2月8日と日本の「第三の敗戦への端緒」(11) 1月3日
日々の政治的動きの背後にあって決定力として機能しているものをあぶりだしたいという欲求があって長い論評になってしまった。そこには視えない力の存在という意識が働いている。日本の政治権力は権力の所業を被権力者の目から隠すことにあった。「知らしむるべからず」というのは伝統であった。アメリカは統治や支配を背後に隠すことでそれを機能させるという巧妙な関係を日本との関係で取ってきた。大衆もまた政治権力の動きを「お上の世界」としてわれ関せずという意識が強い。僕らが歴史に目をやる時、なぜあのとき人々は異議申しだての声をあげなかったのかという疑問がある。だが、当時の人々は後代の人々のようには権力の動きを知らされず、闇の中に真相が置かれていたということがある。大本営発表は戦時中のことだけではないのである。
視えない力を視えるものにするには想像力が重要なのであるが、間違うと妄想の類に足を取られることもある。政治権力において隠された力の機能を析出する時には陰謀史観のようなものに陥ることもある。あるいはイデオロギー的裁断になってしまうこともある。視えない力は事実として析出しにくいからだ。例えば、僕は戦後の日本の政治権力に働いているアメリカの力をえぐり出したいと思っているが、戦後の一時期に支配的であった左翼的な反米主義の立場からでもない。それは国際共産主義運動の革命戦略を日本の国家権力の分析に当てはめただけのものに過ぎなかったからである。僕は戦後の天皇や官僚や政党という日本の国家権力がアメリカの統治を受け入れそこで構築した関係の継続の構造を把握したい。それを変えるためにはその構造を知らなければならないからだ。陰謀史観やイデオロギー的裁断を避けた権力の実態分析はやさしくはない。沖縄の知事選に行ってこんな話を聞いた。復帰後の振興策の背後で沖縄の経済的自立の構想や動きは中央の官僚や大企業などで潰されてきたと。経済的な基地依存を保持するための見えないところで働いた力であり、アメとムチと呼ばれるものの背後にあったことだ。これは一例だがメディアの報道などではつかまえられないところがあることを自覚するしかない。視えない世界を視えるようにすることは権力を変えて行く大きな力だ。想像力の働きとともに、可視化することが重要なのだと思う。僕らの政治行動は異議申し立てと同時に権力の動きを可視化する機能を持っている。例えば昨今の沖縄の人々の行動が日米関係を可視化させたことを考えてみると明瞭だ。政治的の行動には単なる情報ではなくそれを超えて権力を可視化する働きがある。それを実践したい。
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〔eye1149:110104〕
12月8日と日本の「第三の敗戦への端緒」(10) 1月2日
1980年代の後半に研究会をやっていたことがある。主宰者はかつて中国(満鉄の上海支店)にいた人であり、経済的にも明るい人だった。「情勢分析研究会」がその名称だった。1980年代の半ばから1990年代にかけて日本経済はバブル経済に突入し、やがては破綻して行く時期であったが、主宰者がよく語っていたのは「中国に本格的に投資をし、経済の軸を対中国からアジアに切り替えていけばいい」という事だった。現在の中国の経済発展を予測していたわけで驚くべき先見の明だった。当時は誰も中国の経済が今日のように発展するとは思っていなかったし、語ってもいなかった。高度成長期を経て日米の経済摩擦が中心的な事柄だったが、ブラザ合意を経た日本の内需拡大策は円の急激な切り上げと相まってバブル経済になった。この破綻の後は「失われた20年」と言われる中にあるが、これは同時に日本経済がアメリカの新たな経済戦略に組み込まれていく過程を意味した。この段階でこそ対中国、対アジアへの経済戦略の転換をはかるべきであつたがそれを阻止していたのはアメリカの経済戦略であり、とりわけドルの基軸通貨維持戦略だった。
