露烏戦争がNATO露西亜戦争に完全転化したようだ。双方とも核をバックにした通常戦争にとどまっているが……。核の恐怖が停戦・休戦への動機となる事に期待するしかない。
冷戦終焉以後NATOが全面登場した最初の本格的戦争は、新ユーゴスラヴィア(セルビアとモンテネグロから成る連邦)への大空爆である。英陸軍がセルビアに侵攻する直前に、対NATO防衛戦争の最高指導者ミロシェヴィチ大統領の実質降伏によって、大空爆は78日間で終結した。1999年3月24日から6月10日の78日間である。
2022年2月24日に始まったウクライナの対露防衛戦争も亦2022年5月位には、すなわちセルビアの対NATO防衛戦争とほぼ同じ期間で、しかもゼレンスキー大統領の実質勝利の形で終了するはずであった。但し、英国首相ボリス・ジョンソンが2022年4月9日にキーウ(キエフ)にやって来て、「我々は彼等(ロシア:岩田注)とは署名しない。闘うだけだ。」と決定的な発言をしなかったならば、であるが。
セルビアの対NATO防衛戦争の場合も亦、元ロシア首相の決定的な発言があった。この場合は、戦争の継続ではなく、即座に撃ち方止めの方向への発言であった。
1999年6月2日と3日に北米NATOの意を受けたフィンランド元首相アハティサーリとロシア元首相チェルノムイルジンは、ベオグラードで、ミロシェヴィチ大統領と対決していた。二人が用意して来た原案を受け容れなかったならば、どうなるのだと言う趣旨の問をミロシェヴィチが発した時、すかさずロシア元首相は以下のような決定的な発言を行なった。
――会談でチェルノムイルジンはこぶしでテーブルを叩いて言った。「ミロシェヴィチ大統領、私達は討論する為にここに来たのではない。私達がここに居るのは、セルビアがこのテーブルのように真っ平になるだろうと伝えるためだ。」彼は、テーブルクロスを引っ張った。すべてのグラス、お皿、そして料理を床に落下させた。私がこの事実の唯一の証人なのではない。他に何人もいた。――(Nebojša Vujovič・新ユーゴスラヴィア駐米使節団長の証言、Radar №2、2024年3月21日、p.18、強調は岩田)
要するに、対NATO防衛戦争の持続は、ベオグラードを始め、セルビア全土が更地になる、焼土となる事に直通すると言うNATOの警告である。かかる脅迫的警告を元ロシア首相の口と手をして発せしめ得た所に20世紀末・21世紀初の北米NATOの絶大な実力が顕現している。
かくして、ミロシェヴィチ大統領のオランダ・ハーグにおける獄死の運命は定まった。セルビア常民の戦争犠牲者が数千のレベルに納まり、数万、数十万に到らなかったのは、この獄死に通ずる降伏のおかげとも言える。
イギリス首相ボリス・ジョンソンの発言に引きずられて停戦・休戦のチャンス、すなわち実質的勝利のチャンスを逃してしまったウクライナ大統領の誤算の結果、数十万、数百万のウクライナ常民の犠牲者が今日なお増え続けている。
ともかく、チェルノムイルジンを派遣したロシアは、新ユーゴスラヴィア(セルビア)からの武器支援要請を拒否し続け、対空ミサイルはもちろん弾丸一発さえも送らなかった。それに対してボリス・ジョンソンを派遣したイギリスは、ウクライナからの武器支援要請に喜んで応じ、空陸の最新兵器を大量に送り続けている。
かかる対比は、北米西欧日本の市民社会が見たがらない歴史的事実である。
令和6年(2024年)5月18日(土)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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