ドイツに来てあっという間に40日余りが経ってしまった。天候は相変わらず不安定であり、極端に暑かったり、また上着を着込むほど寒くなったりの繰り返しである。
そろそろドイツのWurst(ヴアスト=ソーセージ)にも飽きてきた。Brot(ブロート=日常食べるパン)はまだ毎朝食べ続けているが、そろそろ米の飯が恋しくなってきている。
去年、連れ合いは「焼き魚と大根おろし」が食べたいと言いはじめた。そのために日本に帰りたいという。細くて小さな大根(Rettich)はこちらでも手に入るが、生魚などはよほど大きなスーパーにでも行かなければ手に入らない(ハーデクセンでは無理だ)。しかも、一般家庭の台所は電気レンジ(Herd)であるため、焼き魚は作れそうにない。ドイツでは、どこの飲み屋にだって、大根おろし付きの焼き魚を出してくれるところはまずないだろう。
去年もだったが、今年も帰国後の楽しみに取っておく以外にない。
ただ、最近になって、スーパーで見つけたのが、ニンジン以上に真っ赤な色をした大根である。安かったので買って来て、みそ汁に入れて食べてみた。私の食感では日本のものと全く変わらなかった。
豆腐の代用には、モッツァレラチーズを食べている。もちろん、冷奴とはいかないので、専ら生野菜(トマトやキュウリなど)に乗せて、Wuerze(スパイス)をかけて食べている。
これでビールを飲むと割にいける。生ハムなど、日本ではめったに食べられないものも安く手に入る。
ビールといえば、チェコのブト・ヴァイザーがこのところなかなか手に入らなかった。ライプチッヒの小林さんも、「ひょっとして出荷制限をしているのかも」と言っていた。それが、今週のスーパーのチラシで、500ミリリッターの瓶20本入り1ケースが、12.90ユーロという安値で買えるという。早速出かけて買ってきた。二人でリュックをもっていき、一人10本ずつ担いできた。実は私が13本もつ予定だったのだが、つい忘れてしまった。坂道を大汗をかきながら登ってきたが、呑めばすべてを忘れてしまう。
それにしても日本はビールが高すぎる。「ビールを大幅値下げする党」を作る必要がある。
わが住まいの前の巨岩群、上はキャンプ場(ハーデクセン)
<Burg Schenkeでの宴会>
我が家のP女史(女主人)とWさんとの電話から急遽、先日のパーティのメンバー全員でわれわれが住むハーデクセンに在る小さな古城の一角のレストランに集まり、食事をしようということになった。
私にとっては、Jさんの連れ合いのNさんに、先日聞きそびれたハイデガーに関する話を聴いてみるいい機会なので、もちろん喜んで賛成した。
Burg Schenkeとはあえて日本語に訳せば「居酒屋・城」とでもなるのであろうか。
この日は暑からず寒からず(真夏なのにすごく寒い日が間々ある)の絶好の日和だった。石造りの城の二階に6人用の席を設けてもらう。すぐ側のテーブルで、年配の方々が既に宴会を始めていたし、その後にも何組かの人たちが入ってきた。最近、少し名前が売れて来たのかもしれない。ウエイトレスの若くてほっそりした女性は、リトアニア出身だと先日直接ご本人に聞いた。名前も聞いたのだが、難しくて聞き取れなかった。
ともかく、仲間が6人集まって隣の人たちに負けないほどの大声で(Wさんの声が一番大きい。彼が元気になった証拠であろう)、最初は健康状態の話などから始まった。というのは、彼の友人が最近大病を患った(多分、胃に関する病だろうと思う)とかで、彼を含めてJさんも急に自分の体のことが心配になってきたようだ。コレステロール(Cholesterin)値だのなんだのと、日ごろ聞き覚えのないドイツ語が飛び交っていた。
Jさんの父親が、高コレステロールで薬を飲んでいること、Wさんが盛んに「魚料理を二か月続けたら確実に値は下がるよ」と喋っているらしく、また、私の連れ合いが「そんなことはない。日本で私の家は主に魚を食べているが、清は悪玉コレステロール値が高く、善玉は低い。あまり関係ないのでは」と反論していたようだ。
「まあ、僕の場合はお酒の飲み過ぎが原因だろうけどね。血圧も高いし。それとヘーゲルなんてのを読めば血圧は上がるに決まっているだろ。全く気にしていないんだがね」と私。
そしていよいよNさんにハイデガーをぶっつけてみることになった。
先日の会話に関して、いくつかの点で私が誤解(早合点)していたことが判った。先ず、彼女の父親は(彼女の年齢からいって当然ではあったのだが)ハイデガーとの直接の面識はなかった。「知っている」ということは、興味をもって読んでいたということだった。ハイデガーは、アリストテレスの研究者として有名であるから、これまた当然のことだ。
また彼女が自由に喋るのは、ポルトガル語ではなく、スペイン語だった。
以下、彼女との会話の一部をご紹介すると・・・、
ハイデガーの独特の概念、In-der Welt-Sein(世界・内・存在)とか、Entwurf(企投)とヘーゲルの概念についてどう思うかと聞いてみた。
ハイデガーの問題の中心はあくまで「存在Sein」であり、ヘーゲルでは「意識」になるのではないのか。/もちろんそうだろうが、存在は意識(存在の意識=知)から離れてそれだけでありうるのだろうか?存在は絶えず意識に結びついているのではないのか。両者は相互関係的にある、つまり概念としてあるのではないのか。そのことを証明しようとして、ヘーゲルは『精神現象学』を書いたとではなかったろうか。/確かにそのことはうなずける、と彼女。
それ以外に話題になったのは、ハイデガーとその師匠のフッサールの関係、またその弟子のハンナ・アーレントとの関係。アーレントとの関係では、愛情と学問とが半々だったのではないかというのが彼女の意見。また、ハイデガーとナチスの問題。ハイデガーの思想の中に、ナチスと相通じるものがありうるのではないだろうか、それは何なのか、が僕のハイデガーに対する問いだ、と私が言うと、彼女も大きくうなずいてくれた。
実際にはもっと話したかったのだが、こちらの語学力が決定的に不足しているため、これ以上に突っ込めなかったのは残念だ。
<ミシュレとマチエの読後感>
冒頭に触れたが、今年のドイツ、というよりかヨーロッパ全体が、稀に見る暑さに見舞われたかと思うと、一転して寒くなったり、また晴れたり雨が降ったりの目まぐるしい天気が一日のうちでも何度か入れ替わる、誠に不安定である。
それでも日本に比べるとはるかにしのぎやすいのをよいことに、夜は早くから床につき、昼寝すらも毎日欠かさずとっている。こんなにぐうたらしていると「牛」になるかもしれないと、さすがに焦り始めて、なんとしてもマチエの『フランス大革命』全3冊だけは読みとおさなければと、昼寝の時間を短縮して読み始めた。
私が持っている本は1971年発行のもので、紙質も悪く、活字が小さくて印刷が薄い。読むのにえらく骨が折れる。それでも何とか、残り100ページ余のところまで読み進むことが出来た。
簡単に感想を述べることは難しいが、同じフランス革命を論じても、見る視点が違えばこんなに評価が変わるのかと思えるほど、ミシュレとマチエでは異なっている。
ミシュレは、ジロンド派やダントン(ジャコバン派)を高く評価していた、それに対してマチエでは、ジロンド派は所詮王党派に近い折衷派であり、ブルジョア的利益での裏取引(結局は共和制を崩すことになりかねない)は、革命の裏切り、外国勢力と結託しての反革命的策動であると、厳しく断罪している。
個人的なだらしなさ(無節操さ)にもかかわらず、ダントンを天才として評価し、ロベスピエールを清廉潔白だが凡才だと見るミシュレに対して、マチエは逆の評価を与えているように思える。この革命を最後まで一貫して推し進めた人物として、そして不幸にも断頭台の露として消えた人物として、ロベスピエールを真っ先に評価している。またミシュレが単なるテロリストとして貶していたマラーをマチエは天才的な政治家として高く評価している。
両著者の共通点は、この革命を「ブルジョア革命」と断ずる点であるが、その中でエベール派(過激派)をどう見るか、同じくバブッフ(バブーフ)-実際は彼にはほとんど触れられていない-をどう見るか、ということに関しては、両者がこれらの論文を書いた時代背景などをも勘案する時、かなり大きな問題になりうるように思う
