夢に関する四章

著者: 川端秀夫 かわばたひでお : 批評家・ちきゅう座会員
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※解題※ 季刊の連句同人誌『れぎおん』に2001年春号~2002年冬号にかけて4回連載。書いた時の雰囲気を保存するため原文にはいっさい手を加えていません。

■第一章

 

サルサを覚えて以来、私の夢の国はキューバとなった。以前の夢の国はギリシャであったが、ただそれはプラトンやソフォクレスが生きていた時代、古代ギリシャが対象であった。哲学と演劇の国・古代ギリシャから、キューバへ夢は移る。現代のキューバ。モヒートとダンスの国が憧憬の対象となった。

 

昨年の五月連休明けくらいに、映画「ダンス・ウイズ・ミー」を見たのがきっかけになって、週に二、三回のサルサクラブ通いが今でも続いている。部屋では、読書する時にもくつろぐ時にも、サルサが流れている。そんな生活がほぼ一年近く続いた。

 

ぐっすり眠る習慣がついたせいか、見た夢はほとんど覚えていない。夢について連載を開始するにあたり、自分の見た夢の分析から始めようかと思ったが、材料不足である。ベルクソンの夢に関する研究は極めて明晰であるので、その紹介から始める。

 

ベルクソンが実際に見た夢の例でいうと、ベルクソンがあるところで講演をしていた、すると会場の隅々から「出ろ、出ろ」という野次と怒号が起こり、その声は次第に強くなる、夢から覚めてハッと気付くと犬が吠えていた、というのがある。これは聴覚を素材に作られた夢である。

 

眠っている人は、足に重力の重みを感じていない、それが飛行しているという幻を生み出すのである。これは触覚が素材の夢の例。

 

ベルクソンは、有名な月の女神アルテミスと羊飼いのエンデュミオンとの恋物語に関し、その感覚的起源を、睡眠中の青年の瞼に差し込んだ月光によって説明している。月の光は、眠っている人の眼を愛撫して、処女の幻を現出させる力を持っているという。アルテミスは眠っている青年エンデュミオンの美しさに惹かれ、その夢の中に入り込んで彼を恋する気持ちを告げた。美貌はやがて衰えることを悲観するエンデュミオンに対し、アルテミスは不老不死の力を与える。終わることのない永遠の恋がここに成就する。それは眠っている人間の意識の中にのみ起こる奇跡。月光という感覚的素材を元に作られた夢を加工して作られた神話が、エンデュミオンの物語なのである。

 

人は眠っている間も、目覚めている時と同じように、視覚・聴覚・触覚などの感覚は働いている。感覚と記憶は相互に引き寄せ合い、記憶内容つまり幻が感覚の中に具体化されることによって、固有の生を生きる存在、すなわち夢となるとベルクソンは主張する。

 

目覚めている時にも、感覚と記憶内容の結び付きという、夢と同じメカニズムは働いている。したがって、夢の誕生には少しの神秘的なところもないのである。

 

それでは、覚醒した状態と夢との違いはどこにあるのか。それは生への努力という観点から、緊張しているか弛緩してしまっているかという点にあるというのがベルクソンの説明である。犬の吠え声が集会の喧騒の音を記憶内容から引き出してくるためには何も努力しなくていい、弛緩したままでいいのに対し、それを実際に犬の吠え声として知覚する為には集中と努力が必要である。これが覚醒時における精神の主要な働きなのだ。

 

記憶と脳の関係、意識と生命の関係等、ベルクソン哲学の主要テーマを見極めたいと思いつつ何年も過ぎた。亀のようなペースでいまベルクソンの主著『物質と記憶』を読んでいるところである。

 

私の夢は、これからゆっくり爆発する。

 

■第二章

 

大学生になって上京してから最初の二年間ほどは武蔵野市に住んでいた。武蔵野市には旧小浜藩の藩邸があり、そこが郷土出身者が住むことができる寮になっていた。

 

初めて東京に出て、武蔵野市の吉祥寺駅に降り立ち、それからバスに乗って寮の入り口まで向かった。その日のことはよく覚えている。八百屋や、魚屋の匂いがバスの中まで漂ってきた。

 

寮の玄関を開けて入ると、すぐそこに高校の同級生のA君がいた。入り口近くに電話が置いてあって、どこかへ電話をかけようとしているところだった。浪人してから入ったので同じ高校の同級生も既に何人も入っていたのだった。寮長に挨拶をしてから部屋を案内された。郷土の先輩と相部屋だった。

 

