昨年末に、首相官邸と創価学会本部の「ホットライン」によって大阪都構想の住民投票に対する公明党大阪本部の決定が覆されて以来、大阪では再び橋下維新の活動が活発化している。いったん大阪府議会、市議会で否決された大阪都構想の法定協議会案が再び両議会に上程されて可決される見通しとなり、住民投票が現実の課題として登場してきたからだ。まさに「奇奇怪怪」の出来事というべきだが、もはや現実の政治日程として進行している以上、これに対する取組みを強めないことには大阪市は解体・消滅してしまうのだから恐ろしい。
もともと橋下維新の描いていた大阪都構想は、大阪府全域を「大阪都」として大阪市・堺市の2政令指定都市および吹田市・豊中市・東大阪市・八尾市などの周辺9市を解体し、20特別区(大阪市8区、堺市3区、周辺市9区)に再編して大阪府と一体化させるというもので、2015年までに実現することを目指していた。維新の触れ込みでは、特別区は一般市よりも権限範囲の広い中核市レベルの自治体になり、特別区には区長と区議会議員による区議会を設置し、区長と区議会議員は選挙で選出するというものだった。
ところが、その皮切りになるはずの2013年9月の堺市長選で維新候補が敗れて堺市が大阪都構想から離脱することになり、周辺9市の反応も思わしくないことから、橋下氏は自らが市長を務める大阪市だけで大阪都構想を「実現」する破目に追い込まれた。何のことはない。これでは大阪市を解体して大阪府に合併吸収するだけのことだ。こんな途方もない(でたらめな)構想が通るはずもなく、府議会、市議会で否決されたのは当然の成り行きと言えた。それが公明党の寝返りで「どんでん返し」になり、大阪都構想の賛否を問う住民投票が実施される見通しになったのである。
ここで留意すべき重要な点は、大阪都構想の住民投票は、大都市地域特別区設置法にもとづく「拘束型住民投票」であって、地方自治法74条の条例制定を請求する「諮問型住民投票」ではないということだ。これまで住民投票と言えば、住民要求を自治体条例として制度化させるために取り組まれてきた事例が多く、直接民主主義の有力な手段だと見なされてきた。ただし、条例を制定するには議会の同意が必要であり、条例そのものを住民投票によって制定または改廃することは現行法上認められていない。これが「諮問型住民投票」(議会に条例制定を諮問する)といわれる所以だ。
ところが今回の大阪都構想の是非を問う住民投票は、大都市地域特別区設置法(2012年8月成立)に基づき、橋下維新が自らの野望を遂げるために「上から」組織したもので、地方自治法の規定する住民投票とは全く性格が異なる。今回の住民投票は「拘束型住民投票」といわれるもので、住民投票で特別区の設置が決まるという極めて拘束性が高い投票制度なのである。国で言えば、憲法改正にともなう国民投票のような性格のものであろう。
大阪都構想は、大阪市24区を5特別区に集約して大阪市を解体し、大阪府に合併吸収するという「大阪のかたち=大阪の統治構造」を根本から変える仕組みだ。そうであれば、この種の拘束型住民投票は住民投票の成立条件を厳格に規定しなければならない。「大阪のかたち」を変えるような住民投票は、国家で言えば憲法改正手続きにも比すべき厳密な要件が課されるべきであって、住民投票の発議には府議会、市議会の3分の2の賛成が必要であり、有権者の過半数が投票しなければ無効となり、有効投票数の過半数の賛成が無ければ不成立になるといった厳密な要件が課されるべきだと思う。そうでないと、いかなる低投票率であっても住民投票が成立することになり、住民投票は少数の権力集団が多数の住民を操作・支配する強力な統制手段に転化する。ところが驚くべきことに、今回の住民投票には如何なる成立条件も付されていない。
「大阪のかたち」を変え、大阪市を解体する住民投票がかくも杜撰(ずさん)な制度で実施されることに驚かざるを得ない。これでは橋下維新によって大阪市政が事実上「自治体ジャック」されることになり、住民投票がファシズムの手段に転化していると言っても過言ではない。橋下維新の狙いは、「訳のわからない」大阪都構想を「訳のわからないまま」にして「○か×か」の単純な二択投票に持ち込み、府民・市民に十分な議論と理解の機会を与えないまま、大阪都構想を一気に実現しようとすることにある。このままでは、たとえ10%の低投票率であっても5%以上の賛成があれば、大阪市が解体されることにもなりかねない。
この事態は、国家の重要政策を「イエス」か「ノー」かの単純選択に還元して国民投票に掛け、これを繰り返しながら「国民合意」を演出してファシズム体制を作り上げていったナチスの手法に酷似している。橋下維新が仕掛けた住民投票は、議会での討論を排除して議会制民主主義を空洞化させ、有権者の判断を奪って合意の形成を妨げる民主主義攻撃そのものだと言うべきであろう。そしてこれに同調して府議会・市議会の議決を覆し、全てを住民投票に委ねるという公明党の態度は議会審議権の放棄であり、「住民投票」という名のファシズムへの拝跪(はいき)に他ならない。
公明党の変節は、目下進行中の安倍政権のファシズム化と深く関わっている。現在、国会では集団的自衛権の行使を容認するための安保法制議案に関する自公与党協議が始まっているが、その実態は安部政権の「言いたい放題」「やりたい放題」だと言われている(朝日社説、『与党安保協議、なんでもありですか』、3月1日)(毎日社説、『与党の安保協議、急ぎ過ぎ 詰め込み過ぎ』、3月6日)。公明党がかくも安倍政権に擦り寄るのは、創価学会の利益をまもるためには連立政権から離脱できないからであり、安倍政権の背後に公明党の「代役」として維新が控えているからだ。安倍政権は公明と維新を天秤にかけて「与党レース」を競わせ、憲法改正を通して「戦後レジームの脱却」を目指しているのである。
私は、今回の大阪都構想に関する住民投票が、来年以降に予定されている憲法改正に関する国民投票の「リハーサル」ではないかと疑っている。215万人もの膨大な有権者を擁する大阪市で行われる住民投票がいったい如何なる様相を呈するのか、有権者はどのような反応を示すのか、投票率はどれぐらいになるのかなど、そのひとつひとつが来る国民投票の得がたい「政治実験」になるからだ。憲法改正に関する国民投票を阻止するためには、安倍政権・創価学会(公明党)・橋下維新が仕掛けた大阪都構想に関する住民投票を圧倒的多数で否決しなければならない。決戦のときは2ヵ月後に迫っている。
初出:「リベラル21」2015.03.16より許可を得て転載
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