「タイヤの大波」の続きです。
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明るさだけが取り得の絵に描いたようなテキサス人。人はいいがバタバタの営業マンあがりで、アメリカでならまだしも、日本で組織を構築する能力はない。事業部と折衝しなければならないときは助けになるが、日常的には面倒なことを振ってくるだけのやっかいなオヤジだった。
ごちゃごちゃになって営業マンの手に負えなくなると言ってくる。なんでマーケティングに振ってくるんだと何度か押し返したことがある。日本支社の従業員だが、給料も予算もすべてアメリカの事業部もちで、古臭い言い方をすれば、忠誠心は雇用主である事業部に対してで、日本支社の社長や副社長には細い点線でしかつながっていない。
ある日の昼過ぎ、副社長の秘書から電話がかかってきた。
表示された内線番号で誰からの電話なのか分かる。関わり合うとろくなことないから、返事もそっけない。
「なに」
「ヘンリーさんがちょっと相談があるから、来てもらえないかって」
「相談って、またなんなの。どっちみち営業の話だろう。そんなもの営業マンにやらせりゃいいだけで、なんでマーケがでてくんだ」
「わかってるくせに」
「何が?」
「何がって。わかってんでしょう」
何がわかってんでしょうだ。いつも面倒なことを振ってくる伝令のようなことをしていて、ろくな話じゃない。
そのうち言ってくるんじゃないかと思ってはいたが、もしかしたら営業部隊で処理できるかもしれない、としてもしょうがない期待をしていた。こっちだって手持ちの作業でいっぱいだっての。
「なんだよ、どうせ石けんの話だろう」
あんなもの、アメリカの客とアメリカ本社が決めたことを日本で進めるってだけじゃないか。こっちはただの出先だ。営業マンを走らせれば事足りるじゃないか。何の問題がある。
「わかってんじゃないですか。若林さん、相手にしてもらえないですごすご帰ってきたって、ヘンリーさんが怒っちゃって」
まあ、分かるな。相手にしてもらえませんでしたってんじゃ、アメリカに報告して点数稼ぎもできない。
「で、なんだ、またオレの出番ってか。オレ、マーケティングで営業じゃないのわかってんだろうな」
「でも、ヘンリーさん。藤澤さんのタイトル変えるっていってますよ」
「おいおい、そんなこと日本支社の一存でってわけにゃいかないだろうが。事業部がうんて言うわけないだろう」
なにもないときは明るい単細胞でいいが、ちょっと込み入ってくると、状況もデータもあっという間にオツムのキャパをオーバーフローしてしまう。
「そんなことヘンリーさんが気にするとでも思ってんですか」
「気にしっこないな。じゃあ、こんどはUtility specialistとでもするんか」
「そんなことどうでもいいですから、早く来てください。機嫌が悪くて……」
どうでもいいってこっちゃないだろうが、ふざけるなと思いながら出て行った。
「シンシナチが買収したことは知ってるよな」
「テレビでも言ってたし、新聞にも出てたから」
「xxxの監視制御全部置き換える作業に出来るだけ早くいってきてくれ」
「そんな作業、ひと月やふた二月ででることでもなし、何をそんなに急いでんだ」
「プランをアメリカに報告しなきゃならないから、今月中にだ」
なんだよ。今月中って、あと二週間ないじゃないか。買収の話は半年前には聞いていたんだし、今まで何してたんだ。そもそも生産ラインをどうするかってのはシンシナチ(買収元)が決めることで、石けん屋(買収先)との話しもすんで、それからやっとうちに出番が回ってくるという話しじゃないか。こんなこと小学生でもわかる常識だ、と思いながら聞いていた気がついた。付き合うのもバカバカしい話で、要は買収という華のあるプロジェクトにいっちょ絡がみして、上層部の印象をよくしたいという副社長のちゃちな思いでしかない。格好をつけることだけは一人前の副社長、何をいったところで始まらない。
「いつものことで、出番ってこったろうけど、状況と、まあ、なんらかのplanは出すから、あとは営業部隊でやってくれ。そこまででいいよな」
なんだ、その不満げな顔は、Migration planまでだしたら遂行までしなきゃならなくなっちゃうじゃないか。ドライブシステムやマーケティングはどうするんだ。予算を持ってる事業部が後ろに控えているから、こっちだって請けるに請けられない。できることは手伝いまでだ。あんただって、事業部とやり合って勝算があると思っちゃいないだろう。
