自分(たち)のありよう

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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とるに足りない知識しかもちあわせない素人だからだろうが、哲学は学ぶ以上に自分で考えるものだと思っている。こういうと誤解をまねきかねないが、決して学ばない訳じゃない。何に事も知るということから始まると思っているから、学びはするし、それなりに本も読んできた。そうはいっても、哲学を専攻されて来られた方には、そんなもん学んだうちに入らないと一笑に付されるだろう。その覚悟はできているし、学ぶと考えるの違いからくるすれ違いのようなものだと思っている。

真夏の炎天下の新宿の交差点を渡りながらハタとおもうこともあるだろうし、冷房の効いたスターバックスで高尚な哲学書を読んでいるのも広い目でみれば哲学をしているようにみえるだろうが、哲学は先達の足跡を批判的に学んできたことが、そのまま哲学をしていることにはならないと、何もしらない素人が考えてきた。考えきたことが、恐ろしく定石からはずれていることだという自覚はあるし、かなり恥ずかしいことだとも思っている。でも学ぶを知るという一般的なプロセスにゆるやかにして得られる哲学的生活は奨励されすれ否定されるものではないと信じている。そんなことしかできない、しようのないものの拙い考えを恥も知らずに、しょうもないことをこうして書いている。

進んだ文化や技術を取り入れることは奨励されるべきことで非難されることではない。ところがこの先達に学ぶのがことのほか難しい。発展途上国をみれば、いかに難しいかが分かる。学ぶ側に学びえる能力と学ばなければならない動機がなければ学べない。この学ぶ能力と必要を想う衝動が学びえることの種類や領域を決めるが、それ以上に培ってきた文化や知識、ときには宗教が学びえることを規制する。
赤ん坊のように無垢であれば、なんでも学んで吸収してゆけるが、培ってきた知識や能力が新しく現れたものと競合してしまうことがある。大化の改新でもそうだったろうし、明治維新も、戦後の日本も従来のものと新しいものをどう調整するかで四苦八苦してきたはずで、それは今も将来もどこでも変わらない。極論すれば、自分たちが持っているものと折り合いのつく範囲、あるいは折り合いを付けられるように調整できることまでしか学びえない。

そこで、折り合いをつけるべく状況をいいように解釈する考え(言葉)が生まれる。和洋折衷や和魂洋才、まあ特別気にもしなければ、うん、なるほどそうだよなと思ってしまうが、そうそう都合よくいいとこどりで歴史的背景もなにもかも違うものを組み合わせてなんてことなど出来るわけがない。わけがないを穏やかにいえば、出来るところまでが出来たまでということで、出来たまでが、将来のし得ることの足かせになっていく。

学ぶべきものの外面だけをもってきて木に竹を接ぐようなことをしていたら、自分たちが培ってきた文化――もっとも大事なものを失いかねない。先達の成果だけを拝借でなんとかなるのは表面的な、しばしテクニカルなことまででしかない。先達が何をどう観て、理解し解釈し、そこから血の出るような試行錯誤の末にたどりついたものをあたかも既製品のように拝借するまでならまだしも、多少なりとも独自性をということで夾雑物(独自の解釈?)をつけたがる。先達にしてみれば、とってつけたような夾雑物は迷惑以外のなにものでもない。

製造技術や会計手法のような実務までなら、成果としてのシステムを導入すればこと足りるだろうが、こと哲学になるとそうはいかない。
本質的に普遍的であるはずにしても、日本人としての哲学をかたらなければならないときに、古代中国の賢人の言、あるいはギリシャ哲学や唯物論をもちださなければ語れないというのはどういうことなのか。人は言葉で記憶して言葉で考えて、その結果を言葉で伝える。その言葉が、言葉を生み出した社会と切り離された社会にテクニックとして導入されたらどういうことが起きるか。本来持っていた言葉の意味と、導入した社会がその同じ言葉で意味していることが寸分たがわず同じである保障などどこにもない。というより社会も歴史もそこにおける常識や知恵も違うのだから同じであるはずがない。言葉としての日本語の成り立ちを考えれば、圧倒的な漢文に支えられた知的社会があったし今もある。その知的社会と先進欧米社会が同じ形態で成り立っているわけじゃない。そこから言葉の曖昧さを都合のいいように活(悪)用する社会が生まれる。

