見た目、遂に脚まで

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
タグ:

日本IBMのOBがアメリカの画像処理システム屋の日本支社に社長として招かれた。腐ってもIBM、コネもありそうだし、アメリカ企業の仕事の仕方もわかっているから雇われたのだと思っていたが、どうもおかしい。典型的な五時から男で仕事という仕事はしない、というよりできない。なんでそんなのを雇ったのかと思っていたが、三月もしないうちにアメリカ本社の本音(魂胆?)が透けて見えてきた。画像処理のことは何も知らないし、知ろうともしない。それが本社にとってはちょうどいい。言われることを愚直にこなせればいいだけで、余計なことさえしなければと考えていたようにしかみえなかった。

なにも出来ないのに、アメリカ本社に対しても、日本の従業員に対しても格好だけはつけなければならない。格好つけの便利屋として雇われた。社長室の大きなガラス張りの前、秘書の横に二人分のブースを用意されて、思い付きでいってくる無茶ぶりを捌いていた。五時からのお供も忙しいが、何も知らないのを幸いに好き勝手にしていた。面倒くさいことも多いが、あり余る予算もある。いつまでも続くとは思えないが、馘になることもないし、辞める理由なんかなにもない。

そんなところに京都にある小さな会社の社長からアメリカのビジネス展開について相談された。整理がついていないのか、つける能力がないのか、いくら聞いても何を知りたいのか分からない。毎日目のまわるような忙しいところに、そうそう相談に来られても困る。話の筋をまとめてみれば、どうもアメリカ支社の立て直しの依頼のように聞こえる。冗談だろうと思った。画像処理システムの覇者の半分の売り上げをあげている日本支社でギリギリの仕事を愉しんでるのに、なんで辞めて従業員百人かそこらの田舎会社に転職しなければならないのか。何度もお断りしたが、毎月頼みに来る。いい年してまたアメリカにはないだろうと家族と相談したら、子どもの進学があると拒否された。家庭のことも理由にあげてお断りしたが、最後は根負けして請け負ってしまった。仕事仲間からは、何を馬鹿なことやってんだと本気で叱られた。自分でも何をやってんだかと思っていた。

三十半ばを前にアメリカの会社に身を振って以来十七年、まさか日本の会社に戻るなんて考えたこともなかった。アメリカの会社に慣れすぎていたこともあって、日本の会社でやっていけるのか心配だった。東京の会社ならまだしも、歴史の浅い京都の会社ともなれば、思いもよらないカルチャーショックに遭遇するかもしれない。おかしな話だと思われるかもしれないが、アメリカの会社に馴染んでしまうと、日本支社にいるよりアメリカの本社で仕事をしているほうがストレスが少ない。日本支社には取って付けたようなアメリカ流のすぐ下に昔ながらの日本流がしぶとく根を張っていて、組織と役職の壁に挟まれて動きがとれないことが多い。アメリカ本社なら目的を達成するためのプロセスが合理的に整理されていて、余計なことに気をつかわなければならないことが少なくてすむ。

初日で朝礼に呆れて、事務所の騒がしさにうんざりした。アメリカの会社では、背の高いパーティションで区切られていた。学習机の方が気が利いているんじゃないかといいたくなる小さな机で、支給されたPCを開くと、資料や書類を開くスペースもままならない。
国内営業部は十時も回れば、課長とアシスタントぐらいしか残っていないからいいが、海外営業部は、これといって行くところもないから、ほぼ全員が小さな机にしがみついている。メールの処理をしているようだが、実のところは分からない。アメリカもヨーロッパも時差があるから、担当営業はもくもくと仕事をしている格好をしているように見える。そこに中国担当の上海人がいた。パックツアーの添乗員だった人で、多くの営業マンと同じように技術的なことには一切興味がない。何をしているわけでもないし、何をしようと考えている様子もない。暇なのだろう、始終中国のあちこちに電話をかけて、煩くてしょうがない。電話が終われば、アシスタントの女性と世間話が始まる。九官鳥のように一日中しゃべっている。
メール一本書くにも気が散ってしょうがかい。画面の向こうには女子事務員の顔が、右にも左にも手を伸ばせば、煩いのがいる。なんでこんなところに来てしまったのかと悔やんだ。

若い会社で専門的な知識をもった人が少ない。アメリカに赴任するために必要なビザをとるのに半年以上かかった。赴任前にできるだけの準備をと思っても、決算報告書以外にはこれといった資料がない。市場をどうとらえているのか、戦略機種は、販売体制は……を訊いていったが、あるのは戦略と称した期毎の売り上げ目標だけだった。財務の役員と商社上りの営業部長、海外営業部の課長からブリーフィングのような与太話を聞かされたが、傾聴に値するものは驚くほど何もない。なにもない人たちが旗にもならない旗を振って、それに形ながらについて行くだけの若い人たちの群れを営業部隊と呼べるのか。こんなことで企業として成り立つのが不思議でならなかった。しょうがないから、辞めた会社の資料と市場分析のやりかたでそれこそ隔靴掻痒。半身不随のアメリカ支社で、どこから手を付けようかと、してもしょうがないシミュレーションを繰り返していた。

なんのしようもない半年は長い。その間に何があったのかと思いだそうとしても、一つのたまげた経験以外にはなんの記憶もない。
祇園祭もあるし大文字焼もと言われるだろうが、無粋者には京都の夏はただただ暑いとしか言いようがない。立っているだけでも汗が流れてくる。暑すぎて何も考えることができない。浴衣も脱ぎ捨てたい、パンツもなにもうっとうしい。裸で風通しのいいところに転がっていたい。東京の夏も昔に比べるととてつもなく暑くなったが、京都の暴力的な蒸し暑さにくらべればかわいいもので、暑い暑いと言いながらも楽しむ余裕が残っている。
我慢の限界を試すような夏もやっと終わりかけて、もうそこまで秋がきているような気がする、そんなある日、同僚の若い女性が一週間ほどの休暇から帰ってきた。いつものように上海人と世間話をしている。何気なく見たら、サングラスをかけていた。どうしたんだろう、サングラスなんかかけて。もしかしたら、海にでもいって目を傷めてしまったのかもしれないと思っていた。