確かに日本の経済的な高度成長過程はアメリカとの生産力を巡る競争であり、その勝利の過程だった。「軽武装―経済重視」による戦後戦略の実現であったが日本経済は生産に見合う市場を持っていなかった。生産力の拡大と発展に見合う需要先を持ってはいなかった。経済的な競争相手であるアメリカ市場に依存するという矛盾の中にあった。経済摩擦はそれを現わしていた。アメリカは経済摩擦を経て日本経済との関係の再編をしたのであるが、その基本は日本の経済力をアメリカ経済圏として再編することだった。自由経済―グロバリゼーションの展開が理念的主張であったが、ドルが基軸通貨として日本経済をアメリカ経済の補完に組み込むことであった。ドルを基軸通貨としての維持する経済基盤を衰退すれば、ドルはアメリカの一国通貨になるか別の世界通貨を創出するしかない。そして円はドルの基軸通貨制から離れて一国通貨としての性格を強めるか別の世界通貨を構想するほかない。円のアジア通貨構想はその道だったがアメリカはそれを潰し、円を基軸通貨ドルの補完物にした。基軸通貨としてのドルは日本の経済力を組み込むことで価値暴落を防ぎつつ、世界経済での金融による支配の道を強めた。この破綻は既に示された。日本経済の「失われた20年」は円をドルの基軸通貨補完物にしつつアメリカ経済の模倣をした結果だが、本格的な対アジア経済での共同の道や通貨構想の頓挫は教訓としてある。
12月8日と日本の「第三の敗戦への端緒」(9) 1月2日
年越しの宮参りをしなくなってから久しい。さしたる理由があるわけではない。NHKの「ゆく年くる年」をかわりにして早々に寝てしまうのが最近の恒例だったが、気がつけばこの論評は年をまたぐことになってしまった。戦後の日本が第三の曲がり角にあって、アメリカに舵を握られているのではないか、という危機感がこの動機になっている。冷戦構造の終焉の後にアメリカは9月11日の事件を契機に世界戦略をイスラム圏との対抗を軸に再編成した。ここには地域紛争への対応やイスラム文明への対抗ということがあるが、アメリカの世界性がある。アフガニスタンからイラク、さらにはイランを睨んだアメリカの戦略である。これは第一次世界大戦後にアメリカが軍事と経済の力を背景に世界権力としての位置を保持しようとしてきた現在性である。さらにアジアでは北朝鮮―中国を構想した冷戦構造の再編を構想している。戦後のソ連圏(社会主義圏)を軸にした冷戦構造の終焉(1989年)の後に再編制したアメリカの次の世界戦略である。これが矛盾に満ちたものであることは明瞭である。アメリカの軍事的―経済的力の衰退があるからだ。これはアメリカ社会が寛容性を失い自由や民主制を変質せしめているに跳ね返っている。
かつて小泉―安倍政権は日本の防衛対象を「反テロと中国脅威」に設定した。これは小泉のブッシュ路線への同調(イラク派兵など)と靖国問題での中国への強硬な態度として現れた。日本はアメリカの世界戦略の再編に同調するのではなく、そこから距離をとり東アジアでの自己の位置を変えるべきだったが、むしろ過剰に同調して行ったといえる。日本はイスラム圏との文明的対立という意識はないし、テロの脅威感は少ない。アメリカにとってこれは対ヨーロッパ戦略の柱であっても、対日本の戦略にはならない。そこで現れたのが北朝鮮問題を中心にした対中国脅威戦略である。ある意味では東アジアでの冷戦構造の現代的な再編である。これはかつての冷戦構造とは違うにしても中国脅威論を軸に日本・韓国と中国及び北朝鮮の間で軍拡競争を煽るものである。アメリカの東アジアの分割統治戦略といっていい。アメリカとの価値観の共有、中国異質社会論がイデオロギー(理念)としてあるが曖昧で浅薄なものだ。むしろ日本もアメリカも経済的な新興国としての発展する中国との関係の深化が求められている。中国と日本が相互脅威論で敵対意識を深める悪循環に入る根拠は何もない。アメリカの世界戦略に距離を取り東アジアでの安全保障と友好関係の構築に歩を進めるべきだ。日米同盟というなら中国との同盟的関係が必要だ。
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〔eye1147:110103〕
12月8日と日本の「第三の敗戦への端緒」(8) 12月31日
友人の送ってきたメールで小沢一郎と菅原文太のラジオ対談を採録したものがあった。この中で菅原は小沢に日本の政治家は「何でアメリカに怯えているのか」という質問があった。これに対して小沢は「アメリカの巨大な力とアメリカに従っていると楽だという二つがあるのではないか」と答えていた。この巨大な力は核を含む軍事力であり経済力であるが、軍事力については先のところで検討した。経済力についていえば敗戦後はともかく、高度成長を経た現在ではそれはあまりないはずであると思える。むしろ、米軍占領期にアメリカの統治を受け入れることで自己の支配基盤を得た天皇と官僚がその後も同じ体制を継続してきた基盤を失うことであるように思える。日本の政党は官僚に育成されてきた側面を持つからアメリカと共同利害を組んでいる官僚などの勢力の報復に怯えがあるのではないのか。政党政治家はこの怯えと同時にこの勢力に抗わない方が政治権力の維持が出来るという考えがあるのかもしれない。これは日本の国家権力にあるものが真の意味で国民の基盤を持ち得ていないこと、そこからくる怯えであるようにも思える。
僕はここで田中角栄のことを再び思い起こすが、彼がロッキード事件というアメリカや官僚の報復の中で闘い得てことの中には地域住民(地元の人々)の支持を得たからであると思える。そこから連想すると福沢諭吉や中江兆民が何故に西郷隆盛を評価したかということが思い浮かぶ。近代化に抗し、封建的体制に固執したかに見える西郷を何故に近代思想の先端にあるかに見えた福沢や中江が支持したのか。そこに希望を見出していたのか。それは彼が中央の官僚政府(明治新政府)と戦争をし得るだけの大衆的支持基盤を形成していたからだ。大衆の自立性によって国家権力を組み替える可能性を見出していたからだ。
日本の官僚制的な権力構成と国民の自立的力(構成的権力)の関係をそこでみていたからである。この西郷的のものをある意味で田中角栄は体現していたのである。田中角栄は越山会を組織し、地域住民の支持を得てロッキード裁判を闘い得た。イデオロギ―的に囚われていなければこのことはよく見えるはずである。福沢諭吉や中江兆民が西郷の中に見た幻想は戦後の日本の政治を見るうえでも重要なはずである。今年は坂本龍馬がブームだった。それはそれでよいが、現今の政治状況と連なるものとして僕は西郷に興味を抱いている。田中角栄と重ねながら僕はその像を検討してみたい。龍馬と重なる政治行動者の見いだせない現在だからともいえる。
12月8日と日本の「第三の敗戦への端緒」(7) 12月31日
ある小冊誌(『はなかみ通信』)を読んでいたら鶴見俊輔が小文で「前と後ろが見えてくるときがある。1960年は多くの日本人にとってそういう時だった」と述べていた。そういえば今年は1960年の安保闘争から50年目であるが、僕はあのとき前と後ろが見えていたのだろうか。今はどうなのだろうかという自問が自然と沸いている。前も後ろも見えないというあがきの中に僕はあるというのが正直な実感であるが、もし見えていることがあったと言い得るとすれば米ソの世界支配という冷戦構造の虚妄性だった。1960年は米ソの世界支配が絶対的でありどちらかに加担する以外に日本の道はないというのが支配的な言説だった。これは日本の政治構造では1955年体制の中で保守と革新の構図を作っていた。僕は独立左翼としてこの構図全体の外に出る立場にあり、米ソの世界支配の虚妄性は見えていた。ただ、独立左翼の思想が世界的に孤立したものであることも自覚していた。そして、この虚妄性がどのよう実現し、解体過程がどのように出てくるかは良く見えなかった。
米ソ支配の冷戦構造は1989年のベルリンの壁の崩壊によって終焉した。そこへは過程的構造があり一挙に至りついたのではない。この終焉はアメリカの一方的な勝利だったのだろうか。もしそうであるなら米ソ世界支配が虚妄であったとはいえないからである。冷戦構造の終焉はアメリカの一方的な勝利に見えたにしてもそうではなかったのである。アメリカはこの構造の中で衰退を深めざるを得ない形でこれをあらわしたのである。ソ連圏(社会主義圏)という敵対する対象を失ったアメリカは冷戦後の地域紛争に対応する中で混迷を続けていた。9月11日を契機としてアメリカは世界権力的な軍事機構の再編にはいるが、イラクとアフガ二スタンでの戦争はアメリカの世界支配(世界的正義の実現と維持)の虚妄性を示していることに変わりはなかった。冷戦構造の終焉の過程の中で日本は戦後の日米関係を変える契機を持った。これはアメリカとの相対的距離を取り、アメリカからの自立度を高めることだった。それは日本が冷戦構造という枠組みを離れて東アジアでの独自の関係を構築する道だった。その意味では1972年の田中角栄と毛沢東の間でなされた日本と中国会談、日本と中国の平和条約の締結は予想以上の大きな意味を持っていたのだと考えられる。アメリカの頭越しの日中会談の成功はキッシンジャの激怒を招き、田中角栄へのアメリカの報復を呼び起こした。ここで重要なことは戦後の日本の支配層(官僚や政党などの諸勢力)が田中潰しに加担していたことだった。