ミシュレがこの著作を書いたのは1853年ごろである。つまり48年革命の敗北直後である。彼はプルードンの友人であり、信奉者である。「人民の代弁者としての歴史家」といわれるのも良く判るが、高橋幸八郎=柴田三千雄の言う「経過的統一体の成立と分解」という視点から反省すれば決定的に甘さが残る。
一方のマチエは、マルクス主義者である。この本が出版されたのは、1921年、29年である。そして32年にマチエは急死している。
ここからは私の勝手な憶測でしかないが、エベール派の主張(完全な勝利まで進む無制限戦争)の中に「永続革命論」や革命の「暴力性」の問題、ないしは革命の徹底的な追求(階級闘争によるプロレタリア革命樹立まで)、そしてトロツキーばりの「世界革命論」を読みこむことは出来ないであろうか。エベール派の不幸(彼らはギロチンによって処刑される)は、ブルジョアジーとプロレタリアートの間の「経過的統一体の成立と分解」、特に分解過程におけるものが大きかったように思える。
ロベスピエール派対エベール派の対立を簡単にスターリン対トロツキーの対立にアナロジーすることはできない。しかし、アンシャンレジームを打倒し、人民主権を確立すると同時に、国内で表面化するブルジョアとプロレタリアの階級闘争、それと同じく周辺各国内でわき起こる民主革命の胎動、また反革命、それらに呼応して、革命の「継続」、革命防衛のための「暴力性」の肯定、そして革命の「輸出」(世界革命論)の主張が出て来るのはある意味当然だとも言いうる。それに対して、自国革命の防衛(一国革命)を最優先し、周辺ないし自国内の保守派との一定の妥協の下に、あるいは反対派を強引に(恐怖政治の下に)抑え込んで、ともかくも人民主権の共和制を確立しようとしたのがロベスピエール派だったのではなかったろうか。
実際には、ロベスピエール派の崩壊も、同じくこの統一体の分解過程に根ざしていると考えられる。
単純な図式化で、「フランス革命」と「ロシア革命」とを比べられるものではないが、条件は全く異なってはいても、その中の基本的な論理構造(なぜ、こういう考え方が生まれたのか、という根拠への問い)には共通するものを見出すことが可能だろうと思う。
<最近のちきゅう座の秀逸な論文>
7月6日の岩田昌征先生の論文「北京天安門8964とワルシャワ8964――明治大学における亡命中国知識人と矢吹晋の議論を論ず――」https://chikyuza.net/archives/95081
と、それに呼応して書かれた内田弘先生の7月9日の論文「《日本バブル資金の「民主化した中国」への投入はありえたか》」https://chikyuza.net/archives/95126 は、大変興味深く読ませていただき、多くのご教示を得ることが出来た。
今日の中国問題を知るうえで、矢吹晋先生の中国論を含めて、ぜひとも一読をお勧めしたいと思っている。
また、同じ岩田先生がお書きになった7月28日の論文「ポーランド「連帯」政治の語られざる実相――労働者階級の人権は守られたか――」https://chikyuza.net/archives/95654 は、この方面の第一人者の十分な考察に基づいたものであり、恐らくこの間岩田先生が鬱々としてお持ちになられていた問題意識の一端を発露されたものとして、私は実に迫力のある論文だと感銘を受けた。
これらの諸論文への講評はしかるべき専門家に是非お願いしたいと思うので、私ごとき素人が出しゃばるのは控えたい。
さらに、童子丸開さんの二度にわたるスペインの現状分析論文、特に最新の論文などは、よく調べ上げた上での大変貴重な論文だと思う。
私自身が、ちきゅう座の編集の末席に連なるため、あまり自画自賛的な「ちきゅう座礼賛」は書かないようにしていたのだが、何とか読者の目をこの方面にもっと向けてもらいたくて余計な事を書かせていただいた。ご海容願いたい。
エアフルト
2019.8.3 記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔culture0840:190804〕