「ちきゅう座」の拙文「NATO大空爆記念日」に紹介した『ディー・ツァイト』編集長テオ・ゾンマーのドイツ「1968年世代」に関する肯定的評価を検討してみよう。
――①ヨーロッパ人が戦いを決意したのは、キリスト教徒やイスラム教徒の権利を護るためではなく、人間の権利を護るためであり、そのためにバルカン戦争を戦ったのである。
②新しい指導者世代は、一九六八年に「ピースニックス」と呼ばれた人々で、その多くは「戦争はご免だ」と叫びながら育ったが、今度は全く違ったスローガン「皆殺しはご免だ」を掲げて行進した。彼らは青春時代に叫んだ平和主義に背を向けたのみならず、
③バルカンは「ポメラニアの一兵卒の骨にも値しない」と断じたビスマルクの暴言も否定したのである。
④コソボ戦争に賭けられたのは、まさに二一世紀ヨーロッパのイメージとアイデンティティであった。
① 本当にそうであろうか。もしそうならば、2003年英米軍によるイラク侵攻作戦・バクダッド空襲に共に参加していたはずだ。それは、1999年対ベオグラード軍事作戦と全く同様国連安保理の承認を得ていなかった。人道的危機に関しては、フセイン・イラク政権下のキリスト教クルド人は、毒ガス攻撃にさらされ、ミロシェヴィチ・セルビア政権下のコソヴォ・アルバニア人よりもはるかに過酷な人道的危機に直面していた。イラクに大量破壊兵器が存在すると言う米英の言い分を独仏が信じなかったから、不参加だったのか。そうだとしても、セルビアの場合参戦して、イラクの場合参戦しないヨーロッパ人は非論理的だ、とアメリカの外交官ホルブルック(?)が論難していたと思う。テオ・ゾンマーの①は、西欧文明人の美人画風自画像にすぎない。
② 1968年の「ピースニックス」が「戦争はもうご免だ」、No More Warから「皆殺しはご免だ」No More Auschwitzへ姿勢転換したことを高く評価している。私流に言えば、No More Auschwitzの大義名分をかかげれば、戦争ができる時代を「ピースニックス」が切り開いた。更に、例えば、ベオグラード近郊の町パンチェヴォの化学工場を空爆して、ドナウ河を大規模に環境汚染する主役に緑の党が変身した。
私=岩田は、1999年に「皆殺し」、Auschwitzの歴史的意味が変節したと考える。コソヴォ戦争に限らず、旧ユーゴスラヴィアの諸内戦において、セルビア人軍がクロアチア人やボスニア・ムスリム人(ボシニャク人)の軍民を殺した数は、クロアチア人軍やムスリム人軍がセルビア人の軍民を殺した数よりも大きい。3倍くらいであろう。 だからと言って、それをgenocideとみなし、アウシュヴィツAuschwitzに譬えるのは、「たとえの暴力」、概念殺しである。自分達にふりかかった悲劇的事件の非人間性を自分達や第三者に納得させるために、歴史的かつ全人類的に共有される超人的悪魔業に譬えることに理がないとはしない。しかしながら、訴えを向けられた第三者が、とりわけ先代や先々代が超人的悪魔業を犯してしまったドイツ人がかかる譬えを多用するとなると、全く別の現代社会的意味が生まれる。ドイツ人「ピースニックス」は、セルビア人軍警がボスニア・ムスリム人やコソヴォ・アルバニア人に行った残虐行為のみに焦点をあてて、アウシュヴィツと見なす。そういう譬えを何回も何回も繰り返す。そしてアウシュヴィツを深く後悔しているドイツ人は、現代のアウシュヴィツ根絶の軍事行動を正当化せざるを得ない。このようなプロセスの中であの超人的悪魔業の真実があいまいとなって、アウシュヴィツはあのセルビア人軍警の犯した許されないとは言え、通常の戦争犯罪に近づいて行く。要するに、ドイツ民族もまた70余年のその昔、現在のセルビア人と同じ悪事をやってしまったな程度の「深い」歴史的反省になる。
