2016年11月26日 青山雫・世界恐慌の教訓とアベノミクス・世界資本主義フォーラムのご案内

  • 主催 世界資本主義フォーラム
  • 日時 20161126() 午後2時~5時
  • 立正大学大崎キャンパス 9号館5階 951教室

〒141-8602 東京都品川区大崎4-2-16 TEL:03-3492-2681

大崎または五反田駅から徒歩7分

最寄り駅からの地図は http://www.ris.ac.jp/access/shinagawa/index.html

  キャンパス地図は   http://www.ris.ac.jp/introduction/outline_of_university/introduction/shinagawa_campus.html

  • 報告者:青山雫
  • 題 目 1930年代世界大恐慌の教訓と2008年世界金融恐慌・アベノミクス」 ※報告要旨が、本案内の末尾に、貼り付けてあります。

  『情況』89月号掲載青山論文「30年代の教訓と2008年金融恐慌・アベノミクス」を恐慌形態変容論へと整理し、現代恐慌論へのプレリュードとして報告します。 

  • コメンテーター:五味久壽(立正大学名誉教授)
  • どなたも参加できます。
  • 問合せ・連絡先
    矢沢 yazawa@msg.biglobe.ne.jp  携帯090-6035-4686

青山報告要旨

現代恐慌論へのプレリュード(仮)    2016/10/15

青山雫

リーマンショックで引き起こされた世界的金融危機を1929年に始まる大恐慌との比較論がありがちだが、両者は現代的恐慌としての特徴を共通に持つものの、実態はかなり違う。その点の考察と、それを踏まえて現時点でのアベノミクスの評価にも言及する。

1.循環性恐慌 自由主義段階~第一次世界大戦前後まで

好況期の横への資本蓄積=資本構成不変の蓄積を通じて、労働力供給が逼迫、労賃騰貴による利潤率の低下と信用拡大による利子率の高騰が衝突し(1)、資本蓄積の突然の停止、恐慌へと劇的に転化する。商業資本による信用を大規模に利用して形成された投機的在庫商品の投売りにより、商品価格の崩落、手形信用恐慌とそれに基づく産業企業の広範な倒産を通して、過剰資本の整理が暴力的に進行する。(2)恐慌とそれに続く不況期=死活の競争戦を通じ恐慌に耐えた一部資本の固定資本の更新が個別資本的な蓄積により進み、低落した一般商品価格と労働力商品価格および利子率水準を前提に高度化された資本構成の資本蓄積が準備され、不況から好況局面へ移行しあらたの循環が開始される。

物価動向から見るならば、好況期を通じての需要の供給拡大に対する先行が物価の全般的な騰貴傾向を導き、好況末期に特に暴騰を見る商品が現出し、そこに投機的在庫形成を見ることとなる。同時に労賃騰貴とに挟撃され、利潤率の急落と決済資金の払底による利子率急騰により、信用の巻き戻しが強行され、逼迫する信用決済に引きずられて、在庫滞貨の投売り、商品価格の暴落が生じる。資本蓄積の突然の停止により生産過程から大量の労働者が排出され、労働力商品価格の急速な低下も同時に生じる。

 

*好況→恐慌→不況→好況→・・・の循環性恐慌。

*資本構成不変の蓄積→(恐慌)→高度化された資本構成によるあらたな蓄積。

労働力の吸収→(恐慌)→労働力の排出

*物価の傾向的上昇→一部供給逼迫商品の急騰と投機・労賃騰貴→投機崩壊、在庫投売り、物価崩落、労賃下落

*現実の19世紀中葉期のイギリスを中心とした景気循環では、労賃騰貴はそれほどではなく、むしろ資本主義の周辺から供給される農産物価格の騰貴が決定因となっている。(3)労働力商品化の矛盾とは宇野の作り上げた神話。(4)

*信用を大規模に利用した投機(レバレッジ)とその崩壊はあらゆる恐慌に随伴する普遍的契機。唯一(?)の例外はチューリップ恐慌(オランダ 1636-1637)で球根による前払いが広く行われたという。

 

