1 いかに世界を変革するか
本書は「いかに世界を変革するか」を主題としている。魅力的なテーマである。
実際、世界と日本の多くの人々は社会の進路にいま閉塞感を深めている。
競争的な市場原理による資本主義に合理的で効率的な経済再生を期待した新自由主義は、一九八〇年代以降すでに三〇年余を経て、多くの働く人びとに安心のゆく社会秩序をもたらしていない。先進諸国の労働運動は、新自由主義のもとでのIT(情報技術)「合理化」、公企業の民営化、グローバルな競争圧力のもとで、組織率を低下させ、安価な非正規雇用の激増とそれにともなうワーキングプアなどの新たな貧困層の増大に有効な対処ができない。T・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房、2014年)が印象的に告発しているように、富と所得の格差が顕著に再拡大している。そのため内需は抑制され、景気回復は投機的バブルに依存する傾向を強め、経済生活は不安定性を増し、2008年にはアメリカの住宅バブルの崩壊から、1930年代以降最大の世界恐慌をもたらした。
それを契機に米日両国に2009年に民主党への政権交代が生じ、ニュー・ニューディールへの民衆の期待が高まった。それにともない翌年にかけてかなりの景気回復も実現された。それにもかかわらず、経済危機がひとまず鎮静すると、それらの政策はおしもどされて、民衆の期待は裏切られていった。
ニュー・ニューディールはなぜニューディールのような生命力をもちえなかったのであろうか。1930年代には、大恐慌の災厄をみることなく、工業化計画をすすめ失業者を生じていないソ連の社会主義的体制が、資本主義世界に衝撃を与えていた。一方で、ドイツ、イタリア、日本にファシズムをもたらし、その脅威への対抗関係をもふくめて、本書第11章などに扱われているようなマルクス主義への関心を浸透、拡大させていった。他方で、アメリカ、イギリスなどの反ファシズム諸国には、ニューディールをはじめとする社会民主主義的雇用政策を定着させ、労働組合育成をその政策の柱の一つともするようにうながす側面からの圧力をなしていた。
これにくらべ、ソ連型社会崩壊後の現代の資本主義世界には、競合的な社会体制の強力なモデルがない。ニュー・ニューディールが、労働組合の保護育成の施策を欠き、その社会的支持基盤を組織しえないまま、おしもどされたのも、それに起因するところがあるといえよう。1989年の東欧革命と1991年のソ連解体により、ソ連型集権的社会主義の体制も崩壊しており、世界的にみて、20世紀に資本主義の発展に代わる社会の進歩の方向とみなされていた社会主義が深い危機を迎え、それが資本主義世界の社会民主主義にも深刻な影響を与えているのである。
そのため、いまや経済生活上の格差と不安定性の拡大をもたらす欠陥が明白になっている新自由主義的グローバル資本主義の体制が、容易に変革されず、人間と自然にたいする荒廃作用が野放しに継続されている。その重い世界秩序の現状がわれわれの内面にも閉塞感を深めている。それは資本主義世界の歴史的危機であるとともに、その秩序を補整し、のりこえようと試みてきた社会運動とその思想と理論にわたる主体の危機でもある。この二重の危機をどうのように打開してゆくことができるか。
本書の最大の魅力は、こうした歴史の重層的危機をその由来とあわせて誠実にうけとめ、まさに「いかに世界変革するか」、資本主義をめぐるこの問題を、その根源からマルクスにたちもどって再考しようとする著者の再点検作業にある。その主要な著書のほとんどが邦訳されており、日本にもファンが多いイギリスの批判的知性を代表する経済史家であり、経済思想史家でもある著者が、生涯のほとんど最後にまとめた貴重なマルクス論の力作でもある。
D・ハーヴェイ『資本の〈謎〉』(作品社、2012年)も、マルクスによって現代の世界恐慌を分析しつつ、その最終章で「何をなすべきか?誰がなすべきか?」を問題としていた。いまマルクスにもどって「世界をどのように変えるか」が、深く広く問われている。ピケティ・ブームもいくらかはその反映ではないかとさえ思われる。
実際、それに続き、イギリス労働党は、新自由主義に譲歩を重ねていた「中道路線」に批判を加えていた、社会主義者を自認するJ・コービンを2015年9月に党首に選び、ピケティを顧問としてむかえつつ、労働者政党としての再建をすすめている。ついで、翌年のアメリカ大統領選挙戦では、サブライム恐慌以来「われわれは99%だ」としてウォールストリートなどから街頭占拠運動を広げていたミレニアム世代の若者たちを支持基盤のひとつとして、B・サンダースが(広義の)社会主義をめざす「政治革命」を訴え、大旋風をまき起こしている。その直接間接の衝撃も、予想外の大統領D・トランプ登場の一要因をなしていた。
いずれにしても、新自由主義的グローバル資本主義の潮流は、いまや変化への潮目をあらわにしつつある。とくに先進諸国内部にも多重危機の深化を介し、競争的な市場による資本主義の内在的作用の限界や矛盾をどう制御し、克服してゆくかがあらためて問い直されているのである。そこから、1930年代の危機を想起させる新たなファシズムにつうずる右派的再編への動向も多くの諸国に広がりつつあり、トランプ登場もそれを促進するおそれが危惧される。と同時に、それとのせめぎあいをつうじて大多数の働く人びと、社会的弱者の協力や結束への社会運動をうながしつつ、新自由主義のもとでの歴史の閉塞状態をのりこえて、21世紀世に界をどう変えるか、批判的知性の思想と理論の営為における努力も重要な挑戦課題としてあらためて浮上しつつある。本書には、その課題に取り組むうえで、豊かな示唆が与えられているといえる。
今年は『資本論』出版150周年、ロシア革命100周年にあたる。来年はマルクス生誕200年となる。その現代的意義をともに考えるうえでも、本書は貴重な手掛かりを与えてくれるにちがいない。
2 マルクスの思想と理論の史的再考
本書は、1956年から2009年までに執筆された論稿に加筆して集成した二部16章からなっている。第Ⅰ部は「マルクスとエンゲルス」の思想と理論の発展を再吟味する試みにあてられ、第Ⅱ部は「マルクス主義」の影響を再考する課題にあてられている。それぞれにおさめられている各8章の論稿は、多様な側面からマルクスの思想とその影響の歴史的意義を現代的に読み解こうとする一貫した姿勢につらぬかれている。
そのなかで、「いかに世界を変革するか」、著者が若いころ強く惹かれていたソ連型社会やそこでのマルクス主義から遠ざかり、まさに1956年のスターリン批判やハンガリー事件を契機に、本書に集められた諸論稿で西欧新左翼の代表的知性の一人として、誠実に研究と思索を重ねた挑戦的営為の緊張感が随所に示されている。1960年代以降の西欧マルクス・ルネッサンスの広がりにも重要な役割を担っていた著者による本書のマルクス論には、これに関連し、少なくともつぎのような三つの特色を指摘することができる。
第1に、本書には、「いかに世界を変革するか」をめぐり、資本主義の歴史性の批判的認識をふまえて、根源的に問題を提起しているマルクスとエンゲルスの著作が、いつどのような範囲で出版され、人びとに利用可能となってきたのか、世界各国にわたる入手可能なかぎりでの史実を集め、時代を追って再点検している(第8章など)。それは、マルクス学としても、今後補充されてゆくべき貴重な貢献をなし、優れた歴史家としての著者の世界認識への学問的な試みの一端をうかがわせるところである。
そこでも、スターリン体制のもとで、第一次『マルクス・エンゲルス大全集』(MEGA)のドイツ語版出版が、指導的編集者リャザノフの解任と謀殺により終焉し、マルクス主義の「正統スターリン主義的解釈」が強調されて、マルクス自身のいくつかの著作、とくに初期の著述まで異端視されたことが指摘されている。本書では、こうした取扱いに反発して、ソ連型マルクス主義における唯物史観の単線的で自然必然性的な解釈に対抗して、マルクス自身における歴史社会の多様な歩みについてのより広い認識や、それをつうずる深い人間主義的発想を重視する再解釈の可能性が強調されている。
日本についても、本書は、論及しているが、そこにはいくつか補足を要するところがあり、その点は巻末の「解説」で補っておいた。とくに、スターリン体制のもとでゆがめられ、未完に終わった第一次MEGAにたいし、おそらくは世界最初の『マルクス・エンゲルス全集』(改造社)の全27巻、別巻1冊が、1927~33年に日本で完成されていたことは特筆に値する。しかもその編集と翻訳にわたり、講座派と労農派とに分かれ相互批判と論争をおこなっていた日本のマルクス派の研究者が協力してあたり、本書で問題としているようなスターリン体制下の編集上の偏りも少なかったこともあらためて注意しておきたい。
第二の特色として、本書は、ジャック・アタリと同席した2007年の講演(第1章)などでも強調しているように、マルクスの核心が、その思想と理論の包括性にあり、世界を同時に政治的、経済的、科学的、哲学的である全体として理解しようと努めたことにあるとみている。それはたんに便宜的に学際的なのではなく、あらゆる研究分野を有機的に連ねてふくみこんだものであるとみているのである。それも労働運動を重視しつつ、優れた歴史研究をマルクスによりつつ、積み重ねてきた著者の実感あふれる総括といえよう。
本書でも、資本主義にいたる人類史の歩みをどのように包括的に理解すべきか、さらに資本主義をこえて「いかに世界を変革するか」、まさに雄大な問題と展望に現代的にとりくむためのマルクス論が各章をつうじ展開されている。広範な分野にわたる諸科学やさらには芸術とマルクス主義の影響を扱う第10章などには、ヨーロッパの代表的な知識人としてのまさに包括的見識のみごとな提示もみられる。たとえば、第二インターナショナル内部に生じた「真の芸術論」として、ウィリアム・モリスによるあらゆる労働の芸術創造の要素と、商品生産の芸術をこえる、日常生活環境、たとえば建築などの技術に期待する思想潮流が指摘されている。それは、大内秀明『ウィリアム・モリスのマルクス主義』(2012、平凡社新書)にもつらなる現代的な指摘でもある。
それとともに、本書のマルクス論は、歴史学はもとより、政治学、社会学、哲学など文字どおり広範な諸分野に関連する問題群を包括する卓越した力量を示すところとなっている。いわゆる人文社会科学の諸分野の研究に関心をよせる学生、一般読者に広く訴え、興味をもって読んでもらえる伸びやかな批判的知性の輝きがある。
日本のとくに戦後のマルクス研究は、これにくらべると『資本論』にもとづく経済学の分野に関心が集められがちで、その他の広い諸分野におけるマルクスへの関心との包括的な連動性が不足していた。その欠陥は、本書にも示される西欧マルクス・ルネッサンスの包括的な研究の連動性の影響もうけて、日本におけるフェミニズム、国家論、現代思想、社会学などでのマルクス派的研究が活性化するなかで、是正される傾向も生じつつある。本書は、そのような動向を促進する包括性を、マルクスの思想と理論の影響の世界的な広がりについて、印象深く語りかける特色を示している。
本書の第三の特色は、「世界をどのように変革するか」について、マルクスの思想と理論およびその影響にたちもどって再考をすすめるなかで、自由な個人の発達の理念を重視し、人間の本来的な主体としての発展に、歴史の進展の意義と動因とを期待するヒューマニズムの観点をつらぬいていることにある。
たとえば、本書によれば、マルクスとエンゲルスにとっての理念は、フーリエのたんなる本能解放論とは異なり、「人間のあらゆる能力の完全な発展」にある(第2章)。生産の原初的自然条件から、労働の専門化および交換の結果、さまざまな先資本主義的社会諸形態が形成され展開される過程は、マルクスにしたがえば、「同時にまた、人間的個人主義の解放である。」資本主義社会になれば矛盾した形態においてではあれ、「自由な個人の発達というヒューマニズムの理念は、先行するすべての諸形態よりもその現実に近づいている」(第7章、174―76ページ)。