相手による理不尽な殺害に悲鳴をあげる人々がアウシュヴィツを用いる場合と、ドイツ知識人が他者の犠牲者をアウシュヴィツに譬える場合とではその歴史的意味が正反対になる。前者の場合では事実の拡大像となり、後者の場合にはアウシュヴィツの事実の圧倒的縮小図となる。社会心理的には共に納得の行くプロセスである。
私=岩田の見る所、かかる形でアウシュヴィツの超人的絶対悪性が朦朧とさせられる事に抗議しているのは、ユダヤ人だけのようだ。私は、ドイツ政治の右からではなく、左からNo More WarからNo More Auschwitzへの転向が生起した事に注目する。左はAuschwitzが大戦争Warの真中で起こり得た超人悪である事を完全に忘却した。大和左彦たる私=岩田の悲しむ所である。
③ バルカンは、「ポメラニアの一兵卒の骨に値しない。」が故にバルカンに軍事介入しない。ビスマルクの「暴言」か、現実的政治理性の判断か。現代ドイツ知識人は簡単に「暴言」と言ってしまう。現代の戦争では空から攻撃した「ポメラニアの一兵卒」が「骨」になる可能性は殆どない。セルビア空爆の場合、骨になった数千人は自分の国土を守ったセルビアの軍人であり、市民であった。アメリカ人もドイツ人も骨にならなかった。それ故に赤緑政権外相ヨシカ・フィッシャーのNo More Auschwitzをかかげる侵攻主義をビスマルクの政治理性は阻止的に働き得ない。つい最近開かれた第299回現代史研究会においてもドローンによる対人攻撃作戦があっけらかんと話題にされた。ドローンによる国家的殺人は、あえて思想的に言えば、ミクロのアウシュヴィツである。
④ 「21世紀ヨーロッパのイメージとアイデンティティ」がどんなに立派であっても、弱い者いじめを実行できるこのドイツ知識人の思想は、セルビア人常民であれ、日本人常民であれ、心から納得できない。そして、おそらく、コソヴォ・アルバニア人常民も心の底では違和感があるに違いない。たまたま、セルビアからの独立斗争に戦略的・戦術的に自分達に有利に働いただけであって、時代状況が急変すれば、同じ「21世紀ヨーロッパのイメージとアイデンティティ」がバルカンの小国コソヴォを猛爆する理由に急転することもあり得ると歴史から学んでいるからだ。 ここで大切な事実を語っておかねばなるまい。上記のような北米西欧の軍事作戦は、セルビア国内の市民主義者達によっても期待されていた。1999年4月末、ベオグラードの「セルビアにおけるヘルシンキ人権委員会」議長ソーニャ・ビセルコ女史は、ワシントンに姿を現し、国務長官M.K.オルブライト女史に会って、セルビア大統領ミロシェヴィチの訴追、セルビアの軍事占領等々を進言していた。この点、拙著『社会主義崩壊から多民族戦争へ』(御茶の水書房、平成15年・2003年)の「NATO大空爆期のセルビア『市民主義』」に詳しい。
ここで私=岩田の、日本常民の戦争観を記す。私は憲法第9条に頼らない。「いくさはしない。しないができる。できてもしない。しかけられたら受けて立つ。」がそれである。いくさをしかけられないように、また、しかけないように全社会が、全労働者が、全専門外交官が努力する。「できない。」が「しない。」の保証ではない。「しないができる。できるがしない。」の哲学が日本国民の骨肉になる事に要諦が存する。「いくさができない」社会を追及するだけだった世代が「いくさができる」社会になると、「いくさをする」大義を探し出す。ドイツの「ピースニックス」の転向にその先例がある。私のように、昭和27年・1952年の秋に社会主義に目覚め、やがて旧ユーゴスラヴィア労働者自主管理システムの全人民防衛態勢にインスピレートされた者の言である。
平成29年4月3日(月)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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