ケルテースの著書『運命ではなく』の訳者である故・岩崎悦子氏(東京外大などのハンガリー語講師)は同書の巻末に「あとがき」として、以下のように記している。
1975年刊行の著作『運命ではなく』は、ナチス強制収容所体験を基にした、筆者の自伝の形をとった小説だ。戦時下のブダペストで、主人公の14歳の少年は、勤労奉仕に向かう途中ユダヤ人狩りに遭い、仲間たちと共にアウシュヴィッツへと送られる。辛うじてガス室を免れた彼は、やがて他の収容所へと転々とするが、そこで待ち構えていたのは、想像も及ばぬ苛酷な現実だった。1944年の春頃から一年半ほどの出来事である。
「ケルテース・イムレは、不届きにもアウシュヴィッツの脱神話化に成功した。結果的に解釈も評価も下すことなく、一人の子供の驚嘆すべき視点にこれほど忠実な文学作品はこれまで存在しなかった。かつてどの作家も、これほどまで、生き延びようとして、なりふり構わず、むき出しの生が卑猥な出来事になるぎりぎりの限界まで、自分の姿に即して一歩一歩、奥底へと降りて行きながら、表現していったことはないであろう」(1999年のフランクフルト・ブックフェア用の紹介文)
今までも多くのナチスによる強制収容所の体験記が出版されてきた。ヴィクトル・E・フランクルの『夜と霧』を始めとする数々の作品。いずれも二〇世紀の歴史の貴重な証言であり、人間とは何かを探求する思索的な著述でもある。
他の著作と本書の違いは、ケルテースが少年として強制収容所に送られた点、そしてあくまでも文学作品として書かれた点にある。強制収容所の存在も知らなかった少年が、過酷な環境の強制収容所を始め、自分を取り巻く人々や出来事をどう捉え、自分の生きる道を探るか。当事者たる少年の成長物語としても読める。
作家自身はインタビューで執筆の動機として、こう挙げている。1956年、ハンガリー動乱がソ連軍の武力によって鎮圧。人々が価値観を変えて体制に順応していく姿を見た時に、かつての強制収容所での光景と重なり、「この人間を変えてしまう独裁体制の真の姿を小説として形にしようと考えた」。全体主義の社会に対する抗議の書として。
ケルテース・イムレは1929年、ハンガリーの首都ブダペストに生まれた。両親が離婚し、彼は五歳から五年間、養護施設で暮らしている。そこでの非合理的な抑圧的な環境、そして父親の権威者としての支配者的な態度に接し、年少の子供であるイムレは、とりあえず適応することで、生き延びたという。彼の観察眼の鋭さは、幼い日々を生き延びるために、周囲をくまなく観察することで培われ、それは彼の生の在りようにもなったと考えても、あながち間違いではないのではないか。
本書の十四歳の主人公を取り巻く周囲の価値観は、様々である。それは、まるで、外界を認知し、それを自分の中に取り込んでゆき、一歩一歩社会に適応していく際の、幼児の立場とも言える。その態度は、強制収容所でもほとんど変わらない。ところが、強制収容所からブダペストに戻ってからは、体験から培った自分の意見を主張して譲らない。これは成長小説なのだと思わされる所以だ。
主人公は与えられた環境に批判的にならずに適応しようと努めながらも、その中で合理的な道を探ろうとする。それでいて、生育環境のために早い時期に「大人」にさせられ、周囲に配慮せざるを得なかった少年の姿も浮かび上がる。彼の振る舞いは、健気な少年のそれである。
その健気さもまた、彼が強制収容所を生き延びるのを可能にした要因だろう。様々な場面で様々な大人たちが彼の面倒を見、食糧を与える。苛酷な強制収容所にあって、あるいはそのような場所だからこそ、いっそう貴重な友情、もしくは人間の優しさの物語にも読める。
ケルテースは、この作品の執筆に十三年を要した、と言っている。「実際」「本当に」「とにかく」「実に」といった副詞が多用され、ぎくしゃくし、遠回しに表現する文体で書かれている。これは、物語った事実に対し、作者の微妙な価値判断を伝えるものだ。これらの副詞は、世間の価値観を呑み込む際の、アイロニーを帯びたものに感じられる。
第二次大戦後のハンガリー社会は、ソ連の占領により、1949年に社会主義体制となる。敗戦による国力の衰退にもかかわらず重工業化を推進し、政敵の粛清など、「ハンガリーの小スターリン」ラーコシ第一書記による恐怖政治が支配していた。その体制に対して民衆が蜂起したのが、56年のハンガリー動乱。だが、ソ連軍により鎮圧され、カダール第一書記による体制がソ連の後押しで88年まで続いた。
文学に関して言えば、60年代に雪解けが始まり、作家は「支援する者」「我慢できる者」「禁止された者」の三つの作家群に分類されていた。ケルテースは「我慢できる」作家に分類されていた、と本人が述べている。
完全に言論の自由があったわけではない。強権政治とは異なり、真綿でくるむような支配は、逆に人々の精神を蝕むのかも知れない。ケルテースは強制収容所の存在は、ナチズム特有なものではなく、全体主義が支配する社会のどこにでも起こり得ると考えている。しかも、人類文明の到達した結果なのだ、と主張している。そして、全体主義的な政治支配は、彼の主張を裏付けるように、二一世紀を迎えても終焉することはなく、逆に強まっている。
ケルテースの履歴を簡略に記す。1929年にブダペストで生まれたことは既に述べたが、強制収容所から帰還後、48年に高校を卒業し、新聞社に勤務。社会主義体制の始まった翌年の50年に追放され、工場労働者を経て、翌年から精錬・機械産業省の広報部に勤めた。53年からはフリーランスの作家・翻訳家。文学作品を書く前には、ミュージカルの台本を沢山書き、翻訳家としてもドイツ語関連のものを中心に活発に仕事を重ねた。2019年に死去。
初出:「リベラル21」2024.10.16より許可を得て転載
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