『共産党宣言』は、第一章の結びに、「ブルジョアジーはなによりもまず自分自身の墓堀人をつくりだす。ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利とは、ともに避けられない」と述べている。しかし、本書によれば、「広範な推定に反して、歴史的変化は人々が自分たちの歴史を作ることを通じて進行するのだと信じる限り、それは決定論の文書ではない。墓穴は人間の行動によって、あるいはそれを通じて、掘られなければならない。」(第5章、157ページ)。
こうした著者のいくつかの論点における認識は、一方で、ソ連型マルクス主義のもとでの経済決定論とそれを共産党や社会主義国家の指導者が代表して指導する組織方針のもとでは、軽視されていた側面であって、著者はこれに批判的に対峙するマルクス論を提示している。他方で、新自由主義的グローバリゼーションのもとでの資本主義の、働く人びとと自然環境への破壊的荒廃作用に対する、根源的な批判と解決の方途をも示唆しているのである。
それにともない、本書では、マルクスとエンゲルスの政治論の特徴を、「いくつかあいまいな場所が残されている」ことも認めつつ、要約する(第3章)とともに、中村勝巳氏の「解説」でも強調されているように、「マルクス主義政治理論を開拓した」グラムシの貢献をとくに高く評価している(第11章)。抑圧されているサバルタン(被抑圧)階級が、有機的知識人の役割も組み込んで、ヘゲモニーをめぐる「陣地戦」を構築し、そのなかで政党や革命家と自由な個人としての大衆運動の双方向からの交流と運動をいかに組織し、育ててゆくか。ファシズムに抗して、その問題を探究したグラムシの思索は、たしかに現代のとくに先進諸国をつうずる困難な社会変革の思想と運動にも、豊かに示唆するところが多い。
本書は、西欧マルクス・ルネッサンスにおいてほぼ共有されているこうした発想に深く関わるところとして、著者の専門領域につらなる歴史社会の移行論にも注目すべき論点を提示している。
3 社会体制移行の論理
とりわけ、本書第7章は、『経済学批判要綱』の一部におさめられている「資本主義に先行する諸形態」を、独立の英語版として一九六四年に出版したさいに執筆された解説的序文にもとづく豊かな内容の論稿である。マルクスによる唯物史観としての人類史の総括、それに依拠した社会構成体の歴史的変化・移行の論理に興味をよせる読者には、参照され再読されてよい論点が多い。
そこでは、『要綱』のこの部分に「マルクスの最も輝かしい深遠な考察が示されており、この直後に書かれ、唯物史観をきわめて含蓄に富むかたちで提示した、あのみごとな『経済学批判』への「序言」への不可欠な補論が多面的に示されている」(170ページ)と、その意義が強調されている。そして、『共産党宣言』ではまだ言及されていなかった「アジア的生産様式」を導入して、原始共同体社会から生じ、それに代わる「代替経路」として、アジア的、古代的、ゲルマン的、およびいくぶんあいまいでアジア的とも類似性をともなうスラブ的、の三つないし四つの社会構成体の区分について、その典拠を探りつつ、その特徴づけが本書ではほぼつぎのように読みとられてゆく。
すなわち、アジア的体制は、工業と農業の自給自足的結合を保ち、都市は支配者としての君主らの居住地にとどまっていた。古代的体制は、農業と土地所有にもとづく奴隷制都市のダイナミックな歴史に特徴を示していた。ゲルマン的体制は、農村部の独立の生産センターとしての世帯にもとづきつつ、やがて都市と農村の対立により発展する。それらは、『経済学批判』「序言」では、「一見継起的な歴史諸段階として提示されているようにみえる」が、「まったくのところそれは明白に事実に反している」(118ページ)。
