朝鮮がミサイル発射により好戦的な口調を強めていることで日本が危険地帯に置かれているからという理由で憲法の再解釈を正当化しようとしている。しかし日本の公衆はこれらの脅威を理解しつつも、それよりもさらに安倍を恐れているように見える。基本的に公衆は、安倍または後継者によって、米国の命令のもとにいつかどこかで自国が戦争に引きずり込まれると心配している。
昨年、「永遠の0」という映画がヒットしたが、その映画では主役が、戦争と、すでに負けている戦争に対し何の結果ももたらさない自爆攻撃で残酷にも若者たちの命を無駄にする特攻に対し内部からの抵抗を試み、力強い反戦のメッセージを発した。この映画に出てくる筋金入りの軍国主義者たちは狂った社会病質者のように描かれている。安倍はこの映画を好んだとされているが、彼はこの映画を本当に理解していたのだろうか。
安倍が自国の恐るべき軍隊を解き放とうとする動きは戦後日本の規範と価値を踏みにじるものだ。学校に通う子どもたちは教科書で戦争の悲惨さを学び、重点は主に日本の人々が戦時中味わった忌まわしい苦痛に置かれる。多くの子どもたちは修学旅行で広島や沖縄を訪れ、日本の戦争放棄をうたう憲法への支持を底上げさせるような生々しい反戦のメッセージに触れる。それとは対照的に、安倍は汚名を着せられた日本の戦時中の過去を復権させようとする試みでよく知られるようになったが、国の評判に泥を塗り米国や東アジアの近隣諸国を遠ざけ、自分の方になびく人間をほとんど獲得できなかった。
国際的には、米国は過去半世紀もの間日本に重圧をかけてやらせようとしてきたことを安倍がついに達成したことを歓迎した。安倍の陰険な手段が彼の憲法クーデターの評判を悪くしていることや、民主主義の原理をおとしめていることについて懸念はほとんどないように見える。目的さえ達すれば手段は何でもいいのだ。韓国は、日本への批判は控えめにするように米国から圧力を受けていることもあり、周辺地域からの反応は比較的抑えたものとなっている。しかし中国は日本の軍事主義の再起に注目を集めさせ、中国の脅威を捏造したと安倍を非難する機会を逃さなかった。安倍が反対を強圧で封じたこととそのタカ派ぶりを非難しているが、自国の反対派を全て鎮圧し20年にもわたって毎年二桁の軍事費増加をしてきた国にしては随分厚かましいものだ。ある意味では、中国はその覇権的な野心で、あり得る地域のブギーマン[注:欧米などで子どもたちが恐れる想像上の怪物]のように振る舞ってきたことで安倍の安全保障計略推進の後押しをしたと言える。
2014年7月1日は自衛隊創立の60周年であるが、戦後日本史の分岐点として歴史に残ることになるだろう―安倍が民主主義をハイジャックした21世紀の「屈辱の日A Day of Infamy」(注)として。それを安倍は9条と日本の戦後平和主義秩序を無節操な方法で放棄することによって、そして憲法規定の手続きを踏む度胸もなく専断によって達成したのだ。人々は安倍を恐れているが、それ以上に安倍は人々を恐れている。
注: A Day of Infamy – 1941年12月7日の日本の真珠湾攻撃についてルーズベルト大統領(当時)が使った言葉。2001年9月11日の同時多発テロのときも使われた。
ジェフ・キングストン
テンプル大学日本校のアジア研究学科ディレクター、『アジア太平洋ジャーナル:ジャパン・フォーカス』エディター。Natural Disaster and Nuclear Crisis in Japan: Response and Recovery after Japan’s 311, Rougledge 2012 の編者、Contemporary Japan (2nd Edition), London: Wiley 2013 の著者。
(翻訳:乗松聡子)
初出:「ピースフィロソフィー」2014.7.8より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2014/07/japanese-translation-of-jeff-kingstons.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔eye2691:140708〕