今年は60年安保の記念すべき大闘争から数えて50年目の節目にあたり、そのせいなのか管見によればかなりの数の集会、討論会、研究集会などが予定されているようだ。
その中で、実際に「口火を切った」のかどうかは知らないが、6月5日に早々と現代史研究会による「沖縄・日米同盟を語る-60年安保闘争から50年」というタイトルの研究会(シンポジウム)が開かれた。
論者(パネリスト)は必ずしも多くはなかったが、それでも輝かしい戦歴をもつ豪華な顔ぶれといえる。沖縄で早くから解放闘争に身を投じ、戦争体験、その後の中国大陸での長期の生活体験(一時は無国籍にもなった)などを経て帰国され、80歳を超えた今なお沖縄解放闘争を戦われている上原信夫(元沖縄民主同盟青年部長)さん、彼の若かりし頃からの血のにじむような体験を交えた語りは、波乱万丈、まるで小説の世界にいざなわれているかのような興奮を覚えさせた。
続く塩川喜信(元全学連委員長・東京大学助手共闘、現ちきゅう座運営委員長)さんは、60年安保闘争時の全学連委員長だった故唐牛健太郎さんの前の委員長としてその名をとどろかせた方である。また、68年からの東大闘争では、最後まで農学部助手として一貫して学生とともに助手共闘の中心で戦ってこられたことは周知の事実である。
塩川さんはA4 で6枚の綿密なレジュメを用意してこられていたのだが、残念ながらそのほんのさわり部分しか話す時間がなかった。改めてぜひその続きをお聞きしたいものである。
松田武彦さんは、東京教育大学で学生運動に参加、全学連中執として活躍された後、労働運動に転身され、いわゆる「反安保国民会議」、「全国一般」、「合化労連」でずっと活躍してこられた方で、当時の政党(社会党、共産党)や総評の動きについて精通されていた。
司会は、塩川さん、松田さんと同期の由井格さんが務められたが、沖縄や安保、あるいは政党の運動に対するその該博な知識にはひたすら驚嘆させられるばかりであった。
参加者は40人程度で、その大半は安保同時代の人たちだったように思う。若者の関心が、いまだに沖縄問題や日米同盟に向いていないことにある種のいらだちと危機感を覚えながら、こんなことだからかつての民主党の山岡国対委員長が、「沖縄問題は現実生活に無関係」などととんでもない発言をし、しかもそのことで山岡氏の首が飛ぶような事態すら起きずに、メディアも、国民も沈黙したままで推移することになったのではないのか、などと考えていた。
沖縄問題では、特にちきゅう座ブックレットに掲載された鈴木顕介さんの論文「アメリカの世界戦略と日本」との関連の議論が中心になった。また由井さんからは、政治家たちによる沖縄諸島とその周辺部の島の土地が買いあさられていることなどが具体的に語られた。
また、「武力(軍備)による日本防衛は可能かどうか」の議論も出され、戦争体験を持つ年配者からもはっきりと疑問が投げられていた。
本土人が、沖縄を本土を守るための橋頭保に利用するだけなら、「沖縄の独立」は正当性を持つのではないか、という意見も当然出された。僕の考えでは、沖縄の独立運動が本気で高揚した時に初めて、本土と沖縄の一体性が真に論じられるようになるのではないかと思う。
60年安保闘争の総括として大変興味深かったのは、6.19が終わった途端に、国会前の人だかりが全くなくなってしまったということ、その結果、一体安保闘争とは何だったのかと思ったということ。また、国会に突入した学生や労働者が、その後どうすべきかの方針が欠如したまま、ただ一定の時間そこにとどまったままで、再び外に出て行ったということ、政党も全学連指導部もそれ以上の方針は全く持っていなかったということ。この点は非常に興味深い。運動の再出発はこれらの点の再考にあるように思われる。
かつて、労働運動家の清水慎三さんが書いておられたが、確実な政治方針を持たずに指導された巨大な運動、また大学や職場を追われるという形などで、犠牲になった多くの活動家に対する組織的な支援が全くなかった点、これらのことを真剣に総括してかからなければならない、と。
この小研究会(シンポジウム)を突破口として、更に充実した研究集会が行われることを期待したい。