自然環境と異常気象
ゲッティンゲンの郊外で、農業を営んでいる息子夫婦と暮らしている女友達がいる。彼女自身はベルリーナー(ベルリンっ子)であるが、結婚してこちらへ住むことになったようだ。ご主人は10年前に亡くなった。われわれは、時々、彼女の車に同乗してベルリンまでアウトバーンを走って連れて行ってもらうことがある。
そしてこの時期毎年思うことだが、アウトバーンはいたるところで工事をしている。
理由はいくつか指摘されている。先ず、ドイツのアウトバーンを利用して、諸外国の車が東西南北へと通過していくことが挙げられている。日用品を積んだトラックはもとより頻繁であるが、夏場のこの時期には長期休暇をとってスペイン、ポルトガル、フランスなどの海辺や、逆にスカンジナヴィア半島やバルカン半島へと旅をする人たちがかなりの数いる。もちろん、ドイツへの来訪者も多い。渋滞が起こり、道路が傷むのは当然だ。
更に、ドイツは夏と冬の温度差が激しい。冬場は零下20℃以下になるし、夏場は時には40℃くらいになることもある。そのため、アスファルトやコンクリートが膨張と収縮を繰り返してひび割れするそうである。これを夏場に補修するのだという。
これらの理由とは別に、今回一番問題にしたいのは、ドイツも経済の拡張(EUの盟主としての地位確保)に伴って、いたるところで自然環境が壊されて、道路の建設、拡幅、住居建築、が盛んに行われているということである。
この女性の話だと、このところの建築ラッシュはすごいという。彼女の家に行く途中も、つい数年前まで森や林で覆われていたのが、いつの間にか住宅が立っている。しかも住居の値段は安くなるのではなくて、逆に値上がりしている。ゲッティンゲン市内では、高くてとても手が出ないらしい。
大都会(ベルリンやハンブルクなど)で問題になっている土地、住宅バブルが、いよいよこの辺にまで押し寄せてきたのかもしれない。
ところで、ドイツへ来たことのある人ならだれでも感動するのは、ドイツの自然環境の素晴らしさである。行く先々に広大な森が広がっていて、大都市も含めて町全体が緑豊かな森の中にすっぽりと包みこまれている。
ところが今回、彼女の車に同乗させてもらってニーダーザクセン州の山中を走っているとき、奇妙な光景に出会ってギョッとさせられた。
一つは大量に根こそぎにされている倒木の山、むき出しになった大地の惨状である。
前にも書いたが、ドイツはこのところ旱魃が続いている。彼女の話では、既に3カ月位、雨らしい雨は降っていないという。実際に、ある貯水池に連れて行かれたが、そこの水はかなりの程度干上がっていた。
そしてこの旱魃が起きる前に、森の木々をなぎ倒す猛烈なシュトルム(暴風)がこの地を襲ったのだという。おそらく竜巻だったのではないかと思う。森全体ではなく、かなり大規模ではあるが、森のあちこちがえぐり取られるようになくなっている。長年ドイツに来ていて、こんな光景を見たのは初めてだ。がけ崩れもあちこちに見られる。自然の猛威に慄然とした。
もう一つ、更に愕然たる状況を目の当たりにした。小高い山全体、森全体が枯木で埋もれている猛烈な景色に遭遇したからである。これは不気味な光景である。まるで樹木の墓場だ。樹木の死骸が無数に立ち並んでいる。
青々とした緑色の葉を茂らせているはずの樹木が、赤茶けて、すべての枝葉を枯らせた、萎れた姿で立っている。しかもそれが、森全体を覆い尽くしてずっと続いているのである。如何に木々の緑が大切であるか、われわれ人間が如何にこの豊かな自然のお陰を被って生きているか、この恐ろしいあり様を眺めながら、人類の末路、地球の破滅、ということをつい考えてしまった。
彼女の話では、この原因は甲虫(ドイツ語ではKäferケーファー)の一種でかなり小さな虫が、これらの木々に棲みついてこういう状態にしてしまうのだという。有効な対策はないものだろうか?なんとも気色の悪い、戦慄を覚える風景である。
ふと思ったのは、こういう災害が、先に述べた人間による自然破壊、大々的な開発事業などに何らかの関連があるのではないかということだ。
日本での今回の豪雨による大災害やその後の異常な猛暑と同様に、地球規模での見直し、また地域ぐるみでの環境問題への取り組みなど、もはやこういう課題と真剣に取り組む以外に人類の将来は考えられないのではないだろうか。
ハルツ(Harz)にあるWalkenried Kloster Museum(ヴァルケンリート修道院博物館)