同じ高校の同級生が同時に六人も入ったものだから、夜になると誰かの部屋に集まってよく明け方まで話したものだ。いったい何を話したのか、もうその内容はよく覚えていない。

 

けれどもときどきはふっと友の口調が、その身振りや表情まで、そのままに思い出される。たとえば「ロ-トレアモン」という詩人の名前を初めて聞いたのは、仏文の学生だったT君の口からだった。

 

M君が部屋のドアーを開けて入るなり「ランボーってアル中で乱暴だったの?」と駄洒落をとばして、みんなで笑った光景もしっかり記憶に残っている。

 

アルチュール・ランボーの詩集を、繰り返し学校で、寮で、喫茶店で読んだものだ。駅の裏手にある井之公園もよく散策した。ベンチに座ってランボーを読んだ。見上げれば空は高く、空はいまよりずっと青かった。

 

バス停から寮までの道は、けっこう長く、さっさと歩いても十分以上かかる。駅から歩くと二十五分だから、運動にもなると思って、よく歩いて帰ったものだ。

 

寮祭があって、寮の食堂でダンスパーティを催すということになって、寮の先輩から社交ダンスのレッスンを受けることになった。それ以来、学生が主催のダンスパーティには、よく行くようになった。ダンスパーティといわず、「ダンパ」とつづめていうのが習わしだった。多い時は月に5、六回くらい行った。帰って来てから、明け方まで読書した。

 

仕送りの金は、半分くらいが本代に消えた。月の後半は金がなくなるので、本を古本屋に売って生活した。

 

その頃、ぼくはまだ十九才だった。すべては未決定で、夢と現実の境界線はあいまいであった。時代もまた混沌としていた。

 

あの寮で眠った夜々こそは、生涯を通じて一番美しい夢を見たろうと思うが、どんな夢を見たかは、まったく覚えていない。

 

ちょっとした思考実験をしてみよう。記憶を全部忘れ、見た夢は全部覚えている人間。こういう人間は実業家には不向きだが、もしかしたら優れた芸術家にはなれるかもしれない。その表現は誰にも不可解だが不思議な魅力に満ちたものになるだろうに。

 

夢は消滅するが、記憶は消滅しない。なぜなのだろう。夢は見始めたその瞬間から忘却が始まる。何十年前の記憶がとつぜんよみがえることもあるというのに。

 

ヴェルレーヌは夢の中でいつも宿命の女と出会った。太陽と海がひとつに溶け合う夢をランボーは見た。

 

詩は見果てぬ夢である。人生もまた。

 

■第三章

 

ある日のことである。こんな疑問が浮かんだ。

 

「むかしはいろんな夢を見たものだった。それらの夢はシャボン玉のように次々と消えてしまった。あれらの夢はどこに行ってしまったのだろう。いったいどこに消えたのか?」

 

夏の夢は激しかった。秋の夢は壮大だった。冬の夢は華麗だったし、春の夢はなまめかしかった。それらの夢がすべて消えてしまったのだ。

 

夢は全能である。全知全能は神に与えられた特権である。夢は神に近付く瞬間なのだ。半神の時代は終わったのだろうか。興ざめな世紀が始まったのか。

 

何年も前のことだった。フルトベングラーの演奏するベートーベンの第九をBGMにしながら、ぼくは『ゲーテとの対話』を読んでいた。とつぜんゲーテが語っているいままさにこの瞬間に、ベートーベンがこの曲を作曲しているのだという直観が生まれた。

 

偉大な霊感が交差したのだ。地球のある時代のある場所に強い磁場が作用していた。恐竜が彷徨うように天才たちが活躍した時代が確かにあった。

 

ぼくの夢は、青春のただなかで確かに見たと思った夢は、天才の霊感をこの手の中に引き寄せることだった。何と言う漠然とした夢だったことか。

 

ロートレアモンやランボーは、ぼくがこの人生に悪夢を見るために送られた使者であったのか。

 

掌からサラサラと砂がこぼれ落ちていく。夢の残骸が宙に漂う。夢は重力の作用を受けないのだ。暗黒の太陽が夢を遮断する。

 

週末のサルサクラブで、ぼくはモヒートを飲みながら、酔客が踊り狂う様子をただ眺めていた。踊り過ぎて、脚のつけねの部分の関節を痛めてしまい、踊るのを控えていた頃の話である。

 

さきほどから、ぼくの方をずっと見つめていたラテン系の女が近寄ってきて、「サリーはいま香港にいるよ」と言った。サリー? 不審気な顔をしたぼくに、「サリー、友達でしょう? いま香港にいるよ、彼女」と、同じことをその女は言った。