数日後、サングラスを外したが、なんでサングラスをかけていたのかとロジロみる訳にもいかない。ちょっと見たかぎりでは、休み前と何もかわっちゃいない。
数日たって目が合ったときに、唐突に訊かれた。
「藤澤さん、気がつきません?」
「えっ、何が?」
「気がつきません?」
どことなく声がきつくなってる。なんでと思いながら、
「えっ、なにが?」
気がつくって、なにが?まだ二十代中ごろ、世辞抜きで綺麗だなとは思っていたが、まじまじと見る訳にもいかない。ただ、どこか怒っているような気がする。
「綺麗になったでしょう」
「何が」
「えっ、何がって、目」
目そのものにも力が入っていた。
ちょっと気圧されながら言い返したが、押されっぱなしで言葉が弱くなってしまった。
「目がどうかしたん」
「ウソっ、気がつかないん」
「目がどうしたん」
この最後のやりとりで、むくれてしまった。椅子に坐り直して背を伸ばして説教口調ではじまった。
「ソウルの五階か六階建てのビルなんですけど、二階から上はみんな成形医院なんですよ。綺麗な二重にしてきたんですけど、気がつかないなんて」
そうは言われても、気がつかないものは気がつかない。しょうがないじゃないか。でも、なんとか言い訳をと、
「いや、おれメガネの度あってないから」
気がつくのつかないのというより、気にしてみたことがないといったほうがあっている。
まったく面倒な時代になった。綺麗になったといえばセクハラだといわれ、気がつかなければ、それはそれでむくられる。

目でも鼻でも胸でも成形手術でどうにでもできる時代になった。ニューヨークにいたとき、成形手術の広告をみてあきれたことがある。
「Repositioning」
もとの位置に戻すという意味だが、なんのことかと宣伝文句を読んでいてやっとわかった。垂れてしまった胸や尻を若い時にあったであろう位置に引っ張り上げる手術だった。それは唇でもいいし、頬でもいい。若い時よりもっといいと思える位置にということだろう。

一つ分かると、偶然が引き寄せられるのか、同僚の彼女と三人で夕飯にいったとき、どういうわけかPlastic surgeryの話になった。二人とも二十代半ばのカップルで明け透けな話で盛り上がっていた。
彼女が、両手を交差して掌を肩に当てて、
「大変なんだよ。大きすぎてブラのストラップで真っ赤になっちゃて。重くてしょうがないから切って小さくしたんだけど、大きくするより難しいんだって医者が言ってた。だって、右と左で大きさや形が違ったらやじゃない」
エドが笑いながら、
「そうだよ。大きすぎると垂れるの早いし、小さ目の方が若く見えるし、小さくする人、結構いるみたいだぜ」
豊胸手術は耳にしたことがあったが、小さくするというのには驚いた。あらためて目の前を見てみたが、とても小さいとは思えなかった。

整形手術の技術も進歩して、もう特別なものではなくなってきたらしい。お国によってはミスなんとかコンテストにでてくる人たちはハンコで押したように似ているなんて話もきく。
インターネットを見てみれば、特別なものでないどころか、ちょっと日帰り旅行にというような日常のものになってきた感がある。いくつもならんだ宣伝にはおおかた次のキャッチが並んでいる。
「鼻や二重のプチ整形」「お手軽・バレない・怖くない 」おすすめプチ整形……。

化粧技術の進歩だけでもコロッと騙されちゃうのに、成形手術までとなると、もう男性も女性も見間違え(騙され?)ない人はいないんじゃないかと思ってしまう。朝目が覚めて隣の顔にびっくり。子供ができたら、誰に似たんだろうなんて話もありそうだ。
Google Chromeで「化粧 ビフォーアフター」と入力して検索すれば、丁寧に動画ですっぴんから大化けするまでの、ここまで微に入り細にいるプロセスをと感動するものがいくつも出てくる。一度ご覧あれ。

もう世の中美人だらけで、サンシャインに入ると青春映画のセットのなかを歩いているような気になることもある。確かにみんな綺麗になったような気がする。

美容整形でなんでもかんでも見た目をという時代にはなっても、身長はそう簡単じゃないよなって思っていたら、そこまでやるかというものがでてきた。

「Make me taller」と題するAl jazeeraの記事には正直驚いた。
https://www.uomoelegante.it/make-me-taller-the-rising-trend-of-limb-lengthening-surgeries-in-india-101-east/

日本語版があったはずなのだが、見つからない。英語のニュースだがビデオを観れば、何を言っているのかお分かりいただけると思う。短いビデオに手術の現場が映っている。機械翻訳くさいが見つけた日本語を転記しておく。

「インド全土で、ますます多くの人々が背を高くするためにナイフの下に行くことを選ぶようになっています。彼らは、手足を伸ばす手術が彼らのキャリアと個人的な幸福を新たな高みへと駆り立てると信じています。この手術では、外科医がロッド、フレーム、ボルトを取り付ける前に脚を骨折する必要があります。これに続いて数ヶ月の回復があり、その間に患者の治癒する手足は1日1ミリメートル成長します。しかし、このプロセスは必ずしもうまくいくとは限らず、一部の患者は不自由になります。101 Eastは、インド全土の人々が背を高くするために進んで行こうとしている長大な長さを調査しています。」
2021/10/10
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion11386:211015〕