はじめに
降旗先生は、自他ともに認める宇野理論の忠実な継承者であったといわれる。その厖大な業績は、原理論・段階論・現状分析のほぼすべての領域をカバーし、さらに、イデオロギー論や現実の政治状況、社会主義論にまで及んでいる。そこには大きく3つの理論的特徴があろう。①イデオロギーに対する経済学の独立性の強調、②唯物史観にもとづく歴史発展論の堅持、③弁証法的ロジックへの強い固執、である。しかしながらこれらの特徴も、時代の変遷とともに、かなり大きな振幅をもって変貌していったように思われる。この報告では、大まかな時期区分を行って降旗理論の変遷をたどり、その最終的な到達点の意義と限界を明らかにしたい。
1.1950年代後半~60年の東京大学大学院時代(世界資本主義論の時期)
宇野『経済原論』に魅了され宇野ゼミに入り、岩田弘とともに指導的論客として宇野理論の普及と啓蒙に取り組む。1958年の宇野退官後、鈴木鴻一郎編『経済学原理論』の実質的な著者の一人として、宇野『原論』を批判して世界資本主義論の形成にイニシアチブを発揮する。
2.1961年~73年の北海道大学時代(宇野理論の忠実な継承・発展の時期)
① 岩田が、「降旗は北海道の空を眺めているうちに心境の変化を来たした」と揶揄するように、世界資本主義論を放棄して、宇野の純粋資本主義論へと回帰する。ただし、1964年の論文「貨幣の資本への転化の方法論的考察」においては、価値関係の異なる複数の流通圏を想定し、それらを媒介することで価値増殖する「世界貨幣」によって、商人資本への展開を論じている。ここには明らかに、世界市場の自己展開を内面化して模写する世界資本主義論の痕跡がみられる。しかしこの主張は、宇野による批判を受けて撤回される。宇野自身も『(新)原論』から「世界貨幣」を除去し、新たに購買手段として貯蓄から流通に入る貨幣を「資金」に変更する。これ以後降旗は、ウルトラ純粋資本主義を自称し宇野原論を墨守する論陣を張る。
② 原理論内部の議論にとどまらず、哲学や社会思想の該博な知識を生かして、経済学と社会主義イデオロギーの関係あるいはマルクス主義の実践にかんして積極的な発言をする。『科学とイデオロギー』(1968年)において、加藤正や加古祐二郎の自然科学的方法論を受け継いで、科学の党派性や階級性論を批判し、カントにならい存在と当為(科学とイデオロギー)の分離を明確にする。またエンゲルス=レーニン流の「科学的社会主義」を全面的に拒否する。『歴史と主体性』(1969年)では、理論と実践の統一論を批判し、純粋資本主義の内部から変革主体が登場する余地がないことを主張する。マルクス主義正統派だけでなく、岩田弘や鎌倉孝夫らとも論争を展開し、ローザ流の階級闘争の自然発生論や資本主義の自動崩壊論を批判する。この主張は、新左翼諸党派によって前衛党組織論を基礎づけるものとして評価されることになる。なお、これらの著書には、現代的な科学哲学を先取りする知見も垣間見える。
③ 『帝国主義論の史的展開』(1972年)において、パルブス、ホブソンの世界資本主義的な帝国主義論と、レーニン、ヒルファディングの資本論の延長上にある帝国主義論とを両面批判する。後発性のメリットとしてのドイツ重工業の発展による金融資本のタイプとイギリスの海外投資による資本輸出との衝突として、宇野段階論の意義を明確にする。ただし、のちの降旗理論の萌芽である、基軸国家の基幹産業の生産力によって生産関係の変化を説明する唯物史観への傾斜、さらに労働力の商品化の無理を過剰労働力の滞留としての共同体の意義へと結びつける傾向が、胚胎していることも読み取れる。