 

それで事情はやっと知れた。このサルサクラブで、ぼくはそのサリーという女性と、かって踊ったことがあったのだ。サリーと踊っている様子を見て、この女はきっとぼくとサリーが友達だと思ったのろう。そして親切にも、サリーの近況を知らせてくれたのだ。

 

誰がサリーだったのだろう。思い出そうとしても、さっぱり顔が浮かばない。サルサクラブでは、長い時間いっしょに踊っても、ほとんどの場合名前を聞くこともない。

 

ぼくは香港にいるそのサリーという女性のことを想ってみた。顔も知らない。しかしたしかに何曲はいっしょに踊ったことがあるサリーはいま香港で暮らしている。彼女は今夜どんな夢を見ているのだろう?

 

サルサというダンス音楽によって、香港の夜と東京の夜は、同じ磁場で繋がっていることをぼくは感じた。

 

夢を見続けることが美しいのか。それとも夢は断念することが正しいのか。その問いには誰も答えられない。

 

夢は、重力に逆らって、いまなおこの地球に落下しつつあるのだ。

 

■第四章

 

「資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、巨大な商品集積として現れ、個々の商品はこの富の成素形態として現れる。したがってわれわれの研究は商品の分析をもって始まる」(向坂逸郎訳)。

 

カール・マルクス『資本論』冒頭の一節が、何度も頭の中で反響していた。

 

これほどの明晰、これほどの確固たる断定が、かってあっただろうか。人類始まって以来の天才が、決定的な時期を選び、頭脳と体力と感情のすべてをこめて発言を開始した。そういう趣が、この一節にはある。世界史が、これからなされる発言を巡って激動するのは必定である。そんな強大な自信が、この文章には見え隠れしている。

 

大学の合格発表を確認したその足で神田の古書店街へ行き、向坂逸郎訳『資本論』を買ってきた。それから、再度大学へ入学するために上京するまでの一か月半、『資本論』を読み耽った。壮大な『資本論』の体系には、著者カール・マルクスの底知れぬ情熱が隠されている。世界史が、その一冊の書物を巡って廻転する。そういう書物に出会ったのだという実感。それが僕の青春の出発点の経験としてあった。

 

カール・マルクスの夢。その強靭な夢を封印した一冊の書物『資本論』。夢の光線を浴びた日々。究極の書物を書くこと。文章を書く際には、それがたとえどんなに短いものであったとしても、究極の書物を目指す意志の片鱗だけは示すこと。それが私のオプッセッションとなった。マルクスの夢の呪縛に囚われたのは私だけではないだろう。

 

一冊の書物は夢を入れる完璧な容器でありうる。そのことは、その後の読書体験によっても完璧なまでに確かめられた。『マルドロールの歌』『地獄の一季節』『国家と革命』『カラマーゾフの兄弟』『マタイ書』『わが闘争』『死霊』『日本浪曼派批判序説』等。

 

ここまで書いて、筆がぴたりと止まってしまった。もはや一行も書き進められない。

 

それもそのはずだ。いったいどんな手が究極の書物を書き始められるというのか。

 

マルクスでさえも『資本論』は未完の書で終わっている。埴谷雄高もついに『死霊』は未完に終った。それはマラルメさえも辿り着くことのなかった究極の野望である。究極の夢を果たす手だろうか僕の手は。言葉を紡ぎ出すための手。手は夢の道具に過ぎぬのか。

 

週末はいつもサルサ・クラブで踊る毎日が続いている。時には平日でもバッグに着替えを詰めて踊りに出かける。仕事とサルサだけが僕の生活になってしまった。

 

金曜日。バッグに着替えを詰めて職場からサルサ・クラブに直行。九時から十二時過ぎ迄休みなく三時間踊る。土曜日。八時にサルサ・クラブ着。終電迄四時間踊る。日曜日。大箱クラブでのサルサ・パーティ。レッスンをも含め六時から十一時まで約五時間踊る。週末サルサを踊っていた時間、計十二時間。こんなのが僕の典型的な週末の過ごし方だ。

 

サルサは同じリズムの反復なのでどれだけ聴いてもあまり疲れない。ダンスも自然なステップなので何時間踊っても体に無理がない。

 

言葉を紡ぐ手は休んでいる。永遠に音楽と共に踊り続ける手。サルサは夢からの逃避としてそこにあるのか。夢は音楽の中で踊っている。ただ再生の時を待っているだけなのか。

 

時は流れる。音楽は止むことはない。真の夢はまだ始まっていない。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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