「ACジャパンのマーケティングの藤澤です」
翌日、石けん屋に電話して抵抗勢力の重鎮らしい部長に電話を回してもらった。
電話をとった女性がいやいや回してくれているが分かる。だれもこんな電話取り次ぎたくない。こっちだって、仕事でかけなきゃならないからかけてるだけだっての。どこかの誰かが書いた粗筋にもならないシナリオが機能するようにト書きをつけなきゃならない面倒な仕事を押し付けられただけだ。
「はい、吉田ですが」
努めて事務的な声だった。
「お忙しいところも、申し訳ございません。ACジャパンのマーケティングの藤澤と申します」
要件に入ろうとしたことろで遮られた。
「先日、御社の若林さんがいらして、一方的な話をされていきましたが、いくらお聞きしてもどうこうって話にはならないんで」
そんなことはわかってる。今の時点でどうこうって話しなんかできるヤツはどこにも、シンシナチにだっていやしない。ただ、否が応でも、そのうちどうこうって話しが転がってくる。だからこうして電話してんじゃないか。
「はい、若林から話は聞いています。今回の話は御社の会社と会社の関係のことで、制御機器屋にすぎない弊社の一営業拠点の営業マンがどのこうのできるような話ではないですから」
話が思わぬほうに向かっているように感じているのだろうか、だまって聞いていてる。
「愚生は日本支社の従業員ですが、アメリカ本社の事業部の出先のマーケティングです。今後御社がどのように進めていかれるのか、お考えの一端でもお聞かせいただいて、アメリカの本社も含めて出来る限りのお手伝いをと考えております。ただ、その段階はまだまだ先のことだろうと想像してます」
多分、若林が目の前の注文を気にしすぎる営業マンの口調ででていって、追い返されたんだろう。それ以外の話を転がすなんて器用なことのできるヤツじゃない。
追い返されて困ってはいても、相手の困っている状況に比べればなんてことでもない。副社長も、自分に成果を気にするあまり、自分たちの視点だけで、相手の視線というのか立場から何が起きようとしているのか、本質的なことを見れないでいる。困っているのは相手なのに、追い返されて困っている(と思いこんでいる)営業も営業で、ちょっと後ろに引いてみれば、こっちは何にも困っちゃないことぐらいわかるだろうに。イヤな役どころだが、端から落としどころは見えている。
「お忙しいところ、お時間を調整していただいて、ありがとうございます」
「企業機密になるんで、詳細はムリでしょうけど、大まかに製造ラインについてお聞かせ頂けないでしょうか」
なにをたわけたことを言いだしたんだ、お前と引いているのがわかる。誰だってそう思う。でも、何も知らないで手前みその大枠の紹介から初めても時間がもったいない。
「大まかにでも全体図をお聞きできれば、何をどのようなかたちで紹介した方がいいのかの見当をつけられます」
「ACのシステムの概略が分かっていれば、シンシナチからでてくるあれこれの案が何に基づいての話しなのか、まごつくとこもないでしょうし……」
攻撃してくる敵の武器とシステムが事前にわかっていれば、防衛体制もしきやすい。思いをちょっと横に置いてみれば、ACのシステムを知っておく必要があることぐらい分かるだけの冷静さが戻ってきていたように見えた。
しかめっ面をなんとかしてやると、ほとんど一方的に話していったが、ちらちら見えてきた緩みに勝ったと思った。
ここで一押しと、
「こんなことを言ってくるんじゃないかと、多少でも想像がつけば、御社の仕事の仕方に基づいたカウンタープロポーザルを準備できると思うのですが、いかがでしょうか」
ここまで言っても、話しなんか聞きたくないと言うのならしょうがない。シンシナチから一方なプランを押し付けられて、土壇場になって慌てて聞きにくるのか、前もって聞いておくのかの違いでしかない。
日本のシーケンサに計装機器を組み合わせて、そこに特注で作らせた集中監視システムが載っていた。シーケンサと計装機器のメーカの名前を聞いたら、自慢げに機種まで教えてくれた。大雑把な話からでしかないが、最新のシステムだった。これを捨てて、すべてACに置き換えろというのは子どもを殺せといわれているように感じるだろう。ACのPLCで計装もいっしょに処理してしまえば、システム構成は簡単だし、通信ネットワークでSCADA(Supervisory Control And Data Acquisition)を組み合わせれば、日常の保守も後日の拡張や変更も楽になる。しがらみのない公平な目でみれば、異論なんかでっこない。でも、そんなこと、とてもじゃないが、技術屋の良心としては押せないし、押しちゃいけない。