世界の多くの諸社会は、原始共産社会から、これら三つないし四つの社会構成体を、多型的社会発展の経路の類型として、同時代的にも並存させつつ、多くの地域ではそのなかのある種の類型を経ることなく、近代以降の資本主義世界に編入され、複雑な多様性をもって、資本主義化をうながされることにもなった。したがってまた、社会経済的諸構成体間の移行の論理についてのマルクスの見解も複雑で、いくつかの困難な問題を残している。たとえば、古代の地中海世界に、なぜ農奴制ではなく奴隷制が発達したのか。そこで到達していた生産諸力と複雑な生産諸関係とに、その理由があったと推論してよいかもしれないが、マルクスはそれを論じていない。また、古代的生産様式の崩壊が、なぜ封建制を必然的に導くことになったのかにも論理的理由があるようには思えない(200―03ページ)。
同様に、封建制の内的矛盾はどういうものであり、資本主義はそこからどのように発展したのかについても、マルクスの議論の筋道は明確でない。その問題をめぐって1950年代に、国際的に大規模な移行論争が生じたのもそのためである。封建的支配階級の収入増大の必要と、生産体制としての封建制の非効率性との矛盾にその社会没落の原因があったとするM・ドッブの見解や、R・H・ヒルトンが地代闘争の移行の原動力とみなしたことに、マルクスが同意することもありうるところである。しかし、少なくとも『諸形態』にはそれは予示されていない。これに対し、P・スウィージーは、封建的生産体制は使用価値を目的に組織されていたので、解体への動因はむしろ都市部での商業の成長にともなう軋轢にあったとしていた。この議論の筋道は『諸形態』の見解と「ごく類似している」(208ページ)。
こうした整理・検討を加えつつ、本書は、一方で『諸形態』におけるマルクスが、諸大陸にわたる人類史の全過程を、総括しつつ、それをつうじ階級諸社会の歴史としての人類の前史が、生産の原初的自然条件から、しだいに人間的個人主義、自由な個人の発達を多型的な歴史社会を経て、多くの矛盾や制限をそれぞれにともないつつ、いかに実現する歩みをすすめ、資本主義にいたっているかを大きな筋道として読みとろうとしている。しかも同時に本書は他方で、その人類史が、いかにそれぞれの地域の歴史社会の特性や諸制約により、かならずしも単線的で単純な発展経路をたどるものとはならず、むしろ多型的で多様な社会経済体制を並存させていたかをマルクスは認識していたし、異なる体制への移行の論理についても、一面的で単純な解釈を避けていたことを強調している。
その延長線上において、晩年のマルクスが、ヴェラ・ザスーリッチへの手紙などで、エンゲルスやその支持をえたロシア・マルクス主義者たちと異なり、ロシアの村落共同体が、資本主義の発達による解体にさきだち、社会主義への移行の基礎を与えうることを認め、「ナロードニキの見解に傾いていた」(211ページ)ことも、本書は指摘している。本書の『諸形態』論からすれば、それもさほど「予想外」のことにあたらないこととなろう。
それはソ連の「正統」マルクス主義が、スターリン体制のもとで、唯物史観の単線的な解釈にもとづき、遅れた農村の封建制を都市部での資本主義的発展とともに基盤としていた帝政ロシアの絶対王制的体制をまず近代化する市民革命にあたる変革をへて、社会主義革命を達成したと、1905年以降のロシア革命の経緯を総括しつつ、それと同様の二段階革命を1927年以降の日本共産党の変革路線の綱領にも指示していた発想とは異なる変革路線の可能性を、マルクスの思想と理論に見いだす解釈ともなりうる。
当時の日本では、いわゆる講座派マルクス主義の研究が、共産党の二段階革命路線を支持し、多数の農民を高額現物小作料で搾取している封建的体制が存続していることを強調していた。これに対抗する労農派マルクス主義は、明治維新を市民革命とみなし、その後の日本は農民も賃金労働者に転化して発達しつつあり、社会主義革命が直接に可能であり、必要とされていると一段階革命路線を主張していた。宇野弘蔵は、労農派によりつつ、ドイツや日本のように後発の資本主義は、イギリスと異なり、高度な資本構成による産業技術を最初から移入するため、都市部における資本主義の雇用増大速度が抑制されて、相対的過剰人口として農村部に多数の農民経営が存続し、農業問題が大きな社会問題となる特性を示すことを強調していた。それは日本のマルクス派では異端で少数派ではあったが、本書が評価している『諸形態』論での社会構成体の多型的発展論や晩年のマルクスのロシア論とも、実は意外に響きあうところであった。(なお、この問題意識に深く関わる最近の好著として、K.アンダーソン『周縁のマルクス』平子友長監訳、社会評論社、2015年、がある)。
