『少年が来る』を著したハン・ガンの人となり
――透徹した視線で人間存在の二面性を凝視
『少年が来る』(2016年、クオン社刊)の巻末に訳者・井手俊作氏はこう記している。
――新緑がまぶしい五月、光州は悲しみの追憶に包まれる。一九八〇年五月十八日、韓国全羅南道の道庁所在地だったこの都市を中心として起き、戒厳軍が二十七日に武力鎮圧するまでにあまたの活動家や学生、市民らが死傷した民主化抗争――この出来事は、軍事独裁政権下にあった当時の韓国社会がその後民主化していく上で決定的な起爆点となった。
ハン・ガンさんが『少年が来る』の登場人物に語らせているように、光州事件で亡くなった人々はその<数千倍の死、数千倍の血>の身代わりになったのだと改めて思う。この小説に登場する主人公となった少年たちを含む無辜の人々のおびただしい死が、今日の韓国の民主的な社会の尊い礎になったのだ、と。
しかし、光州事件後も韓国では軍事政権が続き、事件について語る際に人々は声を極力潜めなくてはならなかった。一九八七年六月に盧泰愚大統領候補(当時、民主正義党代表委員)が民主化宣言を行った後にようやく、徐々にこの事件について語ることができるようになったのだった。
この小説は、悲劇的な出来事を声高に告発するものではない。この事件で命を落とした人々への鎮魂の物語である。光州で生まれて満九歳まで過ごし、事件発生の数か月前にたまたまソウルに移り住んだ作家は(生き残った者の一人)として、複雑に屈折した胸の内をかきむしるようにしながらこの作品を書き上げたのだった。
作家は透徹した視点で、この事件の背後にある人間存在の引き裂かれた二面性――神性と獣性、崇高さと残酷さ――を凝視している。人間が併せ持つ不条理への不信を克服しないままでは前に進めないという切実な思いが、この小説の行間からひしひしと伝わってくる。『少年が来る』と、イギリスのマン・ブッカー賞国際賞を受賞した『菜食主義者』は、性格が異なる物語でありながらも、<人間の根源的な暴力性>に対する苦悶を主題にしている点で、地下水脈のようにつながっている。
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ハン・ガンさんは1970年に光州広域市に生まれ、父は作家の韓勝源。豊文女子高を経て
1993年に延世大学国文科卒業。同年、文芸誌『文学と社会』に詩が当選。翌年、『ソウル新聞』新春文芸に短編『赤いアンカー』が当選し、小説家として一躍名を上げ、文壇にデビューする。
その後、『麗水の愛』(1995)『黒い鹿』(1998)などの作品を通じ、人間の根源的な悲しみや寂しさを表す作品を発表。「緻密な細部、飛躍や断絶のない構成、豊富な象徴などで若いマイスターの誕生を予感させる」と破格の称賛を浴びた。
2005年には審査委員七人の満場一致で作品『蒙古斑』が李箱文学賞大賞を受賞。同賞の歴史上、1970年に生まれた初の受賞者であり、父の韓勝源も1988年に同賞を受賞していることから、初の親子受賞となった。
2016年に『菜食主義者』で世界的な文学賞「国際ブッカー賞」をアジア人で初めて受賞。その後も海外の文学賞の受賞が相次いだ。勤めていた大学を辞め、小説を書くことに集中する。「静かに素朴に暮らしています」と語っていた。
私自身は「光州事件」の衝撃性を韓国映画『タクシー・ドライバー――約束は海を越えて』の鑑賞(2019年上映)を通じてつぶさに味わった。この映画は、当時の軍事政権が徹底的に隠そうとした「5・18運動」の真実をまざまざと世界に伝えたドイツ人記者ユルゲン・ヒンツベータ―(出演トーマス・クレッチマン)、そして隠された協力者の(名優ソン・ガンホ演ずる)タクシー運転手キム・サボクを描いた実話を基にした作品だ。
ソウルのホテルで客待ちをしていたキムは偶然、遠路の光州行きを望むドイツ人記者ユルゲンを乗せてしまう。当時、戒厳軍による厳しい報道統制により、「光州事件」の詳細は外部に一切知らされていなかった。しかし、ユルゲンとキム両者の破天荒な勇気と才覚により、軍部の水も漏らさぬ遮断網を際どく突破。流血の一大惨劇の顛末が生々しい証拠写真の数々によって国外で先に報道され、逆に国内に伝わることになった。
初出:「リベラル21」2024.12.20より許可を得て転載
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