イギリス発の循環性恐慌は1873年恐慌以降消滅し、四半世紀以上にわたる大不況期=デフレ経済に世界資本主義は移行するが、その間および20世紀に入って第一次世界大戦前まで、アメリカやドイツ発の主に鉄道投機の破綻を契機とする循環性恐慌は生じていた。イギリスは次第に産業的な優位を喪失していくが、世界貿易と世界資本主義の金融センターとしての地位は揺るがず、恐慌の世界的波及と金の再配分機能を果たしていた。この過程でイギリス自体には恐慌が顕著には生じず、そのことが大不況期に形成された過剰固定資本の廃棄雇更新が停滞し、アメリカ、ドイツの産業的台頭を許す結果となった。金本位制のもとでのスターリングポンド基軸通貨体制。(5)

 

(1)実際には、イギリスから見た貿易収支の逆調が短期借り長期貸しの期間
ミスマッチとあいまってイギリスからの突然の金流出が生じ、金準備防衛のためイングランド銀行が急遽利子率を引き上げるにおよんでいた。また信用恐慌に対応したピール条例停止と「最後の貸し手」についてはウォルター・バジョット「ロンバード街」(戦前からの宇野弘蔵訳あるがイングランド銀行を「英蘭銀行」と記すなど、旧態歴然なので2011日経BPクラッシクス版をお薦めする。「お金に自分を管理する能力はない。それがここ<ロンバード街>には大量に堆積している」)

この期のイギリスを中心とした恐慌過程については鈴木鴻一郎編「恐慌史研究」(日本評論社 1973)など参照。景気循環を主導した産業はいうまでもなく綿工業だが、本文で触れた綿花以外の農産物投機(小麦など)も顕著であったこと、また投機的に敷設された鉄道業と鉄工業の破綻が恐慌促進要因として副軸をなしていることにも注意。

(2)商業資本による信用を大規模に利用した投機的在庫形成とその崩壊を恐慌の激発性の主要な景気として位置づけた研究として、鈴木鴻一郎編「経済学原理論(下)」(東京大学出版会 1960)および伊藤誠「信用と恐慌」(東京大学出版会 1973)参照のこと。

(3)「恐慌史研究」参照のこと

(4)とはいえ宇野弘蔵「恐慌論」(岩波書店1953 岩波文庫 2010)は必読基本文献。

(5)いわゆる大不況期における世界的景気循環の変容については鈴木鴻一郎編「帝国主義研究」(日本評論社 1964)参照のこと。

また循環性恐慌のこの期における継続性についての考究は侘美光彦「世界資本主義」(日本評論社 1980)を参照。

2.世界大恐慌 現代恐慌の嚆矢=自動回復力(1)の喪失とレヴァレッジ経済の全面化

第一世界大戦の結果として、アメリカ資本主義が圧倒的地位に立つ。世界の金保有の過半を占め、かつ最大の債権国になり上がる。イギリスは対外債権の相当部分を喪失するとともに、ポンド弱体化に苦しむ。金本位制へはアメリカにはるかに遅れをとり1925年無謀にも旧平価で復帰。ケインズは金本位制を野蛮の遺制と痛罵。(2)

大戦は1918年に終結するが、アメリカ資本主義が一人先行して1919年に金本位制に復帰。戦後処理のための赤字財政に伴う戦後ブームは1920年恐慌を持って終焉を迎え、途中でいく度かのリセッションを含みながらも、ここから大恐慌期まであらたな継続的景気拡大局面に移行する。恐らく1920年恐慌が史上最後の循環性恐慌で、戦中期に形成された高物価体系がリセットされ、過剰資本の整理が行われる。

「永遠の反映」とも呼ばれる好景気に沸いたが、期間平均では年率3%程であっていわゆる高度成長とは異なる。いずれにせよ中成長が継続したにも拘らず、実質賃金16%上昇にとどまり労働生産性の21%上昇が上回って、一般物価水準も全く上昇の気配がなかった。これは独占体を中心とする改良的設備投資と市場支配力の高まりの結果であった。この間失業率は7.6%から2%弱にまで低下。

所得格差は著しく進展し、独占体(利潤170%増)と一部経営者や顔役など富裕層に富が手中。人口の5%が90%の富を握る。(3)

独占体における労賃抑圧というよりも、もともとのフォードに代表される高賃金ドクトリンがあり、高収益にもかかわらず、すでに賃金は高位にあるとの経営者の認識があった。

好況期前半までは住宅ブームが顕著だったが後半は家電製品や自動車など耐久消費財ブームにわき、消費者信用が史上初めて自動車の割賦販売を中心に普及する。

独占体・富裕層に堆積した余剰資金が、一部は内部留保から設備投資に回ったが相当部分はブローカーズローンの形で株式市場に流れ込みバブルを発生させることにな銀行も巨大産業企業が自己金融化するなか、新たな収支先を同じところに求めた。電機・電信・映画・電力など新興産業に最初は顕著な株価上昇見られたが、次第に全般化し29年に入ってからは投資会社の設立やらバブルの上にバブルを形成するような情勢になり、10月24日の「暗黒の木曜日」を迎えることになった。株価はそれに先立つ9月3日にピークアウトし(381ドル)、それ以後神経質な値動きが続き、直接にはキャピタルゲインを求めて流れ込んでいたポンド短資がポンド防衛のためにひそかに引き上げられていたのをきっかけに、一挙に崩落することになった。

株式市場の動きにたいして、景気動向は耐久消費財ブームも自動車生産でみるならば29年8月にピークアウトしなだらかの後退局面に入りつつあったといえる。

(1)大内力「国家独占資本主義」(東京大学出版会)大内のセントラルドグマは無論「どんな恐慌であっても必ず自動回復する。」である。管理通貨制の骨子をインフレ政策による実質賃金抑制で恐慌回避とするのは、全く歴史を知らない議論。

(2)J.M.ケインズ「貨幣改革論」1923

(3)チャールズ・R・ガイスト Wall  STREET :A History

大物顔役の一人がJ・F・ケネディの父親である、ジョゼフ・P ・ケネディでインサイダー取引や密造酒などで巨額の富を形成。フランクリン・ルーズヴェルトの参謀の一人。

負債デフレ=累積的収縮過程の際限ない進行(1)

株式価格崩落により、株式を担保に形成されていた債務の返済が急がれ、株式の投売りによるなお一層の株価下落がすすみ、今度は土地、建物、商品などの資産価格も下落し、それにより今度は資産を投売りしての債務返済といった悪循環が生じ、資産価格全般の際限ない累積的下落と、支出の減少すなわち有効需要の縮小につながり、一方そのことが自動車産業など耐久消費財部門の巨大独占体の顕著な生産制限に波及し、そのことが労働者のパートタイム化、解雇として消費需要と投資需要の減退につながり、一層一般物価の低落を呼び起こし、そのことがまた負債の実質価値を高め、一層の支出減退につながり、資産価格の崩落は銀行の担保の劣化を導き、銀行経営自体の動揺、貸し出し姿勢の保守化を呼び、一層生産と消費支出の縮小を導き、取り分けて農業貸出に特化した地方銀行経営の窮迫が顕著となり、その部面から預金取り付け騒ぎと銀行破産が激化し、と同時に消費支出激減により特に農家経営が直撃を受け、戦後積み増されていた負債の返済が滞ったことから土地の差し押さえにより、離村農家が激増し(「怒りの葡萄」)状態が現出し、工場から排出された労働者の大量の一群とともに、世情は不穏の一途たどり、まさに暴動が各地で発生する事態にまで至り、鎮圧のためついに国軍発動となり、その先頭に立っていたのがマッカサーだったりして・・・

1929年から33年にかけて、いくどか連銀が銀行救済策として5億ドル規模の緊急救済融資を実施するが、銀行としてもいつ取り付けにあうか判らない上に、返済の見込める融資先もないことから、結局連銀に預金する(日本的にはブダ積み)よりほかなく、さしたる効果はあげられずに終わり、フーヴァー政権のあとのフランクリン・ルーズヴェルト就任直後の全国銀行休業にまで突き進む。結局こうした一連の銀行破たんを通じて債務の整理が半ば暴力的に強行され、ようやく有効需要に復活の兆しが見え始めたのもこれを契機としてなのだった。

どん底でのGDPはピークの約半分、株価は10%、失業率は25%というすさまじさであった。(月次ベース)3.負債デフレについてはA・フィッシャーが嚆矢。株価暴落前に楽観論を吐いて面目を失ったが、これにて帳消しか。

ルーズヴェルト政権によるいわゆるニューディール政策はGDP費で5%程度の赤字財政出動でしかなく、有効需要創出策としては効果は限定的であったが、農業保護や労働政策によりセーフティネットがようやく形成されていったことが人々にもたらした安心感が大きかったのだろう。それから預金保護によるたんす預金から銀行預金への還流が銀行貸し出しスタンスにとっては大きかった。

