8月10日ごろから雨模様の天気が続き、急激に涼しさが増してきたように思う。
昔、語学学校で、ドイツ人の教師が言っていたが、ドイツでも「梅雨」(こういう概念はドイツには無いが)のような季節の変わり目があり、その頃には天候が不安定になり、雷が鳴り、にわか雨がよく降るという。8月の今頃では、かなり遅い気がするが、これも季節の変わり目と考えられないこともない。
ヨーロッパは森と石の文明-高い塔(Turm) と石造りの家
C女史に誘われて、ゲッティンゲン大学の「地球科学博物館(正式な名前は、Das Geowissenschaftliche Museum der Universität Göttingen)」を見学に行った。
今まで、こんな博物館があるということすら知らなかった。
広い校庭には、太古の石(巨石)が分類されて配置されていた。電子辞書を片手に標識を眺めながら歩いたのだが、ほとんど右から左に抜け落ちて、何も残っていない。
もろい砂岩、硬い溶岩、太古のサンゴが固まってできた巨石(色彩はサンゴ色ではなく、普通の土色だったが、いたるところに粟粒の様なものが固まって貼りついていた)、巨木がそのまま化石化した岩、大理石、石灰岩などがあった。
中には大きな動物の足跡がはっきり残されている泥岩もあった。
また、「ストーン・サークル」だろうと思われる、巨石が円形に並べられた石群もあった。
ふと、あやふやに記憶している樺山紘一(東大名誉教授)の本の中の言葉、「ヨーロッパは石と森の文明だ」ということが思いだされた。
確か樺山によれば、太古のヨーロッパは(おそらく、日本列島もまたそうだったのではないかと思うが)、うっそうたる森でおおわれていたという。そして、ドイツで、今でもあちこちにむき出しの姿で見られる巨岩が、いたるところに転がっていたのであろう。
巨石文化が生まれたのは、4~5000年ぐらい前のことらしい(これはこの博物館の説明書きに書かれていた)。
そしてこれも樺山からのいい加減な記憶だが、この巨石文化は、それよりはるか前に、原始人類が住みついて、わが身を守りながら生活を営んでいた洞窟の名残として再現されたと書いていたように思う。
樺山の本で、割にはっきり記憶に止まっているのは、森林がその後の教会などの尖塔に化け、巨石や洞窟が地下鉄の迷路、高速道路、都市の高層ビル群に姿を変えて今日まで続いているという指摘である。なるほど、ドイツの街を眺めると、先端のとがった塔がやたらに目につくのである。また、ほとんどの家にケラー(Keller)と呼ばれる地下室が備えられている。
ゲッティンゲンにも有名なケラーが沢山残されているらしく、C女史に今度見学しないか、と言われている。但し月に一度だけの見学の日が決められていて、予約制だそうである。
(下の写真は、博物館の庭の巨石群を撮ったもの。)
博物館の中は、太古の土壌、生物(動植物から苔類などの微生物に至る)の化石の標本が沢山陳列されていて、中にはゲッティンゲン周辺で採集されたものも多く含まれていた。
マンモス(Mammut)の歯や骨の一部、また恐竜のあごの骨の一部や歯、巨大な海洋動物(クジラのように大きいが、明らかに違う種類で、模型は巨大なトカゲのようにも見えた)の骨などが展示されていた。この時代に既にワニ(Alligator)がいたことを知った。
また、ドイツにも火山(Vulkan)があることも初めて知った。Eifel(アイフェル)という地名で、ドイツの西部からベルギーにかけて横たわっている山地だという。
ただ、これらの貴重な標本類の見学はわれわれ素人にとっては、ただの物見遊山の時間つぶしにすぎないが、もし専門的な知識を少しでも持っていれば、また全く違った面白みを味わえたに違いない、と思うと、少しく残念な気持ちになった。
見学中に面白いポスターを発見したのでご紹介しておきたい。
「1968年問題」-ドイツと日本
「1968年の社会運動の高揚期の資料展」(表題は正確ではないが、おおよそそういう意味の展示会)が9月に行われるという。
その頃に学生運動に参加しながら青年時代を送った者の一人として、大いに懐かしさを感じるとともに、今、こういう資料展をすることの意味は何だろうか、と考えざるを得なかった。
われわれ世代だけで行うのであれば、それは「単なる懐メロだ」と揶揄されても仕方がないかもしれない。しかし大学構内にステッカーとして貼られ、若い学生に呼び掛けている限りでは、それは単なるノスタルジーだけではないのではなかろうか。
あるいは若い世代が中心になって、この時代について再考することで、自分たちの現状を反省しようという動きなのかもしれない。
日本の若者は、ごくごく一部を除いて、政治や社会問題への関心を失って久しい。
ドイツの若者は、少なくとも、日本に比べればはるかに関心が高いし、デモや集会への参加者、組織率も格段に高い。
それでも「68年という時代」を問題にせざるを得ないようだ。何故か?