海外で、日本のマルクス学派に戦前から生じていた重要な争点の一つとして、講座派と労農派の間の日本資本主義論争について講義やセミナーで説明すると、途上諸国からの学生や研究者たちから、同様の論争はそれぞれの出身国にも生じているという反応がほとんど例外なくかえってくる。
本書では、第14章で、戦後に植民地解放を達成した後の途上諸国における、そのような社会変革路線をめぐる論争が考察されている。そこでは、封建制から資本主義への移行の論理をめぐるドッブとスウィージーの論争が、1960年代に途上国の社会変革路線の問題に転移された形で再提起されたとみなされる。ことにラテン・アメリカ諸国などでは、対外的にはアメリカに代表される「帝国主義」に対峙しつつ、対内的変革課題は、二段階革命か一段階革命か。「正統派」共産主義政党は、ソ連の支援もうけつつ、「封建制」ないしその遺制としての大土地所有者の支配する「ラティフォンディズム」による農業利権の除去にむけての国民的共同戦線創出を重視し、当面社会主義的変革を目指すことは回避した。これに対し、スウィージーの移行論に類縁性を示すG・フランクやI・ウォーラーステインらの第三世界派によれば、資本主義は、本来的に「世界システム」としての市場関係をつうじ、中枢先進諸国が周辺途上諸国を支配し搾取する体制を形成し続けているのであり、そのもとで近代化を目指す変革は、基本問題を見失い、すでに資本主義の支配下に組み込まれている民衆の階級闘争への「裏切り行為」ともなる。それは、ラテン・アメリカ諸国のみにかぎらず、途上諸国の多くのマルクス派に生じた切実な政治論争の反映でもあった。
こうして、本書に提示されている体制間の移行の論理は、ソ連型マルクス主義に対抗する新左翼の思想と理論の基礎を、マルクスの『諸形態』論および晩年のロシア論、封建制からの移行論争、(われわれからみれば、それと呼応する日本資本主義論争や宇野理論)、さらには第三世界派の見解を、異なる歴史的文脈においてではあれ、通底する類縁性において再吟味させるところがある。その類縁性の意義をどのようにさらに論理的に再整理するかは、「いかに世界を変革するか」に関連して、日本をふくむ先進諸国にとってもいま資本主義の新自由主義的グローバリゼーションのなかで、あらためてマルクスにたちもどり、『資本論』の経済学を活かしつつ、根本的に考えたくなる重要な論点のひとつにちがいない。
本書第15章と第16章では、1983年のマルクス没後100年ごろからの新自由主義のもとでのマルクス主義とそれに関連する労働運動とが、とくに先進諸国において顕著な「後退期」に入ったとみなされている。そこに生じている困難な閉塞状況に、われわれはどのように対処してゆくべきか。本書の第16章では、マルクス主義の「後退期」が、2008年の深刻な経済危機をもって「終焉を迎えている」とも記されている。たしかに資本主義の内的矛盾を体系的に解明したマルクスの思想と理論への関心は世界的に再現している。とはいえ、本稿のはじめに述べたように、新自由主義的グローバリゼーションのもとでの労働者階級への抑圧、それにともなう経済生活上の不安と格差の拡大は、マルクスへの関心の回帰によってただちに解消されず、ニュー・ニューディールも少なくともいったんおしもどされている。したがってマルクス主義の「後退期」をどのように終焉させ、社会変革の道を打開してゆけるかは、本書をつうじ、なお大きな宿題として残されているといえる。
