1.「冷夏」にも関わらず、「ホット」なヨーロッパ
今年のドイツの夏は涼しいを通り越して、いささか寒い。早朝7時頃にスーパーマーケットに買い物に行く時間帯では、しばしば道路にうっすらと霜が降りている時がある。私の住んでいるHardegsenが田舎町であるせいでもあるだろう。それでも、晴れた時には日中の気温が32℃くらいに跳ね上がる。しかし、その晴れも今年は長続きしない。天気の変わりやすいのはドイツの(あるいはヨーロッパの?)特徴であるが、すぐに曇ってきたり、雨が降ってきたり、時にゲビッター(雷雨)が襲ってきたり、なんとも目まぐるしい。そのため、外出時には上着と傘が手放せない。
夕暮れは、普段の夏では22時頃からやっと暗くなる。しかし、今年に限っていえば、曇り空が多いせいか、7時頃にはもう暗くなっている時がある。室外で呑んでいる時などは大変だ。急激に寒くなるからだ。登山の経験のある方は、山の天気を考えて頂けば分かりやすいだろう。
ところで、こんな自然現象に比べて、まさに真逆のように思えるのは今年の(あるいは去年から引き続く)ヨーロッパをめぐる情勢である。既に6000万人を超えるともいわれる大量の移民のヨーロッパへの流入。それによって引き起こされた排外主義的運動と各地での関連テロ事件。ギリシャ危機に見られるようなヨーロッパ諸国の経済危機(いまだにイタリア、スペイン、ポルトガルなどで経済危機はくすぶり続けている)。イギリスのEU離脱。フランスのニースで起きたフランス革命を祝う花火客をめがけてのトラックによる襲撃事件。そして、ヨーロッパとはいえないが今回のトルコでの軍隊の暴動未遂、こちらでの報道は「クー・デター」ではなく「暴動Putsch」である。そして、この原稿を書きかけた数時間前にヴュルツブルク近郊を走る急行列車内で起きた17歳のアフガン系の若者による凶行(斧とナイフで切りつけ、4人が重傷、若者はその場でテロ対策として市民にまぎれ込んでいた私服のコマンドによって射殺)、等々。
これら一連の事態、事件、「無差別テロ攻撃」の背後になにがあるのか、一概に断じかねる複雑な問題が絡んでいるとは思うが、少なくとも日本でよく報道されているような「アラブ系の狂信者(例えばISシンパなど)によるテロ」などと簡単に片づけられるものではないだろう。
移民や政治的亡命者への教育関連施設で働いているドイツ人の友人の話では、明らかな貧困は勿論のこと、身分も出自も姓名ですらあいまいなまま(というのは、各国を放浪する中で、絶えず名前を変えて生活している人が多いのと、パスポートなどの身元が分かるものを全く所持しないままに入国しているケースが大半であるため)、その上大抵は大人数の家族を抱えて来ているという事情による。既に、およそ600万人位をドイツが受け入れている。そのための収容施設を建設し、3年間の無償ドイツ語教育を受けさせ(もちろん、その間の生活を保障し)、幼少の子供には学校に通わせて相応な教育を施し、などしているそうだ。
その一方で、「豊かなドイツ」といえども、庶民の暮らしぶりはそれほど余裕があるわけではない。失業者も多く、仕事を2つや3つ掛け持ちしながら暮らしているドイツ人が多いのが実情である。社会保障費の天引きは高額に上る。生活防衛のための労働組合運動も盛んである。どうしてドイツだけがこんなに大量の難民を受け入れなければならないのか、という憤懣があちこちで聞こえる。これらの憤懣の声が、NPDやAfDなどの「ネオ・ナチス」に通ずる民族党を生んでいる。急いで付け加えるが、難民といえばすぐに「アラブ系」を思い浮かべがちだが、ロシア系、チェチェン(旧チェのスロバキア系)からの流民もかなりの数に上るようである。
しかし、他のヨーロッパ諸国はドイツに比べて更に貧しく、失業率が20%以上の国も多々ある。
こうした事態が日本で起きたならどうなるだろうか、と考えてみた。先ず、日本政府は大量の流民に対して支援の手を差し伸べようとはせず、波打ち際での封鎖活動をするだろう。そして、国内では一気に排外主義的な運動、民族主義的な運動が高まって来るのではないだろうか。対する左翼系が、普遍主義的な、つまり一般論としての「インターナショナル」(国際主義)を唱えたところで、それは虚しいだろう。何故なら、こういう形での「排外主義的民族主義対インターナショナリズム」の対立構図は、両者ともにあまりに抽象的すぎるからだ。一方で国内での失業、貧困(ワーキングプア、学童貧困など)、格差問題、消費税などの増税、社会保障の切り下げ・切り捨て問題を抱える現実がある。他方に国際的な格差や貧困、その背景にある戦争による国家や都市の消滅、廃虚がある。真の「インターナショナリズム」は、こういう問題に眼を据えてこそ意味をもつ。この両者を二者択一することではない。こういう問題の根底に眼を据えてこそ意味をもつ。単なる人道主義的なものでは本当の力にはなりえない。むしろ、実生活の重みという否応ないの内力で押しつぶされてしまうのが落ちである。失業、貧困、格差、戦争などの起こりうる根拠を徹底的に、まさにラディカルに突き詰める運動の中で初めて真の国際連帯は生まれ得る。国内における被抑圧層と国際的な規模での被抑圧層の利害が一致して始めて連帯が生まれ統一が生まれる。 Proletarier aller Länder vereinigt euch! というマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』の結びの言葉は、「万国の労働者一体化せよ」の意味である。単に「手を結びあう」というだけの意味ではない。
