白居易(白楽天)、与謝野晶子、明治天皇――ロシア(露)・ウクライナ(烏)戦争に思ふ――

 11月5日の「評論・紹介・意見」欄に露烏間の捕虜交換について小文を発表した。https://chikyuza.net/archives/123111
 白居易(白楽天)『新楽府』にチベット人俘囚の悲劇を詠んだ長詩があったなと想い至って、再読してみた。岩波の中国詩人選集『白居易 上』(pp.102-109)に51行の長詩「縛戎人 縛られたる戎人」である。「戎」とは中華思想で言う「東夷西戎南蛮北狄」の「戎」、チベット族やトルコ族であるが、この詩ではチベット(吐蕃)人である。詩の主人公は、漢人の一常民・一庶民だ。
 チベットに捕えられ、そこで妻子を得て四十年、望郷の念止み難く、唐軍の陣に逃げ込む。しかるに、チベット兵として唐軍の捕虜とされて、今や多くの囚人達と共に呉越東南卑湿の地へ流刑となる。天子の命令だ。妻子を捨ててまで帰郷を望んだのに、後悔先に立たずだ。胡地の妻児は虚しく棄損す……早く此くの如きを知らばと帰耒を悔ゆ……。
 現代の露烏戦争の捕虜交換とは情況に差があるとは言え、ウクライナ人女性を妻とし子供を持つロシア兵、ロシア人女性を妻とし子供を持つウクライナ兵、そんな人達が銃火を交え、捕虜になる事の現実性は十分に高い。彼等に縛戎人の悲劇が繰り返されない事を祈る。
 露烏双方の同祖キーウ(キエフ)・ルーシが誕生する以前七十余年、西暦809年(元和4年)に世に出た『新楽府』「縛戎人」を現代の捕虜問題に重ねるのは、読み過ぎかも知れない。しかしながら、白居易がこの試作の本意として記す「達窮民之情也 窮民の情を達するなり」は、21世紀に生きる。9世紀において窮民の情は王朝諫官エリート詩人白居易の筆により皇帝に達した。21世紀の現在、露烏の窮常民・窮庶民の情は、両民選大統領に達しているのであろうか。今そんな筆を持つ詩人がどこにいるのだろうか。

 我が国において、戦争と詩歌を語る時、誰しも与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ 旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて」を想い起こす。その一部のみ引用する。

  君死にたまふことなかれ、
  旅順の城はほろぶとも、
  ほろびずとても、何事ぞ、
  君は知らじな、あきびとの
  家のおきてに無かりけり。

  君死にたまふことなかれ。
  すめらみことは、戦ひに
  おほみづからは出でまさね、
  かたみに人の血を流し、
  獣の道に死ねよとは、
  死ぬるを人のほまれとは、
  大みこゝろの深ければ、
  もとよりいかで思(おぼ)されむ。

 晶子の詩は明治37年・1904年に詠まれ、『明星』37年9月号に発表された。私=岩田は、すめらみこと、すなわち大元帥明治天皇がこの詩を目にしたかどうかは、知らない。おそらく、この詩がすめらみことに達するルートはなかったであろう。
 そこで、私=岩田は、『類纂 新輯明治天皇御集』(明治神宮、平成2年11月)で明治37年の御製を調べてみた。晶子の訴えに反応すると解し得る御製が見出されるか否かを確認したかったからである。
 流石に「旅順の城…」に返答するような御製はなかった。しかしながら、「すめらみことは、戦ひにおほみづからは…」に反応していると読める御製はかなり存在する。
 
  戦(たたかひ)のにはに立つ身をいかにぞと思へば花もみるここちせず

  扇をもならす心ぞなかりけるいくさのにはに立つ人おもへば

  戦(たたかひ)のにはにたつ身もわが庭の菊さくころとおもひいづらむ

  ひさしくもいくさのにはにたつひとは家なる親をさぞ思ふらむ

  子等はみな軍(いくさ)のにはにいではてて翁やひとり山田もるらむ

  いたでおふ人いかならむさらぬだにさみだれどきはいぶせきものを

  いたでおふ人のみとりもこころせよにはかに風の寒くなりぬる

 同じ明治37年、日露戦争の初年に詠まれた晶子の詩と明治天皇御製との間に無言の共通感情がある。それは、戦争を不幸と実感する真情であろう。

 残念ながら、日露戦争を去る117年、現代の露烏戦争において、ロシア民選大統領もウクライナ民選大統領も不幸な戦争を目的達成の手段として見ているようである。前者の目的は、ロシア社会の伝統・体質に合った権威指導主義体制の護持である。後者の目的は、ロシアの影響圏から脱して、自由民主主義・NATO陣営への参加である。
 いかなる体制・陣営の下であれ、そこに生活し勤労する常民庶民にとって、戦争こそが最悪最凶最禍の不幸不運である。それを真情において得悟している最高指導者であるならば、伝統体質の守成であれ、自由民主の創業であれ、交渉に交渉を重ねて実現するはずであって、決して戦争という不幸を手段に用いることはなかったであろう。

 「不達窮民之情也 窮民の情を達せざるなり」が令和・21世紀の現実である。何故なら、現代の詩人は自由民主主義を唯一絶対の思考公理にしてしまって、他者存在・他思想存続のリアリティをイメージできなくなっているか、そのリアリティを我慢できなくなっているからだ。
 こう考える私=岩田の思考回路が見えない人は、私のトリアーデ体系論に目を通して欲しい。

         令和4年霜月17日    岩田昌征/大和左彦

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