その意味では、1991年のソ連崩壊にともなうマルクス主義への衝撃は、労働運動にとっても小さくはなかったにもかかわらず、この時期に新たに浮上している一連の社会変革への新たな社会諸運動の可能性にも注目してゆかなければならない。たとえば、反グローバリズムや反戦・平和への新たな大衆運動、地域通貨や労働者協同組合の組織化による相互扶助的諸運動の拡大、それらによる地域社会の再活性化、地産地消への新たな取り組み、自然環境保全への住民運動やソフトエネルギー開発への社会的関心の高まり、脱原発への民衆運動、国際的な民衆連帯などが、しばしば反資本主義への傾向や志向性をともない、むしろこの時期に先進諸国にも広がっている。本書では労働運動に関心をよせるあまり、それらの動向はあまり取り上げられず、あるいはときとして労働運動とは利害が異なるところとさえみなされている。しかし、それらの社会諸運動にも資本主義的グローバリゼーションへのオルタナティブを求める民衆の発想や志向性が、さまざまな連帯組織の形成と発展への試みをともないつつ、現代的に育てられてきている。労働運動再生を期待し、促進しつつ、マルクス派はそれらをどのように受けとめ、今後の社会変革につらなるものと位置づけてその積極的意義をくみとってゆけるか。
本書における社会体制移行論の再考をつうじ、著者が現代世界に示唆している重要なメッセージは、新自由主義のもとで「後退期」を経たマルクス主義が、そのような問いかけにも応えうるような21世紀型の社会主義とそれにつらなる21世紀型の社会民主主義にともに活かされてゆく可能性であって、それにともなう変革経路やそのための当面の戦略課題は、それぞれの歴史社会とその主体としての民衆の選択にゆだねられるべき広く多様な可能性に富んでいるはずである。ともにさらに検討を重ね合わせてゆきたい。
第303回現代史研究会
日時:12月11日(月)午後5:00~9:00(時間が通常と異なります)
場所:明治大学駿河台校舎・リバティタワー8階1086号教室
テーマ:「歴史家ホブズボームとマルクス200年-水田洋先生を囲んで」
講師:水田 洋(名古屋大学名誉教授)、伊藤 誠(東京大学名誉教授)、中村勝己(大学教員)
エリック・ホブズボーム(Eric Hobsbawm)
イギリスの歴史家。1917 年6 月9 日、エジプト・アレキサンドリアで、ユダヤ系イギリス人の家庭に生まれる。ウィーンおよびベルリンで中学までを過ごし、1933 年にロンドンの高校に入る。奨学金を得て、ケンブリッジ大学キングズ・カレッジに入学。「赤いケンブリッジ」と称された知的環境のなかで、思想形成をおこなった。在学中、スペイン戦争の人民戦線救援運動に加わったが、奨学金を得ていたため義勇軍の国際旅団には参加できなかった。第二次大戦が勃発すると招集され、配属された部隊はマレー半島で日本軍に降伏し、泰緬鉄道建設の捕虜となった。しかし、ホブズボーム自身は、イギリス空軍教育隊に派遣されていたため、所属部隊の出発に間に合わなかったので助かったという。ケンブリッジ大学で博士号取得後、ロンドン大学バークベック・カレッジで教鞭を執った。
著書『市民革命と産業革命』『資本の時代』『帝国の時代』の「長い19 世紀」(1789〜1914 年)三部作、そして「短い20 世紀」(1914〜91 年)を著わした『20 世紀の歴史─極端な時代』は、世界的なベストセラーとなった。また共編著の『創られた伝統』は、近代において「伝統」が創り出されているという問題を指摘し、世界的に影響を与えた。著書は単著だけで24 冊におよび、14冊が邦訳されている。
2012 年10 月1 日早朝、白血病の複雑化による肺炎のため、ロンドンのロイヤルフリー病院で、95 歳で死去。本書への日本語版序文を「間違いなく書く」と旧友の水田洋に約束していたが、残念ながら間に合わなかった。
参考文献:『いかに世界を変革するか』エリック・ホブズボーム 水田洋監訳 伊藤誠、太田仁樹、中村勝己、千葉伸明訳 (作品社2017.11月新刊)
参加費:資料代:500円
連絡先:090-4592-2845(松田)
顧問:岩田昌征、内田弘、生方卓、岡本磐男、田中正司、西川伸一(廣松渉、栗木安延、岩田弘、塩川喜信)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study916:171204〕