時折、上に書いたような光景に出合いながらではあるが、彼女の車でハルツと呼ばれているドイツ中央部の台地(丘陵地帯)を走った。目指したのは、ニーダーザクセン州のはずれ、ほとんどザクセンアンハルト州に近い位のところにあるヴァルケンリートの修道院(Kloster)博物館である。
ここはかつての東西ドイツの国境線があったところとしても知られている。
この修道院は、1127年に創建されたといわれ、今ではユネスコの世界遺産に登録されている。下に添付した写真に見える、博物館の外側にそびえる巨大なローマ風の石柱は、あるいはその当時の面影を残すものかもしれない。静かな環境の、心安らぐ場所である。
しかし、修道院にはある種の暗いイメージがどうしてもついて回る。それは、この博物館(かつての修道院の一部が保存されて博物館になっている)の中を歩いていると一層感じる。
分厚くて頑丈な石の壁、窓には簡単には壊れそうにない厚いガラスに鉄の桟がはめられている。礼拝堂、食堂、読書室(あるいは書写するための作業場)、また懲戒用なのか地下に掘られたかなり深い穴倉(といっても四角に囲まれた地下室)と石畳の廊下や階段などがこの建物を構成するほとんど全てである。中庭や付属の庭園なども、多く彼ら修道士たちの作業場として活用されてきたものらしい。
殺風景な廊下のところどころに古めかしい格好の騎士や、祈りをささげている女性、あるいは赤児を抱いた母親(マリア)などの石の像が置かれている。
博物館になった今では、廊下の曲がり角にスピーカーが隠していて、静かな音で、賛美歌を歌う合唱が流れていたが、それが一層ここの静寂さを引き立てるとともに、ある意味で拘禁閉塞への「恐れ」を感じさせる効果音になっているように思った。
神への無償の滅私奉公とは、今日のわれわれから見ると、完全に閉鎖された世界の中で、一生涯つながれて働かされる、としか考えられないのである。私の想像力が貧困なのかもしれないが、一種の牢獄か「精神病院」の病棟暮らしのようなイメージがまといつく。
映画でしか知らないが、ウンベルト・エーコーの『薔薇の名前』の薄暗い画面や異端審問官の登場などもこうしたイメージを作りだすのに一役買っているのかもしれない。
マックス・ヴェーバーのルターやプロテスタント的倫理(エートス)に関する考え方への評価、あるいはそれらが資本主義的精神を形成する主要な契機をなすという議論への評価については反論もありうるかもしれないが、ともかくも、彼が修道僧の倫理観がプロテスタントの倫理観と全く違う宗教観(価値観)の上に成り立っていること、「救いの手段」としての禁欲が修道士とプロテスタントとでは全く違うということを指摘している点は大いにうなずける。実際に、ドイツ農民戦争の時代には、この修道院も農民によって攻撃破壊されているのである。
内部の廊下 地下牢?
追記:(まったく別の話である)。言われてみるとなるほどとうなずけるのだが、「使い捨ての携帯電話」に賞味期限(使用期限)があることを初めて知った。おそらく10数年間使っていた(といってもドイツ滞在時だけであるが)携帯が、数日前に急に反応しなくなった。慌ててプロバイダーに駆け込み、機械的にはまだ壊れていないはずなのに、なぜ反応しなくなったのか、と聞いた。
この携帯は「プリペイド・カード」方式で、一年に一度新しいカードに交換すれば、また一年延長するという方式のものである。
毎年夏期間しか来ないのに、700ユーロ以上もする物を買うなんてばからしいので、出来ればこれを修理してもらいたいと、言葉の壁もなんのその、さんざん粘ってみた。
言葉の不自由さもともかくも、携帯に関しての知識もないのだから、説明する相手方も大変だったと思う。それでも何とか話しが通じたらしく、結局は古い携帯のバッテリー(ドイツ語ではバッテリーといえば、電池の意味であり、内蔵しているものはAkku、つまり内蔵蓄電池という)が賞味期限切れになったということが判った。
さすがにこれでは仕方ないので、新しい携帯を買うことにした。61ユーロだったので、少しほっとした。
(2018.7.24記)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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