ルーズヴェルト自身は均衡財政論者で、37年に財政規模縮小と金利引き締めにより再び29-33年恐慌より激しい落ち込みを招いてしまう。完全にアメリカ経済が復活するのは第二次世界大戦にかけての準戦時・戦時経済体制化の巨額の軍事費支出を待つこととなる。

アメリカのGDP推移 大恐慌とリーマンショック

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NY株価の歴史的推移

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a4 大恐慌は、アメリカ一国の景気循環にとどまらず、弱体化した国際通貨ポンドの動揺がオーストリー金融恐慌(1931年)に始まる欧州金融恐慌によりついに金本位制を離脱するに至り、基軸通貨なき国際経済の分断、為替切下げ競争、関税障壁による相互報復というブロック経済化への道を進み、第二次世界大戦へとつながっていく。その意味で史上空前の資本主義世界の危機の契機となった。

3.サブプライム金融恐慌 100年に一度の危機(グリーンスパン)?

背景

*2000年のITバブル後始末としての低金利の継続

*持ち家政策の推進 移民・低所得者層向け~貧富の拡大のビホウ的対策

高齢者のセカンドハウス需要、ベビーブーマーの住宅取得年齢化

 

金融規制緩和=シャドーバンキング 商業銀行外の資金調達 MMFなど

金融工学などにより、サブプライム層への住宅ローン拡大。

証券化によるオフバランス処理

資金源は企業遊休資金(投資停滞やダウンサイジング)や年金など機関投資家、海外
資金(新興国、日本、ドイツ、中近東など)

 

ところが、2000年来のデフォルトデータと価格上昇傾向継続を基にするリスク評価に甘さあり、住宅価格の頭打ち(2006)と返済優遇期間の終了とともにデフォルトが多発。サブプライム証券は色々の金融商品に姿を変えて、アメリカ国内のみならずヨーロッパ各地の金融機関や地方公共団体にまで拡散し、世界的な金融危機を誘発。

特に2008年9月のリーマンブラザース破綻を契機に、金融システム全体が麻痺。

FRB、ECB,イングランド銀行は大規模流動性供給とともに資産買取などを見境なく行い、大恐慌化を阻止。システミックリスク回避は大恐慌の教訓。当時のFRB議長のベン・バーナンキは大恐慌研究の第一人者。

アメリカのGDP推移 10%の落ち込み 1年で回復軌道へ

a5金融規制緩和

かつての銀行員:ストライプのダークスーツを着て、「363」の堅実だが退屈な仕事。3=3%の横並び金利、6=9時に出社して3時に上がる6時間勤務 3=午後三時からは優良取引先とゴルフ。それがハイリスク・ハイリターンが当り前の生き馬の目を抜く業界に。 企業の銀行離れにより、いっそう拍車掛かる。

 

証券化技術

ようは大数の法則の応用。融資先を多数束ねれば、デフォルト率が安定するから、リスク係数も客観化する。さらにそれを階層化しローリスク・ローリターン、からハイリスク・ハイリターンに三分類。計算上はハイリスクでもデフォルト確率は10万年に1回??

4.アベノミクス 異次元緩和の無意味さ

大恐慌でも見られたように、市中銀行が融資先を見つけられない融資したくないときにいくらマネーサプライ増やしても、ブダ積みになって中央銀行に戻ってくるだけ。大恐慌のときは貸し出しリスクが余りに大きく、取り付けにいつあうか分からない中にあってのことだったが、現在の日本の場合大企業はおなか一杯余剰資金を抱えていて、融資受けてまで投資する意味がない。国内市場は飽和している。ブダ積みを阻止するべくマイナス金利に踏み込んだが効果発揮できていない。市中銀行の敬遠する融資先の一つである不動産投資に迂回的に流れているのかも知れな。

かつてのバブル景気の時ですら、CPIは年率1.7%であったことを思うと、2%のインタゲの無理さ加減が分かる。所得の頭打ち、日本経済先行き見通しの不透明感、年金供与の高齢化などあり、消費がそう簡単に上向くとは思えない。

一部好業績大企業も、今後のイノベーションや合同合併による市場風景の激変に備えて従業員給与の引上げに前向きになりようもない。

復興需要やオリンピック建設への財政出動も一過性に終わりかねない。半永久的な給与補償=ベーシックインカムを今こそ断行すべきだろう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study782:161031〕