NATO大空爆の肯定(善)と否定(罪)で分かれる二人のチェコ大統領――リベラリスト純文化人と元「スターリニスト」実文化人の国際外交――

 ベオグラードの日刊紙『ポリティカ』(2021年5月19日、20日、21日)の第一面は三日間チェコ大統領ミロシ・ゼマンへの感謝感激で一杯である。何故か。
 5月18日と19日の二日間、セルビア大統領アレクサンダル・ヴゥチチは、チェコ共和国を公式訪問した。18日、両大統領の会談の席で、セルビア代表団にとって想定外の言葉がチェコ大統領の口から発せられた。

 1938年、ヒトラーへの宥和政策でチェコスロヴァキアを西の国々が裏切った時、また1968年、東の国々が軍隊を送り込んで、ソ連がチェコスロヴァキアを占領した時、ユーゴスラヴィアは、そしてセルビア人は、私達を支援してくれた。それなのに、「私達は、セルビア人に対して空爆をもって、感謝にかえてしまった。それが故に、私は自分の名前でユーゴスラヴィア空爆に対して謝罪したい。セルビア国民に許しを乞いたい。これまで長い間私はこのことで苦しみ続けて来た。空爆が決定された時、我国は北大西洋条約機構NATOに参加して数週間しか経っていなかった。ほかに反対するような国を絶望的な気持で探した。いなかった。孤立していた。とは言え、勇気に欠けていたのだ。謝罪し許しを乞うたことで、自分の長い間のトラウマ(精神的外傷)が溶けた。」
 ミロシ・ゼマンは、1944年生れ。チェコスロヴァキア共産党に入党、1968年ワルシャワ条約機構軍侵攻後、1970年に共産党除名。

 セルビア大統領ヴゥチチは叫んだ、「歴史的な発言だ。セルビア人は今日ただ今からチェコ人を友達以上の、兄弟と思うだろう。」
 NATO加盟国チェコの政府はあわてた。首相や外相は、大統領声明を大統領一個人の、一市民の行為であると公言した。大統領ゼマンは、タンユグ通信のインタビューに答えて、「セルビアへの私の謝罪は、国連安保理の承認なしで、すなわち非合法に行われた空爆に対する共和国大統領の謝罪である。」と明言した。
 ミロシ・ゼマンは、1999年3月から開始されたNATOの対セルビア大空爆78日間の時、チェコ首相であって、NATO軍機のチェコ上空使用等々の、NATOの対セルビア戦争直接参加の責任者であった。そんな人物が直接選挙で大統領に選ばれて二期目の今日、かかる爆弾声明を発した。引退した後の失言ではない。

 初代チェコ共和国大統領ヴァーツラフ・ハヴェルは、NATO空爆をセルビアによって迫害されているコソヴォ・アルバニア人の人道的危機を救う為に国際社会が絶対に行うべきことであるとし、その意義を訪問先の国々で積極的に説得して来た人物であった。そんなハヴェル大統領の下で首相を務めていたゼマンが「NATO空爆は、crime(法律上の罪)よりも悪いsin(道徳上、宗教上罪)である。」と断言した。私=岩田の見る所、チェコ大統領ハヴェルが道徳上の善とした人道的武力介入をチェコ大統領ゼマンは道徳上の罪と見なしたのである。
 私の手元に二種類のセルビア週刊誌がある。一つは、ラテン文字で出版されている親北米西欧リベラリズム系の『ヴレ―メ』であり、もう一つはキリル文字で印刷されている『ペチャト』であって、親露容中ナショナリズム系である。
 『ヴレ―メ』は、セルビア大統領のプラハ訪問時にチェコ大統領が行った対セルビア空爆への謝罪・請許に関して5月20日号、27日号、6月3日号、いずれにも一言なし。無視である。
 『ペチャト』は、5月28日号に論説「ミロシ・ゼマンと謝罪 真実が解き放たれ、そして勝利しつつある」を発表し、副題に「チェコ大統領はNATO空爆に関して昔から知られていた事実を公式に声明したにすぎないが、セルビア人とセルビアを問題にする時、嘘偽と欺瞞の泥まみれになるヨーロッパに“新しい風が吹いている”と知らせてくれてもいる」と注している(p.9、強調は原文)。

 ここで論説の要約紹介の労はとらないが、ベオグラードには現在もチェコのハヴェル大統領と同じ見解を固持している知識人グループが健在である事がこの論説から知られる。ベオグラードのヘルシンキ人権委員会議長ソーニャ・ビーセルコ女史、セルビア人権基金創設者ナターシャ・カンディチ女史等である。彼女等は、ゼマン大統領の謝罪を批判していると言う。例えば、ナターシャ・カンディチは、ゼマンに罪なしとされたセルビア軍警が空爆の78日間にコソヴォ・アルバニア人を7000人殺害していた事がゼマン大統領によって忘れられていると非難したと言う。

 私=岩田の私見を短く述べる。ベオグラード管区裁判所は、2000年9月21日に、1999年3月24日から6月10日の空爆によって殺害された者1181人(軍人546人、警官138人、市民507人)の氏名と死亡地を具体的に列挙して、NATO首脳を被告とする裁判でNATO首脳に有罪の判決を下した。ここに示された1181人の6倍強・7倍弱のコソヴォ・アルバニア人が同じ期間にセルビア軍警によって殺されていたとセルビア人権基金責任者は、ゼマン声明を批判して公言していると言う。私達のような第三者的観察者は、その数字を全面肯定も全面否定もするのではなく、常に念頭に入れつつ、NATO空爆問題を考えねばなるまい。
 しかしながら、1990年旧ユーゴスラヴィア多民族戦争からNATO空爆に至る時期、北米西欧の市民社会では、コソヴォ・アルバニア人がアウシュヴィッツに匹敵するジェノサイドにさらされつつある、もはやノーモアウォーではなく、ノーモアアウシュヴィッツだと叫んで、人道的武力発動をすべしと言う、実例をあげれば、ドイツ赤緑政権外相ヨシカ・フィッシャー流の対外硬が支配的であった。その結果として、戦争被害者が数多く、セルビア人の側にもコソヴォ・アルバニア人の側にも積み重なって行った。ゼマンは、かかる一面的・一方的誇張に頼る国際政治、その結果として人道的悲劇を倍増して実質化してしまう国際政治へ自国が無批判的に加担した事を自己批判したのである。
 ナターシャ・カンディチの挙げる死者は、彼女が肯定するNATO空爆がなかったならばなかったか、あったとしてもはるかに少なかったであろう、と私=岩田は考える。
 更に推理すれば、ゼマン大統領の謝罪を大歓迎する『ペチャト』に180度対立する、すなわちハヴェル大統領と心をかよわす『ヴレ―メ』、親北米西欧リベラリズム系週刊誌がナターシャ・カンディチ等の数字に依拠して、ゼマン大統領に反撥するような事をあえてしていない所を見ると、この数字の信頼性に第三者としては疑いも出て来る。

                               令和3年6月19日(土)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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