若者に特有の感覚で、政治的・社会的不安をいち早く感じ取っているのかもしれない。
超大国アメリカの凋落を目の当たりにして、EU全体が大揺れに揺れ始めているからだ。
ドイツでも、移民問題だけではなく、貿易問題、産業中心の乱開発、土地・住宅バブル、社会保障の切り下げ、税金の引き上げ、更にはNATO問題、軍需産業の拡大などなど、多くの問題を抱えている。
極右勢力の伸張も同根から発している。
日本でも最近、「1968年問題」が話題になっているらしいことは薄々知っている。
ちきゅう座でも、半澤健市さんが「1968年は何処へいった」という連載の(4)で、武藤一羊・天野恵一の対談「『1968年』・『全共闘』反乱とは何か」に対する核心をついた批評をやっていた(https://chikyuza.net/archives/86165)。
まさにその通りで、あれやこれやの時評をほじくりだすだけではなく、何をすべきなのか、どういう目標に向けて今、どう行動すべきなのか、を提示すべきである、というものだった。(もちろん、私自身は、武藤さんや天野さんが、日頃、社会運動の現場でどれだけ真摯に活躍されているかも十分知っている。その上で尚、自分たちの反省点として。)
例えば原発反対の運動においても、最終的には原発を推進する政治的、社会的勢力を一掃し、原発に頼る必要のない社会を作ること以外にないであろうが、その前にだっていくつかの具体的で自立的な対抗運動は可能ではないだろうか。
ドイツで見られるような、地域単位で共同の発電所(風車発電や太陽光発電など)を作り、東電などの大手電力会社から電気を買うことをやめて、(個人宅で既にやられているように)自前の電気を地域内で供給し合うことだって検討しても良いのではないのか。
前を向いた現実的な運動に資するための「68年問題」でなければ、あまり語る意味はないとも言いうる。
60年代世代では、地域ぐるみ、住民ぐるみの運動を、例えば信州の農村などでやっている仲間たちもいる。もちろん、「経産省前ひろば」を今も続けている人たちの中心を担っているのも、そういう世代の人たちである。
こういう地道な力を、今の政治体制や社会を変革するために集中する方向で何とかまとめたいものである。
イエメン出身のタクシードライバー
ある日、ゲッティンゲンの居酒屋で遅くまで飲んでいて、帰りのバス(終バスは午後8:10)はとっくになくなり、もうこうなればと腰を据えて深夜近くまで居座っていた。
生憎の土曜日で、いつもはビールを勧めてくるF君は、この後郷里まで車で帰る予定があるらしく、「今日はこれくらいにしてくれないか」などと弱気であった。
他にも客は幾組か残っていたのだが、われわれは彼に付き合って打ち切りにした。因みに、ドイツの居酒屋は、大抵客が帰るまで一緒に付き合っているのが多い。
タクシー乗り場は決まっていて、そこに行かなければ流しのタクシーなんかには乗れないのがドイツ方式である。
駅まで歩いて行き、たまたま一台だけ止まっていたタクシーに乗る。
ハーデクセンまで行く間の話で、彼がイエメン出身であることが判った。穏やかで人の良さそうな中年の男性だ。
最初は天候の話から始め、「イエメンはドイツより暑いだろ」と聞いたら、「いやそうでもない。中部イエメンは、湿度が高いが、北と南イエメンは、カラッとしていて住みやすいよ」という答えだった。
次に、「イエメンは今大変だね」という話題に移り、「イエメン人はドイツに大勢来ているのか」と聞いたところ、そうでもなく、主にイギリスに移民しているとの返事。イエメンはかつてのイギリス植民地で、英語を話す人たちが圧倒的だからだという。
イエメンがかつてのイギリスの植民地だということすら、言われるまで思いだしもしなかったのは全く恥ずかしい限りだ。
イエメン内戦は、イランとサウジアラビア(実際はアメリカなどの西欧諸国)の代理戦争だと言われている。アメリカの戦闘機を使ったサウジ側の空爆によって、子供たちが乗ったバスが破壊され、30人近くの子供が亡くなったという報道のことを薄々覚えている。
最近では、中東の人々にとっては命そのものでもある「水道」の給水管施設が爆撃によって破壊されている。国連はイエメンの人道危機を最悪の「レベル3」と宣言している。
アラブ問題の全ての根っこに「パレスチナ問題あり」とはかつて板垣雄三先生に聞いた話であるが、改めて、イエメン問題、シリア問題を含むパレスチナ問題の現状とその歴史的背景について勉強し直さなければと強く思った。
今日、世界は一層緊密に結びついているという事実、この事もただ口先だけで語るのであってはならない。日本での政治・社会改革と結び付けてどこまで語りうるか(具体的な目的としうるか)が今後の課題である。
(2018.8.19記)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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