2016ドイツ便り(6)

1日・独四方山話

日本からの盛夏(灼熱)の便りが嘘のように、このところドイツは涼しい日が続いている。朝、犬を連れての散歩の時など、陽だまりを選んで歩くほどで、まるで日本の晩秋である。しかし、「涼しい」のは大歓迎であるが、「寒い」となると、私たちのように夏期間だけの滞在者にとっては難敵であるし、対応に苦慮する困りものである。着る物をもってきていないからだ。

ドイツではよく見かけるのだが、夏でも皮のジャンバーを着こんでいる人がいる。もちろん、日中の日差しが強くて気温の高い時ではない、夕方、少し薄暗くなってきて、気温が極端に下がって来た頃にである。この国の特徴(日本や東南アジアから見てだろうが)である一日のうちの寒暖の差が極端に大きく、またひと月のうちにもすごく暑い日と寒い日が入れ替わることが間々あるせいである。そのため、半そでのTシャツと皮ジャンバーという身なりが一部のドイツ人たち(特に若者)の一種の習慣になっているのかもしれない。

そして今週はまた、真夏だというのに極端な寒さが襲ってくる予想がある。ここニーダーザクセン州の、この近くの地域天気予報によれば、8月9日(雨)20℃/8℃、10日(雨)16℃/7℃、11日(晴)18℃/13℃、12日(雨)21℃/14℃となっている。

一応セーターは毎年持参している。しかし、ズボンは夏用の薄いものしか持ってきていない。ドイツの底冷えする寒さに耐えて外出(友人たちとの約束で、毎週最低二度はゲッティンゲンまで出掛けている)出来るのか、不安である。

お天気の話序でに言うと、今年のドイツは蠅(Fliege)が異常発生している。どこに行ってもやたらに多い。先日、この家の女主人(Petra)が、娘家族二組とわれわれ二人、総勢9人の朝食(トルコ風の料理)を用意した時、どこからともなく入り込んできた蠅に調理場は大騒ぎ。それまで手持無沙汰だった私はたちまち蠅取りに駆り出される始末となった。

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トルコ風の朝食(非常に健康的だ)

ドイツでは、日本で使っていたような「蠅たたき」(針金で作った、先端に少し大きめの網目部分のついたもの) は、ほとんど見ない(もっとも、最近はときどき見かけるときもあるが)。殺虫剤などは使わない(多分公衆衛生上の問題のため)。そのため、新聞紙を丸めたものや、30㎝位の厚紙を2枚程度重ねて即席の「蠅たたき」にしたものなどを使って打ち殺す。今年は何十匹殺したことだろうか。最近ではPetraに「蠅たたきマイスター」と呼ばれるようになっている。

雨が多くて、水たまりが出来ると蚊(Mücke)が異常発生する。幸い、今年はまだ蚊に襲われていない。その代わり、この大量の蠅の発生である。天候との関係はよくわからないが、この辺に農地が多いこと、また特に最近の傾向として無農薬栽培(BIO)に力を入れていることなどが、大いに関係しているものと思われる。

そういえば、つい先ごろ聞いた話では、ベルリンで大雨が降り、地下鉄(Sバーン)が水浸しになったそうであるが、同じベルリンでもシュパンダウ区(Spandau)はカラカラ天気で、水不足状態だとのこと。東京の区部は雨ばかりでも、山間部は日照りが続き、東京の水ガメが干上がるのと同じ現象がドイツでも起きているということか。

今月末にはそのシュパンダウに美味しいビールを飲みに行く予定でいる。何でもシュプレー川(Spree)沿いの広大な森を見ながらの遊覧旅行を企画していると友人はおっしゃるが、私の目的は毎度のことながらその後の醸造所兼居酒屋で飲む美味いビールである。

先日、その友人の誕生会に招かれた。以前にも書いたことがあるのだが、ドイツでは日本と違って、誕生祝いをされる当人が勘定を全部持つ風習になっている。もちろん、招待されるお客は、何がしかの手土産は持参するのだが、そんなのは高が知れている。自宅で誕生祝いをするのならまだしも、レストランやホテルを借りてやるのでは出費も大変だ。

その日は、ゲッティンゲン郡に所属している古い町、ドゥーダーシュタット(Duderstadt)のはずれのなかなか古い由緒ありそうなレストランを借りて行われた。

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Duderstadt近郊のレストラン

Duderstadtという名前について、面白い逸話が残っている。昔、この街を造った3人の兄弟がいて、さて名前をつけようと思って、一人がもう一人に「お前が名前を付けろGib du der Stadt den Namen」といったところ、いわれた男が言いかえして「お前が名前を付けろGib du der Stadt den Namen」といった。互いに譲らなかったため、もう一人が「それでは、この町の名前をDuderstadtにしよう」といい、それに決まったという。