④ 『宇野理論の解明』(1973年)において、エンゲルス『反デューリング論』の「社会的生産と私的所有の矛盾」という資本主義認識を徹底的に批判する。これはマルクス『資本論』の蓄積論においても部分的に残存する認識である。すなわち「私的生産=私的所有」(自己労働にもとづく所有)⇒「社会的生産と私的所有の矛盾」(資本家による不払い労働の領有)⇒「社会的生産=社会的所有」(生産手段の共有による個人的所有の再建)というシェーマである。これに対して降旗は、「封建的共同体⇒資本主義的市民社会⇒社会主義的共同体」という歴史観を対置する。そこには、唯物史観の論証とともに共同体への志向がすでに現れている。
3.1974年~83年の筑波大学時代(段階論・現状分析を唯物史観へ解消する時期)
① 大島清、榎本正敏とその門下の筑波大学グループとともに、宇野3段階論に基づく現状分析の方法論を考察する。それは、覇権国家の基幹産業を取り出し、その生産力の発展にもとづいて各国の生産様式の変容を説明する世界経済論による分析である。
② 重商主義・自由主義・帝国主義という経済政策論(段階論)を、初期独占の支配による本源的蓄積から自由競争の生産力的展開をみる自由競争の確立をへて、生産力の爛熟による金融独占体の形成と理解する。しかもこれを最終的には、イギリスの羊毛工業から綿工業、さらにドイツの鉄鋼業という基軸生産様式の生産力の発展によって基礎づけることになる。原理論で否定した、唯物史観の直接的な適用による「世界資本主義」の生成・発展・変容というべき歴史理論が、段階論のレベルで再登場してくる。
③ 現代資本主義論として大内力『国家独占資本主義』に対する批判を行う。その要点は、a) 国独資の成立をソビエト社会主義のイデオロギー的インパクトに求める政治主義的な全般的危機論である。b)金本位制の廃棄によるインフレ的財政金融政策にもとづき、需要の創出と失業の回避で安定成長を実現する一国モデルのタイプ論である、というものである。降旗自身は、宇野と藤井洋の論文を根拠に、世界農業問題と国家による資本主義の組織化を軸とする世界経済論としての戦間期現状分析を提起している。
④ 現代資本主義論を、段階論と同じく、基幹産業の生産力によって特徴づける。古典的帝国主義の生産力がドイツの石炭と鉄鋼業という生産財生産部門であったのに対し、現代は、アメリカの自動車・家電を中心とする耐久消費財部門に生産力の重心が移った。カーとオイルの生産力が、大量生産・大量消費と資源乱費・環境破壊、さらに私益追求のみを目的とするミーイズムを産み出している、という。これは、第一次大戦後における国家の役割の変化を軽視し、現状分析にまで唯物史観を直接に適用する経済還元主義ではないのか。
4.1984年~2005年の帝京大学時代(唯物史観による社会主義論に懐疑が始まる時期)
① 大島清・鎌田正三および武谷門下の星野芳郎などと交流を深め、唯物史観をさらに科学技術史観によって基礎づけ、世界史を技術論的に解明しようと試みる。この時期の諸編著では、20世紀末以降の現代資本主義が、福祉国家からグローバルな新自由主義へと180度転換する根拠をも、デトロイト・オートメーションから、ポスト・フォーディズム、MEハイテク化、そしてIT革命へといった、目新しい生産技術の発展によって説明しようとしている。
② 降旗のIT革命論とダニエル・ピンクの『フリー・エージェント社会の到来』に影響を受けて、榎本正敏らの筑波大学グループが『21世紀‐社会主義化の時代』を公刊する。いわく、IT生産力によって、現代資本主義の内部の賃労働者はパソコンという生産手段を個人的に所有し、インターネットによる情報の共同占有を通じて、自由で平等な自己実現型労働を行う独立自営労働者となった。これは、新しいITの生産力に対応するネットワーク型協働の生産関係の形成である。これこそマルクスの夢見た世界革命=世界社会主義の始まりである。