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〔eye1142:110101〕
12月8日と日本の「第三の敗戦への端緒」(6) 12月30日
いつの間にか年末になってしまった。年末になると毎年同じようにボヤいているようなのでやめるが、日本の政治が袋小路に入っていることは誰の目にも明らかだ。菅や仙石は何をしたくて政治家になったのだろう、とはいくらか彼らのむかしを知る連中が集まるとでる話だ。マスメディアや官僚や保守派知識人、あるいはそれに連なった知識人などの妄言が戦後の日米関係の実体を見えにくくしているが、そこを切開できれば菅や仙石などが嵌めこまれている場所も視界が開かれるように見えてくるかもしれない。
日本が核武装し軍事的に自立しなければアメリカ支配からの自立はないという主張が軍事を過大評価する幻想であり、それ以前にアメリカから自立すること、戦後の日米の共同関係を変えるという政治的意思がなければならないのだ。
核戦争を覚悟した核武装というのが清水幾太郎の主張であったが、彼には戦後の日米の共同関係を変えるという政治的構想はなかったのである。アメリカに対抗した核武装は空想的でありそれゆえに幻想になるのかもしれないが、軍事力での対等な道とは違って日本がアメリカと対等になる道はある。それは日本の国家構想である。それが肝要である。アメリカの世界的権力的振舞いと軍事的展開は現在も存在しているが、このアメリカの展開は衰退しより大きな矛盾に直面している。軍事力での世界支配力の衰退は経済力と政治力(理念的力)の両面からやってきているのである。現状を超える世界関係や世界秩序のイメージを持った国家構想しかこの衰退は防げないのである。アメリカはイラクやアフガニスタンの戦争の次の段階としてイランや北朝鮮との戦争を準備しているのかもしれないが、アメリカの戦争に対する世界の支持は減衰の一方であり、アメリカはそれで衰退をとめられはしない。このことは日本がアメリカに対して軍事によらずとも対等な関係を実現して行く可能性と基盤は拡大する。こうした機会も増えてきている。例えば、こうした展開の一つの道である日本の東アジア共同体構築の道であり中国との関係の強化である。これを阻害するのはアメリカであり、戦後アメリカとの共同関係(共通の利害関係)で結ばれた日本の支配層である。民主党の政権交代前後から見られたアメリカと旧勢力の動き、民主党の変質の画策などはそれを示している。日本は国家戦略として戦争ではなく、非戦による安全保障の道を本格的に追求すべきであり、それこそがアメリカとの対等の道を用意して行く。日本の国家的決意次第で開けていく道であるが、戦後の日本の支配構造の変革が同時に必要である。
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〔eye1138:101231〕
12月8日と日本の「第三の敗戦への端緒」(5) 12月29日
新聞記事を丁寧に読んでいてもなかなか見えない事がある。戦後の日本とアメリカの政治的関係である。表面上は日本とアメリカは対等な独立的関係としてあるがためだけではない。アメリカの日本への支配は支配という形態を背後に隠したものだからである。この支配は時に露呈することもあるがなかなか姿をみせないのであり、支配の気配を見せない支配として存在している。これを自覚せずにいると日本の政治権力の奇怪な動きが見えないことになる。
