14日の『「共犯者」とならないために―「独ソ戦争」での大量犠牲者をすかして政府のコロナ対策を考える!』を興味深く読みました。
すべてをナチ、ヒトラーに擦り付けて、「戦後処理」をしようとしたドイツ。日本と同じでした。それらは石田勇治さんの著作(『過去の克服』等)で明らかにされていますね。まあ、そこから先、とりわけ68年世代――日本で言えば全共闘世代ですが、この世代のその後の責任というのも看過できないかと思います。
たしかに『独ソ戦』に書かれていたドイツ国防軍の責任というのはしっかりと見ておかなければならないと思います。
戦後処理、戦後責任をめぐっては、往々にして日本ではドイツ―西ドイツが理想化?されて語られてきましたが、それは他人の家の芝生は青いの類だったのかとの感をもちます。
「他方ではドイツ国民であるが故の特権(高い生活水準の保証と社会的勢威の上昇)維持」――これを読んだとき、邦正美著『ベルリン戦争』(朝日選書)を思い出しました。
この本、お読みになったでしょうか。なかなかすごい中身です。
邦氏、東大卒業後、舞踏研究でドイツに渡ったそうです。そしてナチ体制下、ベルリンで赤軍との攻防戦を目の当たりにし、赤軍に拘束され、シベリア鉄道経由で世田谷の実家に帰ってくるのが記憶では1945年6月のはずです。
「高い生活水準の保証」――これ、邦氏の著によれば、邦氏がカッセルにいた時、連合軍の空襲に会い彼も被災したそうです。被災証明と、被災したリストを提出すると、サイズは別として、スーツや靴などが「支給」されたというのです。そうした物資の備蓄をナチは戦争準備段階からしていたというのです。要は、そうした点をきちんとしていないと国民から総スカンを食らうということを知っていたということでしょうね。何かといえば「神国ニッポン」と言っておれば済むところとは違う「合理主義の国」?ということかもしれませんが。
そして5月、邦氏はベルリンにいて、「ベルリン攻防戦」を経験するのです。その時の状況が同書に詳しく書かれています。赤軍の暴虐の限り等々。しかし、赤軍兵士の暴虐の限りは、スターリングラード攻防戦、モスクワ攻防戦等々があってのことなのです(要はやられたらやり返せの世界)。アントニー・ビーヴァーの各著作を読むとどういうものだったのか、よくわかります。スターリングラードからベルリンまで歩いて!転戦しながらたどり着いた兵士、ワルシャワからベルリンに続く一本道の電柱に吊るされた反ナチの人々等々。そしてドイツ降伏。
ドイツ兵もシベリアなどに送られるのですが、ソ連による捕虜 ドイツ兵と日本兵の死亡率の違い、僕の記憶では確かドイツ軍将兵の死亡率は60%台、日本軍将兵10%台だったのではないかと。その数字だけで凄まじい「報復」を感じます。そして賠償だと言って枕木まで剥がして持って行ってしまう執念というか怨念を感じます。
それにつけても――と思うのです。それだけの犠牲を払ってもドイツ、ロシア双方とも何とか和解の糸口を見つけようとしていると思うのです。古くはゴルバチョフが「ヨーロッパ共通の家」などと言ったりと、時代によって変化はありますが(プーチンはどうでしょう、大ロシア主義の権化という感じですが――中国の習近平もそうですね)。
翻って日本です。嫌中、嫌韓、嫌ロシアと全面展開です。
対ロシアには、国際法上の問題、連合国内での駆け引き等々があったにしても、シベリア抑留がよく取りざたされますが、確かに亡くなられた方から見ればそうですが、死亡率をみると、そのあまりの違いに愕然とします。
戦争というものの残忍さというものをもっとはっきりと認識していかなければならないと思うのです。とりわけ先の大戦でのヨーロッパ東部戦線の凄まじさ等。
「共犯者にならないために」――同感です。
それにつけてもドイツでの戦争責任追及を、先端を切って行っていったのは女性と知った時(石田著『過去の克服』)、もう40年以上前でしたでしょうか、岩波新書で松田道雄さんの『私は女性にしか期待しない』を読んだとき、なるほどと思ったのですが、それからずっとその視点から眺めていると、確かに時代を切り開いていった、いくパトスというものは女性がすごいなと思わざるを得ません。
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