ここは古くは、ハンザへの通り道、またケルン方面への通り道として栄えていた有名な商人町で、ナチスドイツ時代にはナチス政権にかなり抵抗したため、逆にこの場所にユダヤ人強制収容所が建設されることになった。また東西ドイツ時代には国境線(東西を分断する壁=鉄条網)がこの街を分断し、周辺には地雷原が設置されていた。そして最近では、難民を大量に受け入れている(受け入れさせられている?)ようである。一つの古い街が時代の荒波に如何に振り回されているかが分かる。ゲッティンゲンからの交通の便は、今のところ車かバス以外になく、交通の便は悪い。こういうところに難民用の共同住宅が多いのが現状である。

2.地方選挙(9月11日)の行方-左右の激突か?

ドイツでのわれわれの生活は、大抵朝早くに起きて、7時頃に散歩を兼ねてスーパーマーケットにその日の食品の調達に行く。近頃では半そででは寒いので、上から長袖を重ね着して出掛けている。スーパーは近いところでは徒歩10分位、少し遠いところでは、徒歩15~20分位かかるが、あくまで散歩の目的もあり、あえて遠い方に行くのが通常である。

最近歩いていてあれっと思ったのが、政党のポスターである。ドイツでは日本のようにどこにでもべたべたと貼るような見苦しいことはしない。よほど注意しないとなかなか目につきにくい。それでも最初に目に留まったのが、道の途中の街灯のポールのかなり上の方に掲げられていた奇妙な絵入りのポスターであった。(写真左)

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よく見ると、ドイツの右翼国民政党(NPD)のもので、メルケルを茶化した似顔絵の下に「客引き(逃亡ほう助者)メルケルを止めろ」と書かれていた。これは明かにメルケル政権下での難民受け入れに対する批判である。また、別の日に見たポスター(写真右側)には、「虚偽の報道を遮断せよ」といった呼びかけのもと、将来の報道規制(弾圧)をうかがわせるようなスイッチを切る図柄が描かれていた。何れも具体性には欠けているが、不気味である。そしてこの日のこのポスターが皮切りで、次の日の朝には、今度はDIE LINKE(左翼党)のポスターがNPDのポスターのもっと下の方、歩行者の目に付きやすいところに貼られていた。さすがにDIE LINKEは地域で急速に成長しているだけあって以下の様な3種類の違ったポスターが確認できた。

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DIE LINKEの主張は、かなり地域の具体的な要求に根ざしているように思う。「保育園のためにもっと人を増やせ。健康と福祉を」「村に学校を、病院を。充実した生活を送れる地域を」「近距離交通の強化を、運賃値下げを」というものである。更に次の日にはAfD(ドイツの選択という名前の政党で、NPD同様にネオナチ的な右翼政党である)と、このハーデクセン地域の地域政党であるFBLとがポスターを掲げていた。

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AfDは、「AfD以外何かあるのか(AfD以外にないだろう)」という内容。FBLは、「自立も権限も市民への密着もない地方政治反対」というものである。

DIE LINKE以外には今のところ具体的な政策を唱えた政党はない。まだこの後に、CDUやSPDなどが政策をアッピールしてくるのであろう。あまり軽々しい判断を下すことは今の段階では控えたいが、少なくともこの段階で見えて来るのは、難民問題、地域間格差問題(医療福祉、公共交通、保育所や下級学校=小・中学校の充実)とそれに伴う財政問題、報道の自由に対する問題などが焦点になっているらしいということある。

この地域にはほとんど見るべき産業は無い。この地域の働き盛りの人たちは、ほとんどが近隣のより大きな街(ゲッティンゲンやノルトハイムなど)まで働きに出掛けている。朝夕に見かける車のラッシュがそれを物語っている。小規模の農林業と牧畜が地場産業である。東京周辺に見られる典型的な「ベッドタウン」である。そして老人世帯が多いのも良く似ている。国政(あるいは州の政治)の問題と地域政治の問題を一緒くたにして論じることはできないが、先に挙げた政党の要求を見るだけでも両者が絡み合いながらも、また独自な地域問題化していることがうかがえる。残念ながらEU問題やBrexitの問題は直接取り上げられていない。しかし、これらが少なくとも間接的には大きな意味をもつであろうことは間違いないであろう。

2016.08.10記

記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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