アメリカの日本の支配が継続しているのは国家主権を奪った憲法9条が存在するためであるという主張が右翼や右派の一部に存在することを以前に指摘した。憲法9条の改正と究極の軍事力の復権=核武装がアメリカから自立を可能にするという考えである。清水幾太郎の「核の選択」がその代表的な議論であったことも語った。この考えは少数ではあるがそれなりに根強くある。戦後の日米関係は対等であり、そこにアメリカの支配関係は存在しないという理念や風潮を批判しているからである。これはアメリカが日本には支配力を及ぼしていないという権力や体制の理念の欺瞞性を指摘している。しかし、この主張に立つ右翼や右派の面々は本気でアメリカの支配からの自立を考えているわけでもないし、それを試みてたこともない。戦後の国家支配者(天皇・官僚・政党)は自己支配の根拠としてアメリカの理念と力を受け入れてきた。また、アメリカは日本統治のために天皇や官僚や政党を利用した。この日米の共同の関係(日本の支配層とアメリカ支配層の日本統治の共同関係)は軍事占領下を経ても形を変えて継続してきたのである。戦後に日本の軍事力の復活を促したのはアメリカでありこうした日米の戦後関係の枠内においてである。日本の戦後の軍事力はアメリカの要請によって出現しそのもとでの膨張を続けてきた。反米を掲げる右翼―右派はこの戦後の支配権力と親和的関係にあり、それを批判することもそこから自立することもない存在である。天皇と官僚の戦後転向を大きな基軸として形成された戦後の日米関係の枠組みの中にある存在であり、そこから自立する意思も思想もない。それならまだこの枠組みの中でアメリカとの対等な関係をめざして抵抗をしてきた吉田路線(軽武装―経済重視)の継承者の方が評価できる。彼らは日米の戦後関係の枠内であれ抵抗を試みてもいたからである。軍事力によるアメリカからの自立を主張する面々は日本の軍事力の弱さを理由にアメリカ支配の受け入れに積極的だった。戦後の日米関係を変えるという決意と構想の欠如を軍事(核武装)という幻想は表裏だったのだ。
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〔eye1137:101231〕
12月8日と日本の「第三の敗戦への端緒」(4)
民主党の首脳部の「政治とカネ」問題の政局化という動きを見ていると誰しもが何をやっているのだという思いがするのだと思う。政治的論評や報道の端々にその事態への苛立ちの言動をよく見かけるようになった。何でこんな問題が政治の中心的主題になるのという疑問だが、そこには政治権力の内部にいるものしか見えないことがあるかもしれない。小沢一郎と菅首相の会談後に「菅首相が随分と感情的になっていた」という小沢の感想は示唆的である。菅や仙石、あるいは岡田等のあせりと追い詰められた意識のはけ口がここに向けられているということであろうか。支持率への恐怖感と彼らのあせりはセットであろうが彼らが政治的構想(展望)を持っていないことと表裏のことだと思う。あるいはもっと見えないところでの政治的敗北があってそれを取りつくろうと焦っているのか。経済学者の浜矩子は政治的構想として鳩山首相の所信表明演説に戻ってみたらどうか、と提起しているがここにはヒントが示されている。
鳩山首相の所信表明演説は彼女の指摘するようによく出来たシナリオであった。それを誰が敵対し潰しに動いたかを背後まで想像力を延してつかめば菅や仙石やの軌跡、彼らの恐怖感も分かると思う。彼らが展望なき政治の泥沼にはまり込み出口のない状態に追い詰められているのは鳩山の所信表明演説のシナリオを裏切ることを企む力につかまえられたからである。これは彼らが政治権力を維持するために悪魔と手を結んだ結果か、わけの分からぬうちにそうなってしまったのかは問わないにしてもである。僕は彼らが政権交代の前後から関係の再編を意図して動き出したアメリカとの関係をどのように意識していたかを念頭において語っている。日本の官僚主導の政治主導への転換を政権交代のメイン理念(構想)は必然的に戦後の日米関係の見直しや転換にリンクするものだった。戦後の日本の統治は官僚を媒介にしたアメリカのコントロールを主軸に展開され、かつての天皇の官僚は忠誠の対象をアメリカに変え統治権力の主体であることを維持してきた。アメリカは日本の統治を表面から隠し、統治なき統治という巧妙な支配形態を維持してきた。だから、日本の国家権力は政党政治(議院内閣制)で運営されているという形態を取ることを可能にしてきた。確かに政党政治は国民の意思の表現として意味を持ってきたにしても大きな枠組みでの規定を受けてきたし、その自立的行動を取ろうとする芽は潰されてきた。そしてまた政党政治への不信として国民の意思を大衆的運動(国民的運動)で実現しようとする存在を可能にしてきた。
