亡命市民とは何者か  「亡命市民の日本風景」出版に際して

 国籍が属地主義の国では、日本語で所謂「移民一世」の現地で生まれた子供たちは全てその国の「国民」となる。日本ではそうはならない。朝鮮併合をした際も、そうはならなかった。辛淑玉さんの生き方はそのような日本の体制とともにある。国家と日本社会が病んでいるのだが、辛さんはそれと正面からぶつかっていく。2018年にドイツに「亡命」したと言明しているが、多くの日本国民のように「短期亡命」に終わっている。「言葉の問題」があったのだろう。

 わたくしがメキシコへ脱出した際、父はいろいろな人物から「どうしてヨーロッパやアメリカに行かなかったのか」と追徴されたそうだ。こちらは先進国ではないところ、第三世界での体験を重んじていた。ヨーロッパや、アメリカの白人文化を重んじる態度は、福沢諭吉以来の知的脱亜入欧にとどまらず、ラテンアメリカの先住民部落の辺境でも欧米人を前にして繰り返されている。日本もそういう「未開文化」に属していることを最近の「ミス日本」選考で自己証明している。そのような「日本の外」の世界に対する格付けには、日本国内における対外差別文化の存在がまず最初に想起される。「日本は素晴らしい」「日本はすごい」という土俗の叫びが日本を構成しているので、「海外」の諸国は玄関先の番付表の中に納まっている。「脱出者」はどこに行ったのかが、そこで問われて、その格付票の位置を示されると。安心できるのである。

 カミュの「異邦人」は「自国の文化」を白日の下にしている。しかるに、それはヨーロッパ社会自らの省察を含んでいる。日本社会には省察はない。ミス日本はウクライナ系日本人であり、辛淑玉のように不条理に対しモノ申す手合いではない。「丸く納まった」、そして日本は日本国民にとって、まだ住みやすい国であり続けるだろう。恐ろしいことである。だから、わたくしは日本に住んでいないのである。本の帯に、日本とメキシコの文字が大きく表れているが、それをイタリア出身の友人に見せると、無関心そうに、「多分、おまえを理解できないのだろう」と言い捨てただけだった。

 しかし、慌てて日本人の感性に戻る必要もある。今もイスラエルは殺し、破壊し続け、日本は放射能汚染水を投棄し続けているのである。ニホンジンのように、この日常を疑い、この日常を覆すことが日常だと考えねばならない。で、その一端として、小生の50年来に渡る短文のいくつかを出版してくださったインパクト出版会の深田卓氏、1994年のチアパス蜂起をきっかけにお付き合いくださっている太田昌国氏、学生時代から日に影に、お人よしを絵に描いたようなわたくしを助けてくださっている高橋順一氏に万感の謝意を表させていただく。90年代のある日、広松渉先生から「書けるんだから書かないと」とお世辞半分に励まされたことを思い出す。

 と、こんな風に書いていて、売れなかったらどう責任を取ればいいのやら、と正直、遠くでチヂミ上がっているのである。先年、地域史記録センターから、オアハカのフチタンで当時のロペス・ポルティージョ政権と対峙したテワンテペック地峡農民労働者学生同盟COCEIの一角であったマカリオ・マトゥスMACARIO MATUSの美術評論集をメキシコで出版した。国立芸術院などで出版発表会を行ない、地元フチタンでの評判は芳しい。現在はホセ・デ・モリナ(José de Molina)という反体制歌手の追悼本を用意している。今回の「亡命市民の日本風景」を含めて、近く現大統領から圧迫を受けている雑誌「プロセソ」のインタヴューを受けることになっている。表紙に併記したスペイン語のタイトルは「評論:日本的デカダンスを前にして」である。表紙絵は、メキシコで名を知られた画家、KISHIO MURATAの「ファンタジーを組み上げながら」。あらゆる理論はファンタジーである覚悟を持たなければならないだろう。この絵は、村田の意識においては「未完成」のままであった。
山端伸英

(『亡命市民の日本風景』インパクト出版会、2800円+税)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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