企業買収は経営層が市場の状況から判断して決めることだが、問題は実務部隊の状況を見ようとしないというのか、見なければならないという必須の考えがないことにある。技術的にあまりに遅れてしまった生産ラインなら、全部最新設備に置き換えるしかないだろうが、それでもどこから手を付けるべきなのか、現場を任されている技術部隊の能力も把握しないで机上の計画ではうまくいかない。
何をどうするのかを決めるのはシンシナチに本社がある巨大日曜衛生用品屋で、こっちから何をしましょうなんて言えることはなにもない。こうしたいがとでもいってくれば、予算との兼ね合いもふくめて提案できるが、買収元の計画も知らずになにができるわけでもない。
もう最初の厳しい表情はない。穏やかに技術屋同士の話しになっていった。ちょっとしたぶり返しはあったが、ゆったりとした話しで確認していった。
「余計なお節介でしかありませんが、遠からずあちらからなんらかの話しがくるでしょう」
「共通の言葉だけならいいんですけど、聞いたこともない弊社の製品名とか機能の名称が飛び出してくることもあるでしょうから」
「事前準備というのもへんですけど、そのとき、なにをいってきたのかを理解するためにも、弊社の製品をざっと紹介させていただいておいた方がよろしんじゃないかと……」
「まあ、今日明日の話でもないでしょうから、お時間の都合のつく時で結構ですので、ご連絡いただければ、いつでもざっとした紹介をと思っているのですが、いかがでしょうか」
「弊社にとっては大事なお客様ですから、出来る限りのことをさせて頂けないかと……」
何をするにも相手あっての話で、だれもこっちの都合なんか考えちゃくれない。相撲をとるのか、アーチェリーになるのか、カルタ取りなのか、釣りにいくのかは相手次第。こっちができることはできるし、できないことはできない。普通の生産ラインの制御までなら、だいたい何とでもなるが、なんでもできるわけじゃない。どこまでならできるのかを大雑把にしろ、分かってもらっておかないと、とんでもない夢物語を期待されても困る。
「技術のトップ吉田さんに、うちのシステムソリューションの紹介させてもらえるように頼んできた」
「そのうち、日時を言ってくるだろうから、きたら営業とアプリケーションにシステムのデモに行かせろ」
「シンシナチから吉田さんに計画を出せとシンシナチ支店に言っておいてくれ」
こっちができることは、落としどころに落とすまでで、その先は相手次第。何を言ってくるのか、待ってるしかない。
シンシナチの会社は、アメリカでもヨーロッパでもニッチなブランドで成功した製品を持っている会社を買収し続けて日曜衛生用品のブランドを拡大してきた。
ただ今回の買収は、いままで何度かみてきた買収とは違う。日本の石けん屋の製品が欲しいわけでもなければ、ブランドが欲しいわけでもない。世界共通のブランドで押し通している製品群の一部を日本で製造する工場の取得を目的としている。
当然の結果として、現在の生産設備のほとんどをアメリカで標準としている生産設備で置き換えることになる。
長年かけて作り上げてきたものが跡形もなくなるのに大した時間はかからない。そんなことに関わり合いたくはないが、しょうがない。
アメリカの標準化された経営管理思想をもとに開発されたコーポ―レートレベルの生産管理システムや生産現場の監視制御システムが世界を席巻し始めたとき、日本の多くの製造業が標準化をきらって差別化に優位性を求めて凝りすぎていたことに気がついた。差別化は反対側からみれば、どこともつながりようのないガラパゴスシステムにほかならない。海外展開の足かせになるだけでなく、標準化を基本とした世界の開発競争の外に身をおいたことで、最先端の生産管理システムだと豪語していたものが加速的に陳腐化していった。それがジャパン・アズ・ナンバーワンと浮かれていた八十年代半ばの現実だった。
言ってみれば、世間(世界)知らずの内弁慶。生き残れるはずがない。携帯電話とスマホはそのいい例だろう。携帯電話で一世を風靡して悦にいっていたら、ある日突然スマホがでてきて、あっという間に市場から駆逐されてしまった。
2021/5/27
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
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