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〔eye1133:101225〕
12月8日と日本の「第三の敗戦への端緒」(3)
新聞の記事を一面から読んでいけばいろいろな記事があることに気がつく。一面が一番の記事ということなのだろうが、なるほどと思わせるものから何でこれがと思うものまである。だからと言って一面の記事に一番興味が引き寄せられるということではない。斜め読みで飛ばしてしまう事も多い。新聞を読んでいると社会の多様化と拡散に気づくし、今、根本的に国家や社会の中心にあり、それを律しているものを析出するのが難しいのは分かる。でも、そういう誘惑にかられることも避けられない。現在のような状況の中で中心にあるも考えることは可能かという自問を含みながらである。
日本の敗戦が無条件降伏であったかどうかという議論が展開されていたことを今どれほど多くの人が記憶しているのであろうか。これは東京裁判問題と関連してもいた。日本の無条件降伏、東京裁判を認めないという立場の人は日本の敗戦、つまりは敗戦を認めないという人達だった。こう言い換えることもできる。敗戦を事実として認めたにしても、思想や理念としては認めないということだった。そのイデオローグとしては江藤淳や三島由紀夫や晩年の清水幾太郎がいた。これに対して無条件降伏や東京裁判を容認する人は敗戦を日本の思想や理念の敗北として認めるという立場だった。これは概ね左翼や左派の人々の考えであった。この相違には前者の連中が「日本とアメリカ」という国家間関係という枠組みの中で思考していたのに対して、後者の面々は「国家と国民」で思考していた。これを明瞭にするのは憲法(憲法9条)についてである。前者はこれがアメリカの日本弱体化(国家主権のはく奪)と考え自主憲法制定(日本の主体性の回復)という主張をしていた。これに対して日本は非戦を国家意思として選択したのであり、日本国民の第二次世界大戦から得た思想であると主張してきたのが後者である。ここでは日本という国家の独立、あるいは主体性の回復が対米関係における国家間関係の古典的復活(国民国家間の対等な関係)へという志向がある。これを保障するのは軍事的な対等関係であり、日本の核武装を日本の選択として構想する。1980年のころ清水幾太郎は「核の選択」としてそれを提示していた。これはアメリカとの関係を古典的な国民国家の関係に戻すことが可能であり、そこで日本の独立や主体性が回復できるという幻想であり、通底音として繰り返しでてくるものであるが、これは不可能事である。第二次世界大戦とその後の世界権力としてのアメリカの存在はそれを不可能にしているし、そこに日本の自立も主体の回復もないからである。
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〔eye1129:101218〕
12月8日と日本の「第三の敗戦への端緒」(2)
「わたしが一番きれいだったときラジオからはジャズが溢れた 禁煙を破った時のようにくらくらしながら わたしは異国の甘い音楽をむさぼった」[(茨木のり子)。敗戦直後の田舎町を走り抜けるアメリカ軍のジープが怖かった。路地に隠れて震えている夢を幼い日にみた。あれは夢だったのだろうとは後の日の記憶だった。そのアメリカ兵からジャクナイフをもらった。敗戦期を経て日本の第一の敗戦は完成し、そしてそれを乗り越えようとする動きも出てきた。
アメリカに日本は戦争で負けた。それを敗戦とよぶことに躊躇がある人もいたにしてもこれは事実として多くの人に認められてきた。だが、この敗戦の事実を持って日本の敗戦というわけにはいかない。民衆や国民の敗戦革命の挫折と時の国家権力を凌駕した政治改革をアメリカ占領軍によって提示されたことにおいて敗戦は成就したといわなければならない。それは戦後改革と呼ばれるものであり、憲法の改正(9条=戦争放棄の提起)と農地改革を大きな柱としたものである。このことは僕らが絶えず記憶しておいていいことである。しかし、アメリカは冷戦構造の進展の中でその修正を企てた。それは戦争放棄の撤回であり、アメリカの軍事戦略のパートナーに日本を仕立てあげることだった。