東京新聞労組が自社の新聞記事を激しく批判している。偶然目にしたのだが、そういうのを見たのは初めてなので引用したい。批判の対象となった記事は<首相、報道写真展を観賞 「日本が世界で輝いた年」>という見出しで、共同が配信したもの。安倍首相の言葉も引用されていた。<「たくさんの人に日本を訪問していただいた。日本が世界の真ん中で輝いた年になった」と感想を述べた。>これについて東京新聞労組は次のようにツイッターで述べた。
東京新聞労組
「こんな報道は本当にやめるべきだ。これのどこがニュースなのか。独裁国家の指導者が×××を視察して「×××」とおっしゃいました…と宣伝してるのと一緒ではないか。自民党の機関紙に任せとけばよい。」
たしかに、その通りだ。東京新聞に限らず、小泉首相時代から首相の言葉を検証すらせず無批判に垂れ流し、選挙で勝たせてきたのが日本の主要メディアだった。「日本が世界の真ん中で輝いた年になった・・・」こんな陳腐で中身のない自慢を無批判にそのまま紹介するメディアはジャーナリズムとは無縁だ。日本の平成ファシズムを可能にしたのはメディアの提灯報道であり、時代の悪の共犯者と言える。今後はそういうメディアは確実に経営が滞り、飯が食えなくなるはずだ。東京新聞労組のアカウントは次のように自己紹介の欄で述べている。
「新聞労連に加盟し、全国の新聞社や通信社で働く仲間たちと連帯しています。経営者におもねらず、言うべきことはビシッと言う、あたりまえの組合です」
東京新聞労組と言えば、今年3月、首相官邸前で行われた東京新聞社会部の望月衣塑子記者への言論弾圧に対する抗議集会で委員長がマイクを握った組合だ。言論の自由と労働組合の関係を見せてくれたのがこの素晴らしい集会だった。以下は、宇佐美昭彦委員長のこの時の発言である。
「東京新聞労働組合委員長の宇佐美です。望月さんは私たちが働いている東京新聞の同僚です。望月さんは記者会見で記者として聞くべき当たり前のことを行っているのだと思います。菅官房長官は聞いたことに対してちゃんと答えてないですから、で聞いたことに答えない場合は手を変え、品を変えですね、いろんな質問を投げる。直球、変化球、いろいろ投げるのは記者として当たり前の営みだと思っています。菅さんの受け答えを聞いていますと、私たちが日ごろ出くわす不誠実団交とまったく同じで、聞いたことに答えない。答える必要はないと言い出す。それから平気で嘘をつく、と。不誠実団交と同じなんですけど、そういう政権のあり方が問題なんです。記者の質問の仕方が問われているんじゃなくて、政権のあり方が問われているんだと思っています。
そして、もう1つ問われているのは記者会見のあり方だと思っています。どうして記者団は官邸の役人に仕切られてしまっているのか。しかも質問者を選ばせる指名権みたいなものを与えているのか。中央省庁の記者会見でも幹事社がきちんと仕切って始まりから終わりまでですね、幹事社が仕切って相手に指名などさせていない中央省庁の記者会見は他にもあります。なぜ内閣記者会がああいう風になっているのか本当に疑問だし、内閣記者会はクラブ総会を開いてですね、ああいう記者会見が当局に仕切られていること自体を改めて欲しいと思っています。
それから1つだけ残念なのは、報道する側の分断ということが言われていますけど、たとえば一部、追及する記者のことを揶揄するように記者会見が荒れている、みたいな記事を書いている新聞社も一部にはあります。しかし、私たちは産経新聞の偉い方には言いたいことはいっぱいありますが、でも産経の記者は一緒に新聞で働く仲間でもあります。産経の読者の知る権利も大事でありますから、産経の記者もこの問題では同じ危機感を共有してほしいと思っています。民主党政権の時には質問をたくさんしたはずです。それは大事なことであって、産経も含むすべての読者の知る権利のために記者の一人一人が頑張っていかなきゃならないと思っていますし、そのためには読者みなさんの応援が不可欠です。今後ともよろしくお願いします。」
今日のメディアの弱体化の背景には記者たち一人一人の労働者としての権利が脅かされていることがあるのだろう。宇佐美委員長がここで産経新聞の記者や読者とも「知る権利」の尊重という意味では同じだという連帯を示していることに瞠目する。その意味で、「知る権利」の尊重をめぐって、党派性を越えた連帯が今求められている。
村上良太
初出:「日刊べリタ」2019.12.22から許可を得て転載
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201912220955100
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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