右を向いて「王政復古」といいながら、左を向いて「四民平等」、普通の神経をしていたら、この二律背反することを素面で口にはできない。鎌倉時代から続いた武士による支配から天皇以下貴族が支配した平安時代に戻すのが「王政復古」で、そこには「士農工商」の四民どころか、その上に貴族社会と天皇がのっている。そんなところに四民平等なんかあるわけがない。
まあ、明治「維新」なんて都合のいいことをいってはいるが、田舎の貧乏侍以下のテロ集団と奸知に長けた乞食貴族の企みがうまくいってしまったというだけで、今もその時代が捻り出した響きだけの言い草に惑わされたままでいるような気がしてならない。

千年前は中国を、百年前は先進西ヨーロッパを、戦後はアメリカを手本として、都合のいいところだけを都合のいいように解釈してもちこんで、今になってみてみれば手本なしで、自分たちで自分たちの思想なり文化なりを築き上げてきたことがあるんだろうかと考え込んでしまう。工業技術は導入できても、自分たちのありようを考える思想や哲学はどこかからもってきて、弄り回してできあがるものじゃない。日本の日本なんていう気はないが、おれたちはいったいなんなだって、おれたち以外の人たちがそれぞれ主張し合う場にいって、こうだといえる背骨のようなものがあるのか。仕事でアメリカ人やドイツ人、ときには中国人と渡り合ってきたが、あの人たちの思考の根柢にある社会観や宗教観とそれと対立しかねない目の前の利益しか眼中にない言動になんどもはっとさせられた。そのたびに、オレはどっちつかずというのか、拠ってたつものがあるようなないような、とてもじゃないが太刀打ちできないと思わされた。

素人の拙い理解で叱られるだろうが、巷の知り得る哲学を概観すると、日本の哲学とはと考え込んでしまう。自分の考えを語るのに、ギリシャ哲学や弁証法を引き合いに、時には孔子……をもち出さなければ、始められないってのはどういうことなのか。それもしばし、漢文の素養を基にした筋張った翻訳日本語で、専門家でもなければ理解できない専門用語を駆使しなければ成り立たないのはどうしてなのか。
純文学も漢語を基にした翻訳日本語でなりたっていて、未だに日本語の日本語になりきっているようにはみえない。一例をあげれば、「彼」という人称代名詞が最初から最後まで続いて、どこにも彼自身が登場しない小説なんて、手本とした先進ヨーロッパにあるのか。文学の構文を学びはしたが、テクニックの習得に走りすぎたか、人称代名詞で押し通すことで作り物の個性をとでも勘違いした物書きの文章でしかないんじゃないのか。もしかしたら、翻訳日本語の晦渋さと新奇性が高尚であることの証とでも思い続けているのか。

日本の哲学はと探してきたが、所詮素人のやることで、これといったものが見つからない。探したりないだけで、探し続けなければとは思っているが、行き当たりそうな気がしない。
新井白石の朱子学なんてのは、儒教をもとに江戸幕府の武家支配を公理とせんがためのもので、社会も経済もみちゃいない。本居宣長や吉田松陰、そこから水戸学、極め付きは平田篤胤だろう。極端に言えば、豊富(?)な知見と明晰(?)な頭のなかで堂々巡りの果てに捻り出した都合のいい体制擁護以外のなにものでもないのではないか。天皇の始まりをのぼっていったらアダムとイブもどきの話、ここまでいくと、もう笑うに笑えない。厩戸皇子、ただの偶然なのか。なんかキリストの誕生とへんに似てないか。

東京の下町の場末で生まれて寂れた都下で育った東京人、紛れもない日本人のはずだが、異文化に入り込んだとき自分はなんなんだと感じさせられる違和感を越えた劣等感はいったいどこかくるのか。いくら考えてもすっきり説明しきれない。老い先も長くはないだろうから、このままいけば説明のつかないままということになりかねない。
2021/11/5
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion11634:220104〕