『朝日新聞』(5月9日)の「耕論」面に小林慶一郎東京財団政策研究所研究主幹が「人命も経済も第三の道を」なる提言をコロナ禍中経済について行っていた。コロナ起因死に対比させて、経済収縮起因死の自殺の重大性を警告している。そこで1997年の金融危機を契機に1998年以来十数年続く「年間自殺者三万人」台時代に突入した事実を強調している。
私=岩田は、1997年まで年間2万人台の自殺者が1998年に一挙に1万人余増大して、3万人台に飛躍した特異な事実を市場競争圧力の自由主義イデオロギーによる閾値越えによるものとみなしてきた。安倍政権の時代に幸いなことに自殺者数は傾向的に低下している。『朝日新聞』(夕刊、1月17日)によれば、昨年令和元年1年間の自殺者は、1万9959人(速報値)であり、3月に確定される数値は、2万人をやや上回るはずだという。私=岩田は、安倍内閣の安保法制強行などに猛反発する者であるとはいえ、安倍内閣下の自殺者の傾向的低下自体は高く評価する。
小林研究主幹は、自殺者数と失業率の間に正の相関を見ているようであり、次のように語る。「コロナ禍で経済活動の停止が1年も続けば、大企業にまで倒産が広がり、大量の失業者が生まれるのは確実です。もし累計の自殺者が10万人も増えてしまう事態を招けば、たとえ感染による死者を数万人減らすことができたとしても、国全体の政策として成功したとはいえません。」
たしか、あるテレビ局のコロナ関連番組で藤井聡京大教授もまた失業率と自殺者数の長期にわたるグラフを提示して、両者間の強い相関を強調していた。小林と同じく、コロナ感染対策とそのための経済活動抑制のバランスを説いていた。私=岩田としては、令和3年初に発表される令和2年の自殺者数にコロナ禍中のGDP値よりも強く関心を持つ。
私=岩田が資本主義的市場メカニズムの機能に内在する自殺の問題に関心を持つのは、比較経済システム論的根拠がある。すなわち、経済活動における費用・犠牲=コストは、三層構造を有する。① 貨幣レベルのコスト、② 労働レベルのコスト、③ 生命レベルのコスト。ミクロ・マクロ経済学で扱うのは、①のレベルのみ。マルクス経済学で扱うのは、①と②のレベル。③ 比較経済システム論は、①と②と③のすべてを考察する。
私の比較経済システム論のトリアーデ体系表を略記しよう。資本主義は、交換、自由、私有、市場、私営、自己責任=個権個責、安・不安、象徴死としての自殺。ソ連型社会主義は、再配分、平等、国有、計画、国営、集権集責、満・不満、象徴死としての他殺。ユーゴ型社会主義は、互酬、友愛、共有(社会有)、協議、共営=労働者自主管、共権共責、信(和)・不信(不和)、象徴死としての兄弟殺し。
小林主幹と藤井教授が力説される経済収縮に随伴する自殺は、私=岩田が50年前に発表し今日も堅持するトリアーデ体系表における資本主義的市場メカニズムの象徴死としての自殺である。
勿論、自殺の原因は多くある。失恋もあれば、病苦もあれば、哲学的厭世もあろう。ここでは市場メカニズムの作動に起因する自殺に関するまことに示唆にとむ一文を引用・紹介しておくにとどめる。
「恋によって自殺する人たちは、不幸にも間違って死んだのだと思う。ロンドンの警察当局は、テムズ川からひき上げた死体を調べた結果、不幸な恋愛事件で溺死した人間と借金を苦にして死んだ人間との区別ができるという。恋人たちは橋脚にしがみついて助かろうとするので、ほとんど例外なしに裂き傷で指をいためている。それにたいして債務者はみるからにコンクリート板のようにそのまま沈んでいて、もがいたり、後悔したりするようすがないようにみえるという。」(アルヴァレズ著・早乙女忠訳『自殺の研究』新潮選書、昭和49年、p.83、強調は岩田)
令和2年5月20日(水) 岩田昌征
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1122:200525〕