だがこれはすんなりとは行かないものだった。なぜなら、日本の国家権力も国民もアメリカの戦後の戦争に同調をしたわけではなかったからである。反ファシズムの連続性として反共産主義を理念として正義の戦争を推進した戦後のアメリカの戦争に日本は同調し、そこに組み込まれたわけではない。戦争に抵抗した国民の意思を背景に国家権力はアメリカに対する一線を画してきたのであり、アメリカの戦争に同調した海外派兵などは踏みとどまってきたのである。戦争で敗北した戦後の日本の国家は「戦争にではなく別の形態での勝利を志向した」と言われてきた。これは当初は「戦争ではなく外交での勝利」をめざしたといわれたが、実際のところは経済での勝利をめざした。軽武装―経済重視という
戦後の日本の国家戦略は戦争ではなく経済競争に日米関係の舞台を移してきたのだ。これには戦前の富国強兵政策への批判と疲弊した経済の再生という国民の意思が働いていた。戦争で壊滅的な状態になった日本経済は戦後復興から高度成長への過程を歩み、そこでは日米の経済摩擦を含めた日米の競合的関係が進展した。また、その背後では敗戦革命に挫折した国民の運動が1960年代の安保闘争や急進的な運動として新たな様相にあった。経済の高度成長と急進的な国民の抵抗運動は第一の敗戦を乗り越えようとした動きだったといえるのだ。
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〔eye1121:101213〕
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12月8日と日本の「第三の敗戦への端緒」(1)
僕は1941年の生まれだ。この年に日本はアメリカと開戦した。僕は4月生まれだがもちろん記憶はない。戦争についての記憶は1945年という末期の空襲などをかすかに覚えているに過ぎない。1945年8月の無条件降伏が敗戦であったことは誰の目にも自明である。バブルの崩壊とその後の「失われた10年」を日本の第二の敗戦という。これは必ずしも明瞭になっている概念でもないし、ポピユラーなものとして流通している言葉ではない。しかし、戦後の世界関係の主要な対象であったアメリカとの関係を表すものとしては明瞭であると思う。僕は政権交代後の日本の歩みを第三の敗戦という言葉で呼びたい気がする。第三の敗戦の端緒に入りつつあるということでもいいのであるが。
政権交代にあたって民主党の選挙公約(マニフェスト)が期待されたところは幾つかあったが、そのうちの一つに「対米関係の見直し」があった。これは内政的には「官僚主導政治の見直し」、外政的には「東アジア関係重視」がリンクしていた。これはまた日本の政治・社会の戦後を見直すことであった。民主党の政権交代実現が予測されるやアメリカ政府はこの動きを懸念しそれをつぶしにかかった。沖縄普天間基地移設と辺野古新基地建設という旧政権(アメリカ共和党と日本の自民党)の合意の履行を迫る形でまずあらわれた。官僚の総意を代表して検察は「政治とカネ」の問題で民主党の鳩山由紀夫―小沢一郎の排除に動いた。そしてまた、メディアは一方で日米同盟の危機を合唱し、「政治とカネ」問題では検察を後押しした。アメリカの狙いは日本の官僚やメディアという旧勢力を背後から巧みに使いつつ、民主党の鳩山由紀夫―小沢一郎ら排除し、小泉―安倍という自民党路線と変わらない「立ち位置」に民主党を取り込むことであった。民主党政権の変質を見ているとアメリカの用意周到な準備と戦略に驚かされるが、日本の政治家の見識や構想のなさに失望する。
アメリカの本当の狙いは東アジアでの戦争ではなく、中国の経済的の取り込み(ドル基軸通貨体制維持の確保)だが、軍事はそのために駆使されている。テレビではアメリカと韓国の軍事演習が、またアメリカと日本の軍事演習が報じられ、米日韓の軍事演習も間近だ。北朝鮮と中国が軍事的脅威で仮想敵国のように宣伝され、それに疑いを挟むことも難しい雰囲気になっている。北朝鮮が軍事的脅威でないことを一番知っているのはアメリカである。おそらく中国についても。アメリカは西欧流の分割支配の道具に軍事的恐怖感を使っている。
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〔eye1118:101209〕