ここ毎年、ドイツへ来る前に「ジャーマン・レイル・パス」の使用回数の一番少ないもの(5回)を買ってくることにしている。回数の多すぎるものは、使い切るのに骨が折れる。また買わずにくれば、フランクフルトについて、ゲッティンゲンまで行くのに通常の価格で切符を買わねばならず、二人で新幹線(ICE)代を含めて150ユーロ以上も払わなければならない。これは高い。だからこの回数券を使うのだが、今のところ、このためだけにやむなく買っているという感じである。この切符の使用期間は、かつては2カ月間の通用期間があったのに数年前から短縮され、今では1カ月以内に使い切らなければ失効してしまうことになった。到着の翌日から旅行に行くなんてことはありえないため、わずか4回分を持て余すことになる。
また、ドイツに慣れるに従って、ドイツ国内旅行に飽きてきて、ホテルの予約などの計画がだんだん億劫になって来ている。その上、DB(ドイツ鉄道)の列車運行状態のひどさ、1時間程度の遅れは頻繁である。乗り継ぎを合わせると当初の計画に3時間位のずれが生じ得る。これでは最初に立てた予定は完全に狂ってしまう。しかし、だからと言って余りの分を捨てるわけにもいかない。
今回もこの回数券の消化目的の旅となった次第である。チューリンゲン、ザクセン、ザクセン・アンハルト州への3泊4日の旅にでた。
Gotha(ゴータ)のMuseum(美術館)に大感激
最初に訪れたのはチューリンゲン州のゴータである。ゴータと言えば、かつてドイツ社会民主党(SPD)がこの地で創立された時、その綱領をめぐってカール・マルクスが有名な「ゴータ綱領批判」を書いて、その修正主義を手厳しく批判したことで知られる土地である。
当然、その有名に引かれて一再ならずこの地を訪れてはいる。しかし、いつも駅周辺の閑散とした、何の変哲もない情景に気分がめいるのが落ちであった。一度だけはそれでも重いリュックを担いで、駅前の電車道を大汗をかきながらしばらく歩いてみたことがあった。結果は、旧東ドイツの名残をとどめた薄汚れた建物群を眺めるだけに終わっている。二度と来たくないと思っていた。
ところが、今回の旅に出る前に友人のドイツ人が、ゴータは非常に素晴らしい街だからぜひ薦めたいというのである。まあ、今回が最後の機会だと思って降りてみることにした。
一応、念のためにインターネットでゴータの地図を調べてみた。ドイツ語の小さな字で道路名が書かれていたが、道路名など見た所で皆目見当はつかない。ただ、駅のすぐ近くにお城とそれの付属公園がある事だけは記憶した。それが唯一の指針であった。
駅前の電車道(以前よりはかなり整備されていた)に出て、すぐの道を標識に沿って左手に曲がりSchlosspark(お城公園)に行く。かなり広い公園で、涌水なのか、小川からの引き水なのか分からないが大きな池があった。少し淀んだ水中を錦鯉が悠然と泳ぎ、水面で水鳥が遊んでいる。
畔の木陰で休息する。涼しくていい気分だ。落ち着いたところで、お城と思しき方向へ再び歩きはじめる。道路を渡ってすぐ、道の両側の木立の間から大きな宮殿風な建物が見えてきた。立派な堂々たる建物である。きっとこれがお城(Schloss)であろうと思い、何枚かの写真を撮った。
その建物の脇を通り、反対側に出てみた。意外にもこちらが正面の様だ。そして、その前の車道の向こう側に、更に小高い林があり、標識はその上に城があることを示している。とりあえず登ってみることにした。登りながら振り返ると、壁のMuseumという字で、今まで城だと思っていた大きな建物は、実は付属美術館(Herzogliches Museum公爵美術館)であることが判った。そしてついに目の前に巨大な城が現れた。広大な敷地いっぱいに「く(口)の字型」に建てられた宮殿である。ドイツ人は巨大な建造物が好きだと言われるが、確かに各地でこういう大きな建物を見かける。古いものでは大抵、城か修道院か教会か市庁舎(Rathaus)である。その当時、よほど大きな勢力が君臨していたに違いない。
ゴータ城(宮殿) ゴータ城中庭
城の中庭などにはだれでも自由に出入りできて、この巨大な城の中にもMuseum(博物館)が二つあった。入口を入った所にポスターが貼られ、「ロシアのプーシキン美術館の所蔵作品が公爵美術館で特別展示中」と書かれている。これは見逃す手はない。
お城見物はそこそこにして、先ほどの美術館に取って返した。受付のご婦人が「向こうの城の方も見物するのですか」と聞いてきたので、「いや時間がないのでこちらだけです」と答えたら、何と入場料はわずか5ユーロで済んだ。
公爵美術館
上野の美術館などと違い、大勢の見物客に後ろから押し流されることはない。フランスの絵画、中国の陶芸品、日本の手工芸品、その他が広い建物の中に溢れている。フランスの絵画の中には、既に写真図鑑などで見知っている作品(例えば、ニコラス・プーサンなど)が何点もあった。そうした名画をこんなまじかで、しかも誰にも邪魔されずにじっくり鑑賞できるのは何と幸運なことか、と思った。
しかしこんな幸せ気分もつかの間、結局は時間に追われて、後ろ髪をひかれながら膨大な数の展示物の前を走り抜けるのみに終わってしまった。それでも3時間は優にかかっている。ゴータがこんなに素晴らしい所とはこれまで気がつかなかった。来年はここに宿泊したいと思う。(旧市街にも見るべきところが多いとは、その後の友人の話)。
Jenaで宿泊-いつもの「ローター・ヒルシュ」で憩う
イエナに来るのは毎年の既定コースである。さすがに汗だくになっているため、シャワーを浴び、ジーンズ以外はすべて洗濯し、お風呂場などに適当に干す。
今年は敬意を表して、最初にホテルのすぐ近くのヘーゲルのいたアパートを訪ねる。ヘーゲルが住んでいたと書かれた表示板(Schild)の横、同じ大きさの表示板に、リヒャルト・ワグナーと書かれていた。しかも1849年ごろにここにいたことになっている。同姓同名で年代的にも同時代人であるが、音楽家という文字はない。おそらく別人であろう。私のうろ覚えの記憶では、ワグナーは48年革命に連座して、この頃はドレスデンから逮捕状が出ていたはずだ。フランスあたりに逃亡していたのではなかったろうか?
この後は、いつもの「赤鹿亭Roter Hirsch」(正確にいえば、Altdeutsches Gasthaus Roter Hirsch seit1509:つまり、古いドイツの旅籠「赤鹿亭」創業1509年)で大いにチュービンゲン地方のビールと料理を楽しんだ。Kulmbacherというビールは、南ドイツ・バイエルン地方のKulmbachという名前の小さな町でつくられるビールである。この町にも丘の上に小さなお城があり、なかなかの風情であった。ただ、夏場はFerien(休暇)学生のか外国から来た観光客の車なのか、やたらに往来に車を飛ばす若者がいて、居酒屋で飲んでいて騒音にうんざりした思い出がある。
赤鹿亭の小ジョッキーのビール
赤鹿亭でいつも見かける若い女性(ウエイトレス)がいなかったので、ウエイターに聞いて見たら、今日はあいにく休みだという。今日、7月7日は七夕なので、年に一度の逢瀬を楽しみたかったのだが残念だ。
そこで、彼らといつもの冗談を言い合って大笑いした。「君はヘーゲルがこの近くに住んでいたのを知っているか」「ヘーゲルなどという名前は聞いたことがないが、何をしていた人なんだ、そしてどこの国の人なんだ」「大哲学者だよ。彼は以前はドイツ人だったが、今は日本人なんだ」…。
次の日はライプチッヒからハレへの旅。その翌日は、エアフルトからアイゼナハへ。そしてミュールハウゼンに寄ってからゲッティンゲンに帰る。何れ又続きを書きたいと思う。 (2017.07.12記)
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