③ 降旗は、こうした筑波グループの社会主義論が、資本主義からの自動移行論であり、自らがかつて批判した「エンゲルス史観」ないし宇野が批判した「商品経済史観」ではないかという疑問を持つに至る。筑波グループの世界経済論、さらには唯物史観の適用による社会主義論にしだいに懐疑的になり、これらと一定の距離を置くようになる。
5.帝京大学退任の前後~2009年の逝去まで(共同体史観の形成と原論の再構成の時期)
① 『著作集全5巻』(2001~05年)をまとめ、各巻に長文の「解題」を書く。階級的唯物史観に疑問を深め、マルクス『要綱』の依存関係史論と中村吉治の共同体論をヒントに、独自の共同体史観を構想する。この「解題」と編著『市場経済と共同体』(2006年)では、人類史を生産力の発展にもとづく共同体の興亡史として位置づける。近代資本主義においても、市場経済原理は国民国家と家族という共同体に補完されて成り立つ。現代のグローバリゼーションはこの共同体を完全に解体するが、その未来に新たな世界共同体への展望を開く、という。
② さらに、現代は情報革命が社会のすべての部門を支配し、資本主義の価値尺度が喪失し、国家のバリアーが低下し、家族の再生産機能が崩壊しつつある。この資本主義の行き詰まりの中から新たな生産力による共同体社会が孵化している。NPO、NGO、国境を超えたボランティア集団、パソコンを生産手段とする自営型労働者のネットワークによる協働関係こそ、グローバル共同体の萌芽であり、本物のコミュニズムの始まりである、という。基本的に榎本=筑波グループの、新生産力による社会主義論を脱し切れていなかったのではないか。
③ 2004年、故渡辺寛の価値形態論への批判論文「渡辺寛君の価値論について」を執筆し、これまでの価値形態論を自己批判して、商品所有者の欲望による価値形態の展開は観念論であり、唯物論的には、逆に商品経済関係こそが人間の意思や欲望をも規定すると主張する。以降、山口重克らの原理論に対する批判へと向かい、山口原論が当事者の行動論的アプローチという方法論的個人主義を採用して新古典派・ミクロ理論へ接近していく傾向を危惧し、厳しい警告を発する。これに抗して、みずからも独自の原論体系を構想し始める。
④ 降旗は、価値形態論を、所有者の欲望に代えて、商品に内在する価値と使用価値の矛盾を梃子に展開する。これは、商品の内在的展開というヘーゲルの有・本質・概念の弁証法へ回帰するものであろう。さらに原理論の全体をも、商品の自己展開としての「流通論」を端緒に、流通が自己の内部に実体としての労働を要請することで「生産論」へ発展し、この総資本が個別的競争へ分化することで「分配論」に具体化すると理解することになる。
おわりに
降旗先生の原理論は、ヘーゲルの弁証法的発展論に依拠した初期の「世界資本主義論」から、カント的な科学とイデオロギー、理論と実践、論理と歴史の峻別にもとづく「純粋資本主義論」へと大きく転回した。しかし、段階論から現状分析については、基幹産業の生産力の発展を軸とする唯物史観ないし世界資本主義の弁証法的史観に頑なに固執し続けた。たしかにその歴史観は、中期の唯物史観から晩期の共同体史観へと大きく変貌したようにもみえる。しかし、グローバル共同体という晩期のコミュニズム論においても、それをMEという新しい生産力の発展によって基礎づけようとする思考方法は基本的に変化していない。しかも最晩年においては、段階論・現代資本主義論・社会主義論にとどまらず、原理論自体をも、ヘーゲルの弁証法的論理によって理解しようという志向が再登場してくる。若き日に岩田弘とコンビを組んで構想した世界資本主義論の思考枠組みが、終生、先生の論理構成に図らずもその痕跡を残していたのではなかろうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study612:140413〕