2.リューベック(Lübeck) への小旅行
ここらで堅苦しい話題を変えて、再びドイツ小旅行の話などに移らせていただこう。「ジャーマン・レイルパス」の消化のため、先週の土曜日に急きょ北ドイツのリューベックまで出掛けようと思い立った。リューベックは今更説明するまでもなく、かつての「ハンザ同盟」の旧盟主(その後覇権をハンブルクに奪われたが)であり、街は世界遺産に指定されている。この町出身のトーマス・マンの小説『ブッテンブローク家の人々』の舞台でもある。早起きして、8時14分発のバスに乗り、ゲッティンゲン駅へ。ゲッティンゲンからリューベックへ直通で行く、日に一本だけの新幹線(ICE)に何とか間に合い乗り込む。ところがこれがなんとものろい。日本の新幹線の早さを知っている身にはいら立ちばかり募って来る。途中で普通電車に抜かれたりするのも日常的なようで、どうしてこれで特別料金を払わされるのか、どうしても納得しかねる。しかも席は超満員、大きな荷物を抱えて通路に立っている人もまま見受けられる。私たちは全く幸運にも、空いた席が見つかり(空席でも、予約席だと途中から乗客が乗って来る)、最後まで座って行くことができた。
ゲッティンゲンを立つ時も、朝冷えだったが、北ドイツなのでかなり冷えるだろうと思い、シャツを二枚重ね、その上にブレザーを着こんでいく。天気は曇り。案の定、リューベックはそれでもなお寒いほどの冷え込みよう。駅から旧市街地まで徒歩で約10分程度の距離、この日は7月の第三土曜日でドイツの企業や学校は長期の夏休みに入っているところが多いせいか、かなりの人出でにぎわっている。リューベックの出入り口にある有名な「ホルステン門(トアー)」を抜け坂道を上って行く。路の右手にある古い建物の市庁舎前の広場に出た。広場には舞台が設けられていて、地元のコーラスであろうか、ドイツリートなどを歌っていた。大勢の客が思い思いに舞台に見入ったり、あるいは市庁舎地下のレストランに入ったりしていた。
Holstentor
われわれは一応そこを抜けて、すぐ横のこの町一番の繁華街通りをトーマス・マンの生家(「ブッテンブロークミュージアム」と呼ばれている)の方に歩いた。何度か来たこともあるので、そこも通り越して、赤レンガの古い作りのレストラン「シファー・ゲゼルシャフトSchiffergesellschaft」に行った。ここはかつての「ハンザ同盟」時代からの伝統的なレストランだそうで、この町一番の有名なレストランだそうだ。魚料理がおいしいし、建物自体も非常に伝統的な作りになっているので、ぜひ行ってみたらどうか、と友人たちに勧められた場所である。なるほど、建物はすごい作りだ。条件反射で、早速喉が渇いて無性にビールが飲みたくなった。しかし、誠に残念だったのであるが、開店は午後5時からになっていた。
Schiffergesellschaft
無念の思いでそこをあきらめ、再び市庁舎の方に戻り、市庁舎地下のレストラン(Ratskeller)に入る。どこの町でも、Ratskellerは一流である。雰囲気といい、料理の腕といい、かなりのものと考えてよい。ここも雰囲気は大変よい。料理は魚料理を選んだせいか、刺身やたたきの味に慣らされたわれわれ日本人にはいまいちもの足りない。それでも、店内の雰囲気にあったジャズなど聞きながらゆっくりした時間を過ごした。われわれの専用ボックス横にあった、立派な彫刻を施した大樽は、ワイン用の樽だったそうだが、この店の主人公の様な、大変な貫禄であった。
その足で、折角来たのだからOstsee(オストゼー:バルト海ともいう)を見に行こうということになり、電車に乗ってTravemündeという海水浴場まで行った。駅から徒歩5分ぐらいの広場に、ここでは常設の舞台があり、そこでバンドマンたちが演奏をしていた。広場には多くのフローマルクトの出店が出ていて、客があちこち見て回っていた。それでも、生憎の寒空の天候とあって、海水浴客は全く見えず、砂浜に多く並ぶStrandkorb(屋根付きビーチチェア)には人影もなかった。おそらく平年並みの夏日なら人出でにぎわっているのだろうが、今年はあいにくの冷夏だ。ホテルや店舗の人たち、夏だけで商いをやっている人たちが可哀想になる。去年立ち寄ってロシュトックの豪華な家が立ち並ぶ海水浴場に比べて、庶民的で、なんとなくなじめる感じがした。
一応満足したところで、ゲッティンゲンへ帰ることにした(大してカネのかからない日帰り旅である)。
2016.07.19記
記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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