1965年日韓協定の実質は経済協力協定、個人の請求権は未解決

著者: 醍醐聡 だいごさとし : 東京大学名誉教授
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2018年11月16日 


韓国の大法院が日本企業に対する元徴用工の賠償請求を認める判決を言い渡したことについて、河野太郎外務大臣は猛反発し、本件請求権は1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決しており、あとは日本政府が渡した供与等で韓国政府が元徴用工1人1人に補償をすれば済む話だと発言している。
本当にそう言えるのか? この問題を考える上で、重要なのは次の2つである。

個人の請求権は消滅していない(再論)
一つは、日韓請求権協定で何が決着し、何が決着していないかである。この点で重要なことは、すでに多くの論者(私もそのうちの1人)が指摘しているように、1965年の日韓協定で決着したのは国と国の請求権(正確にはそうとも言えない。後述)であって、個人の賠償請求権は消滅していないことを韓国の大法院だけでなく、日本の外務省も認めているということである。
たとえば、外務省の柳井俊二条約局長はで、「これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。」(1991年8月27日の参院予算員会)、「韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない」(1992年2月26日、衆院外務委員会)と答弁している。
とすれば、1965年の日韓請求権協定で元徴用工の請求権も決着済みという日本政府の主張は通らなないことになる。

1965年日韓協定の実質は国家間の経済協力協定
しかし、そうはいっても日韓協定で、日本が韓国に支払う3億ドルの供与と2億ドルの貸付を以て「両締約国及びその国民の財産、権利、請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決された」(第2条)と明記されている。これをどう考えればよいのか?
ここで重要なことは、1965年の日韓協定はしばしば「日韓請求権協定」と呼ばれるが、正式名称は「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との協定」である。しかも、内容に即していうと、実質は請求権協定というより、経済協力協定である。それは、協定の第1条第1項の末尾に「前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済発展に役立つものでなければならない」と明記されていることから明らかである。

椎名外相(当時)も賠償ではなく経済協力と明言
 現に、日韓協定の交渉に当たり、日本政府を代表して協定書に署名した椎名悦三郎外務大臣(当時)は1965年11月19日に開かれた参院本会議で次のように発言している。

「何か、請求権がという形に変わったというような考え方を持ち、したがって、経済協力というのは純然たる経済協力でなくて、これは賠償の意味を持っておるものだというように解釈する人があるのでありますが、法律上は、何らとの間に関係はございません。あくまで有償・無償五億ドルのこの経済協力は、経済協力でありまして、これに対して日本も、韓国の経済が繁栄するように、そういう気持ちを持って、また、新しい国の出発を祝うという点において、この経済協力を認めたのでございます。」

であれば、
①1965年の日韓協定第1条第1項にもとづいて日本が韓国に提供した供与、貸付けはもともと韓国の経済発展のために使うことが義務付けられ、韓国内の個人に分割分配できるものではなかったことは明らかである。
②また、交渉に当たった日本の外務大臣も賠償ではなく、純然たる経済協力だと国会で発言していることから考えても、1965年の日韓協定は事実上、個人の分も含む請求権協定ではなく、二国間の経済協力協定だったと解釈するのが正解である。

しかも、協定書の第1条第1項(a)では、日本が韓国に無償供与する3億米ドル相当は全額現金でではなく、日本の生産物、及び日本人の役務で供与するものとされた。
また、同条同項(b)では日本が韓国に対して行う2億米ドル相当の貸付は、この協定にしたがって実施される経済協力事業に必要な日本の生産物、日本人の役務を調達するために充てるものとされた。
このような条文に照らしても、1965年の日韓協定で定められた日本から韓国への供与・貸付は、国家間の賠償に当たるとしても、韓国の個人に属する請求権を決済するものでなかったことは明らかであり、同協定で元徴用工個々人の請求権も消滅した、あとは韓国政府の処理に委ねられていると言う日本政府、河野外務大臣の見解は条文解釈としても事実と道理に背く強弁である。

また、「ボールは韓国に投げられている」などと論評する日本のマスコミ(例えば、『毎日新聞』2018年11月15日付の大貫智子論説委員の見解)
https://mainichi.jp/articles/20181115/ddm/004/070/019000c
は不勉強も甚だしい。

被爆者訴訟で日本政府は個人の請求権は条約に縛られないと明言
元徴用工の賠償請求権も1965年の日韓協定で完全かつ最終的に決着済みという目下の日本政府の主張は、戦後賠償請求裁判で日本政府が示した見解にも背くものである。
日本の被爆者が原爆投下の被爆によって蒙った損害を補償するよう日本政府に求めた裁判で、日本政府は次のように主張した。

「五、対日平和条約による請求権の放棄
対日平和条約第19条(a)の規定によって、日本国はその国民個人の米国及びトルーマンに対する損害賠償請求権を放棄したことにはならない。
(一)国家が個人の国際法上の賠償権を基礎として外国と交渉するのは国家の権利であり、この権利を国家が外国との合意によって放棄できることは疑いないが、個人がその本国政府を通じないでこれとは独立して直接に賠償を求める権利は、国家の権利とは異なるから、国家が外国との条約によってどういう約束をしようと、それによって直接これに影響は及ばない。」
(東京地裁、昭和38年12月7日判決、下級裁判所民事裁判例集、第14巻、2450~2451ページ。下線は醍醐追加)

もともと、国家はその国民の持つ請求権を、当の国民の意思にかかわりなく、国家の名において放棄することができないのは、近代主権在民国家に共通する道義であるが、原爆裁判における上記のような日本政府の主張に沿って考えると、
①1965年の日韓協定において、個人の請求権をも放棄するという文言は、日韓両国政府がそれぞれの国民個人の国際法上の賠償権を基礎として外国と交渉する国家の権利(外交保護権)の放棄を意味したことは明確であり、
②そうした日本国あるいは韓国政府の意思とは無関係に、条約にどのように記載されていようが、韓国国民(ここでは元徴用工)の請求権は奪われていない、と解釈するのが正当である。

1965年の日韓協定交渉において、個人の請求権まで放棄したかの解釈を生むような協定に応じた韓国政府にも責任がある。しかし、日本政府と日本の加害企業は、植民地支配の時代の負の歴史、責任を直視し、徴用・強制労働の犠牲者への補償に真摯に応じることが求められている。

(追記)
この記事をまとめるにあたっては、次の文献・記事を参照した。

*山本晴太「日韓両国の日韓請求権協定解釈の変遷」
*岩月浩二弁護士のブログ記事 http://ur2.link/N7gN 

初出:醍醐聡のブログから許可を得て転載

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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4488:181117〕